犬の死 一部始終・前

水曜日の朝。

京王線高幡不動駅で、多摩モノレールに乗り換える通路から不動尊の山の紅葉を眺めていると急にわなわなとして、心が乱れどうにかなりそうなる。

 

前日、火曜日の犬の散歩。

歩くのがきつそうなザックをやや引っ張るようにして、ピッキーを連れた萌につづく。

歩道橋を登るのもやっとだった数日前よりはよい、となんでもよいほうに結びつけている。

 

 線路沿いの道は、急な土手の下を私鉄が走っているのだが、ザックはよく、土手に生えた草をくんくん探していた。

夏に、よくそういうことをして、元気がないときはときに、葉っぱを食べたがり、葉っぱを見つけるとむしゃむしゃと食べて、通りかかってひとが珍しがって、あらなにたべてるの、などと聞いてきたりした。

多摩川に出る前に何箇所が引っ張るようにして葉っぱを食べたがる場所があって、ことに平屋の一軒家の庭の桑の葉はお気に入りだった。

夏のあいだに空き家になってしまった一軒家の庭の木は、短く剪定され、ザックがむさぼるように噛んでいた葉も切られてしまった。

 

こんな状態になりはじめの三週間前、ひとりで散歩に連れて行くと、引っ張って線路の柵の中に入り、猛烈ないきおいで草を探していた。

本能で救いになる植物を探しているのだろう、としばらく様子を見ていたら、からだごと土手に入り込んでしまい、線路に転げ落ちたら大変、とリードを柵に絡め、両手で持った。

臆病な犬は、柵に頭からくぐるのに苦労した。

今はもう、しない。

そのことがなにを意味するのか、はそのときはわからない。

 

「ザック土手まではむりだ、私ピッキー連れて行くから、萌ザック連れて先帰ってくれる」

と言う。

「きょうは宝来公園までにしよう」

 

家から宝来公園までの散歩のルートは最短距離。

宝来公園から、坂を登って多摩川台公園までのコースが二ばん、

多摩川台公園から、古墳の道を通って、見晴台まで行くコースがその三ばんめ。

そして、多摩川の河川敷までの行くコースが、このこたちを保護してきたとき自分に課したルート。

ザックは、生後七ヶ月まで、檻のなかに他の犬たちとぎゅうぎゅうに押し込められ、私がその檻のなかからザックを選んだのは、餌がもらえると前に出よう出ようとする犬たちに押され、前に出ようとすると横取りされ、また出ようとして別の犬に阻まれ、まごまごした、自信のなさそうな子。ガリガリにやせて、汚物まみれ、なにより歩くことができない。ちょっとした物音や気配にパニックになると上に飛び跳ねた。初めて河原で、ノーリードで放したときは、カンガルーのようにぴょんぴょんガニ股で砂利の上をはねた。

 

前の犬のときにはなかなか河川敷まで行けなかった。

犬が川に飛び込んでしまうという習性もあったが、私の体力がそこまで保たなかった。萌がまだ小学生で、犬の散歩は週末を除いて私しかできない。

娘の体重がやっと犬の体重を超えたあたりでこの犬も突然死んでしまった。

八才だった。

ゴールデン・リトリバーのブックは体重が三十キロを超えていた。

おとなしい、やさしいこだったが、川だけは抗いがたく、川に飛び込むと一時間、二時間戻って来なかった。

呼べと叫べど。

 

娘がスリランカから帰って、地元の小学校で苦しんでいたころ、誕生プレゼントとして夫と私が贈ったのだ。

スリランカの古の首都キャンディでストーンロッジというへンションを営んでいた女性が飼っていたゴールデンの愛らしさがこころに残っていた。

一生のうちに一度、私もこんな犬を飼いたい。

 

小学校時代の娘はしばらくケージに入りって犬に寄り添い、気持ちをなだめてから部屋に上がってくる、という毎日だった。

不適応状態を相談しに行っていたカウンセラーは、服が汚れる、きたない、などと決して言ってはいけない、と私に言った。

 

娘が、私立小学校に転校し、なんとか中学を卒業した春、高一になる四月二日に、この犬は突然息を引き取った。

この突然の不在のおかげで、四月の末に動物病院の張り紙で知った里親募集に飛びついた。

劣悪なブリーダーから犬を保護するという個人活動家とは、一悶着あったが。

 

 

宝来公園に着くと、不思議なことが起こる。

銀杏の木が強い風に揺すられて、黄色く紅葉した葉っぱがざーっという音とともに頭上を舞い始める。

あたたかな一日、翌日から真冬の寒さに戻る、という予報。

大気が上空で交代しているのだ。

はじめは、葉っぱが舞う程度だったのが、そのうち激しく、吹雪のようになる。

前が見えなくなるほど金色の嵐がざあざあ吹雪くなかに、娘と私、ザックとピッキーは佇んでいた。

これまで経験のない景色。

こんな黄金の嵐を見たことがない。

このとき、これはなにかの暗示だろうか、ザックとの終わり?

怖れ怖れて、その怖れをうち消そうと弱くもがく。

 

「じゃあ、ブックはここまで。私ピッキーと土手まで行くわ、このこもむりさせてるから」

リードを交換して、私がピッキーと行こうとすると、ぎゅっとザックが私のほうに寄ってくる。

「ザック、おねえさんと帰って」

と言うと、置いていかれてはたいへん、とばかりに私のあとを追う。

そのときの、マスクで隠れた顔にサングラスの娘の目と見合わせ、なにもいわずに再びリードを交換する。

ゆっくり多摩川台公園まで歩く。

休日は空いてない川を見下ろせるベンチに座って、砂場であそぶよちよち歩きの男の子と、素朴なかんじの母親をふたりでながめている。

眺めながらも、私はザックの腰部活点という箇所に気を当てているのだ。

 

高幡不動の山の紅葉を見て、急にわなわなしてきたのは、前日の黄色い嵐が交差したからか、私はザックがぬきでいる、と思う。

仕事に出ると、ひっきりなしに安否確認するラインも、この日怖くてできない。

《ザックへいき?》という文字を打つことができない。

 

f:id:mazu-jirushii:20161223172748j:image

 

きょうは死ぬのにもってこいの日

ザックが死んでしまう。

空のぬけるような青さのなかに、ザックの魂が飛んでいってしまう。

なぜ今日なのか?

 

悲惨な保護犬として我が家にやってきて9年。

初めの1年間は格闘だった。

明け方から日が暮れるまで泣き続ける犬に試したもろもろ。

ペットボトルに砂を入れて物干し台から投げつけて脅したり、お酢とハッカを混ぜたスプレーを鼻先に噴射したり、どなったり、ケージを叩いたり・・。

隣近所からのプレッシャーもたいへんだった。

 

私は、自分以外のものに、こんなに尽くしたことはない。

娘にも、息子にも、これまでのに犬も猫にも。

私は私なりにザックという傷を負った雄犬に、私も同じ傷を負う存在だから、だから尽くした。

これまでの犬にしてきたこと以上のことをこのこたちにはしよう、と決めていた。

お散歩の距離も伸ばし、餌のグレードもあげ、それからちゃんと触れること。

しっかりと手で触れる、そのことを励行してきた。

ああ、それなのに早すぎる死。

なぜ、と思いつつ、水曜日の高幡不動できもちがおかしくなった、あれは予感とかだったのか?

くらくらするほどに喪失、ああ、ザックは死ぬきなんだ、と。

 

帰り道、娘から、ザックとピッキーは多摩川まで散歩に行った、とラインがきて、ああ取り越し苦労か、とこわくて様子をきけなかったことがすこしおかしかった。

 

だから大丈夫、げんきになる、すこしづつよくなっている、そう思った矢先の急変。

ピッキーとやってきた道を、ザックだけ帰って行った。

ピッキーは、これから単独で猫と一緒に生きていかなくてはならない。

 

f:id:mazu-jirushii:20161213062705j:image

黄八丈

ザックは、未だごはんを食べず、玄関の段差を自力で登れなくなってしまった。超音波でも、血液検査でも、はっきりした事がわからないから、やはり異物だろう、これ以上はバリウムとレントゲン、内視鏡か開腹手術か、という獣医の言葉に家族全員途方にくれている。

 

そんな大変な状況、気持ちは乱れ、あたまもまとまらないのだが。

二年ばかり、リサイクル着物のネットで目に付けていた黄八丈

昨年11月に33%まで値引きされたのをもう少し、と待っていたらその後値が下がらない。今年も11月に再び33%オフになった。何度も、返品に応じて貰えるかメール確認したあと、えいっと購入ボタンをタッチ!

届いた着物は、期待を裏切らない品だった。二年間コンピュータ画面で見続けた物なので、なんだか前からあったような気がして、新鮮味がない。

元気のない犬を片目に、やっと試着。

 

f:id:mazu-jirushii:20161207075955j:image

広告を非表示にする

ザックが餌を食べなくなって、すでに二週間。

またへんなものを飲み込んだのだろう、とやっと気づいたときにはすでにかれの内部に深く入り込んでいたのだう。

 

ずいぶん時間がかかってるなあ、と隣のケージで自分用の小さなボールからさっさと食べ終わり、外へ出たくてうずうずしているチビ助を待たせて、寒い玄関でのろのろ喰いを待つ間がもどかしい。

そのとき、とうに異物はかれの臓腑に飲み込まれて、にっちもさっちもいかない状況だったのだ。

半分に減らしても、あれ、たべないや、

と思っているうちに泥水のような下痢と、吐き戻しが始まり、いつもの拾い喰いとは異なる尋常でない様子に朝一番、獣医に連れて行く。

超音波で、別になにがわかるわけでもない。

ただ、すぐにどうこうなるような状態ではない、と内部のガスの状態から判断し、水分の点滴だけ受け、吐き気どめや下痢止めなどは拒否して、連れて帰ってきた。

不思議と下痢はそれでおさまり、翌日はもう硬いうんちが出た。

ところが、餌を食べない。

朝から、近所迷惑な甘え吠えで朝ごはんを要求するザックが、うんともすんとも言わず、餌の入ったボールに鼻をつけようともしない。

手からわずかにあげたものも、吐く。

 

一昨日から、細かく裂いた鳥のササミを少しづつ食べているが、もともと細いからだが、うんと細くなって骸骨のようである。

 

これまで犬や猫を飼ってきて、餌を食べなくなる時は死ぬときである。

心配である。

心配で、こちらもどうにかなりそうだ。

 

f:id:mazu-jirushii:20161130130400j:image

広告を非表示にする

着物

f:id:mazu-jirushii:20161126072238j:image

f:id:mazu-jirushii:20161126072253j:image

自撮り棒を使って

広告を非表示にする

隣人の死

夢。

石村さんが亡くなってから、たまにお孫さんが来て泊まっていく、まったくの空き家というわけではないお隣の家。

その家がついに取り壊され、木々は切られ、黒土が見えている。

きれいに線引きされて真新しいコンクリートの境が設置されている。

まだ残されている木があることに安心する。

丈を詰められて低くなっているが。

ということは、まだここを取り払うってことじゃない、

動揺を抑えている。

 

夢から覚めて、枕に頭をつけたまま、昨日東洋さんが亡くなったことを思い出す。

私道を挟んで向かいの、いつも眺めていた東洋さんの家に、東洋さんが居なくなってしまった。

一昨日救急車が止まって居たのを心配していた。

どうも家の空気がおかしい、と家の外から異変を察知していたが、昨日、思い切って電話をすると、すぐに裏木戸に来て、父が亡くなった、と家族から報告された。

すーっと東洋さんの死が通過してしまい、

大丈夫、けっこう落ち着いている、

と自分を意識し、実はこういうのがヤバいのだ、と思返す。

案の定、家に入ってから過呼吸になる。

喪失でくらくら真っ暗な闇に入り込みそうになる。

はあはあ、息をして、この喪失が、東洋さんの死を通して、実母の喪失につながっている。

 

東洋さんとは、24年前に越して来た時以来、親しく、ときにはあまり親しくなく、おつきあいがあり、海外に居たころは、たまに手紙を書いたり、返事をもらったりしていた。

奥様が、先に亡くなるとはだれも予想していなかったが、そうなった。

しばらく東洋さんは、ひとりで立ちいかず、かといって努力の方であり、じっくりと立ち直り、私とも自然に話しをする関係が復活した。

 

毎朝、毎晩、窓を開けるたびに見ていた家。

その家に、東洋さんが居なくなってしまった。

身内でもなく、友だちという関係でもない。

この思いは、どこで消化できるのだろう。

私は、ただただ、桜の木の下に、お線香を炊いて、手を併せる。

f:id:mazu-jirushii:20161125080109j:image

広告を非表示にする

三度目のアップ・リンク

f:id:mazu-jirushii:20161025082757j:image

今年に入って三度めのアップ・リンク。

一度めは、七月に放送大学の試験後観た、ジェイムス・ブラウンの映画、二度めは「聖なる呼吸」というヨガの映画、今回は、シーモア・バーンスタインというピアニストのピアノをめぐる彼の音楽と人生の話しである。

クラシック音楽の持つ権威や特権意識、優越意識などに抗って、作曲家の意図、シューベルトの気持ちや、ベートーベンがなにを言いたかったのかを理解しようするピアニストである。

 

今年の夏、渋谷楽語なるイベントに行った帰りにTSUTAYAに寄って、まとめて借りてきたDVDのなかに、グレン・グールドが二枚。

このひとに対する見方、考え方がワン・ワードで変わって、このピアノ弾きが以来愛おしく、すきでたまらない。

ワン・ワードとは「アスペルガー症候群」。

そういう観点から見ると、ずいぶん見当違いで、的外れな評価に傷つけられたよなあ、親からも恋人からも理解されず、ずいぶん苦しんだろうなあ、と気の毒である。

この映画の中でも、シーモアさんはグールドについて、このひとのバッハはバッハでなくグールドだ、というようなことを言っているが、それでしかない、グールドにとっては。

自分以外のものとの交流、交換は難しかったのだ。

というか、できなかったのだ、と思う。

 

シーモアさんのピアノは、呼吸するかのごとく、音符を撫でるがごとくのピアノ演奏であり、ほうっとあったかなためいきが漏れる。

 

久しぶりにイギリス組曲が弾きたくなって、楽譜を取り出した。

パルティータや平均律に比べると、楽譜づらはずいぶんとやさしい。

この曲は小さないとこがまだ小学生だったころ、親戚の結婚式で弾いたものだ。

私は、別ないとこのソプラノ独唱に合わせて伴奏を弾いたのだった。

バッハがずっと好きだった。

バッハの魅力は、安定感。

いつか、本の中で、バッハとジエイムズ・ジョイスは「立体」と書いた箇所があって、娘のピアノ教師であったママ友に、どういう意味?と聞いた。

彼女は、ジョイスを知らなかったにもかかわらず、的確な答えを出してくれた。

「背景があって、テーマがある、というものではないもの」

 

バッハの持つ私の感じる安定感とはそういうものだった。

 

映画一本で、気持ちがこんなにも現実に着地して、前向き(きらいなことばだけど)になれる。

ヨドチョーさんではないが、いやあ映画っていいもんだなぁ。

暗くないと見えなくて、観終わるまでわからないのが難点だけど、

どんなものにも難点はあるから、仕方ないか・・。