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アリソン・アトリーの生涯

クレヨン・ハウスで「アリソン・アトリーの生涯」という本を見つけて早速図書館にリクエストする。

年末年始にまたがり三週間ほど借りて入られたため、なんとか読みきった。

石井桃子さんが、アトリー女史について

「日本の読者がともすれば考えがちな、ティム・ラビットを作り出したやさしい女性というイメージとは違う。」

と書いていたのがずっと気になっていたのだ。

 

読みきってみると、90歳以上まで生きて、創作意欲もすごいが、金銭欲も並々ならない。

死後、家の中から、高価な美術品や銀食器などが見つかり、精神的にも物質的にも困窮していた息子に、経済的援助をすることを拒み、貸した金は返済させ、いつまでも自分に頼ろうとする息子のため、と称して自分の稼ぎを隠していた。

凄まじい息子への執着と息子の嫁への変わることのない悪意。

息子のジョンはアトリーの大往生のわずか数年後、父親同様自死を遂げる。

アトリーの稼いだ金品は、息子の嫁に渡らないよう周到に遺言が残されて居たという。

 

ときおり、「アリソン・アトリーの生涯・・物語の紡ぎ手」と題してアトリーの誕生から亡くなるまでを書いたデニス・ジャッドという伝記作家の筆から嫌悪感が滲み出ている、と感じるのは私の感情の投影だろうか。

 

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高幡不動駅

分倍河原で降りて高幡不動で降りる。

前日までは、別の路線で行こうか、どうしようか、と思っていたのだが。

正月明けの現場、20分も早く着いてしまう。

高幡不動のルパでスープでも飲んで温めてから向かおう、と思う。

寒いところで時間をつぶすのはつらい。

たいていの場合我慢してしまうのだが・・。

いくばくかの現金を稼ぎに行く途中で金を使うのがいやなのだ。

ひとりで飲食するのが苦手だ、ということもある。

 

ルパに入ってスープありますか、と聞くとない、と言われる。

隣りのドトールに入って同じ質問をするとそこもない、と言われ、仕方なく小さなコーヒーを注文する。

 

素晴らしい晴天。

高幡不動尊への山門は、窓際の席からは見えない。

澄んだ青空が、大きな窓から見渡せる。

いやなふがふが笑いの男性サラリーマンがふたり入ってきて、座ってからはまったく会話しないので助かった。

斜め向かいに茶髪がぞろっと長い、コゲ茶色のベレー帽をかぶった女性。

同系色の長めのセーターにロングスカート、足にはボアの着いた短ブーツ。

つい、いくつくらい?と見てしまう。

若作りしているかんじ。

こういうファッション案外若い女性はしていないから。

色白のきれいな肌をしているが。

じろじろ見すぎたのか、気がつくと居なくなっている。

トレイを戻し、帰ろうとしたときに、奥の席に居て目をそらした。

向こうも私を見てたのだ。

年齢を値踏みする私の視線は、さぞ不快だったろう。

自分の年齢についていろいろと考えるようになってから、他のひと(女性)の見た目年齢がどうしても気になる。

 

ドトールを出て、あの通路をどう通過したのか、思い出せないほど、先を急いだ。

 

高幡不動の紅葉を、わなわなと震えた、心がざわざわ乱れて右往左往したあれはなんだったのだろう?

その日のうちにザックを失うことになる予感だったのか。

 

ザックとの9年8ヶ月の終了は、私にとって大型犬と過ごす人生の最後となり、これでいよいよ老年期に入る、ということでもある。

ザックの喪失は、さまざまな喪失の集合であり、かれの不在にまだまだ慣れることはできないが。

 

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正月あけ

明け方、かたわらの夫が苦しそうなイビキをしている。

疲れているんだなぁ、お正月休みゆっくりすればいいや、と思い、

思ってから、

あれ?

お正月って終わっちゃったんだ、と気づいてふとんの中でどーーーっと疲れる。

 

29日に、突然親戚から電話があって、田舎から上京しているのだが、泊まる予定の家にインフルエンザが出て、子どもに感染ると心配だから、そっちに泊めて欲しい、と言われる。

抵抗を試みたが、抵抗しきれず、徹底的に拒んだ場合に残る後遺症を思うと、この場合受けいれざるを得ない。

 

この子連れの親戚には意見したいことが山ほどあって、長いことこころのなかでジリジリしていた。

ひさしぶりに会ってみて、つくづくなにも言うまい、と決めた。

これまで言って来た、言いづらい子育てについてのこと、彼女と親の関係についてのこと、そのどれもがなんの効果もないことが、よく分かる。

なんだ、言っても言わなくてもおんなじなんだった、と思った。

ああ、それなのに、最終日(1月4日!)なんとなくふたりで話し込んでいたら、長いことためこんできたお説教(うっぷん)がふいに出てきてしまう。

・・また〜あんた、やめときや〜・・

 

年末年始ばっちりの滞在を終えて、大きなリュックに子どもの手を引いて帰る彼女は、別れ際私と目を合わせない。

ああ、言うまいと決めたのに。

娘に言うと、それはまずいよ、他の親戚との関係にも響いてくるよおかあさん、と言われなおさら落ち込んだ。

 

残るも地獄、去るも地獄。

 

と思っていたら、こういう正月を過ごしたのは、私だけではないらしい。

正月明けのヨガ会場。

孫を連れて年末年始滞在していた嫁の愚痴を聞かされた。

体調は思いっきり悪そうである。

嫁滞在中、38度まで発熱したとのこと。

紙オムツは、ここに捨ててね、と言うのにオムツを替えたその場に置き去り、

食べた後片付けをしない、

機嫌がわるくなると二階に孫と上がって降りてこない、

孫を叱りすぎる。

などなど。

 

聞いていて、そうだよなあ、私たちのころはこうしたもんだよ、とか

最近のひとはこうだけど、

などと年寄りに言われると、いらっとしたものだ。

そして、嫁さんにせよ、親戚にせよ、彼女たちが自分の思い通り東京に滞在し、居座る根性にはわれわれにはとても勝ち目がない。

老兵は去るのみなのだ。

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2016年 12月30日

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30日のホームセンターは、此の期に及んで家のなにやかやの作業に必要ななにやかやを購入するため、

大きなカートを押して夫婦でごたごた長さや幅について話し合っているひとたちでいっぱいである。

私は、ホームセンターに入ると気分がわるくなる。

が、夫はホームセンターに入るやいなやハイになって目玉がきょろきよろし始める。

超速で棚と棚のあいだを歩き回り、品々におそろしく集中する。

小型犬を見せびらかしにカートに乗せているカップルもいる。

一度まねをしてチビを連れてやってみたが落ち着かないし、どうせ犬連れは見せびらかすのが目的なのでへんな競争意識で犬をチラ見するのである。

 

われわれが購入したのは、木材と蝶番。

いつものことだが、車まで運んでから、車で運べるかどうか算段がはじまる。

一度イケアでめいっぱい買い込み、車のとびらが半開き状態で高速を走って帰ってきたことがある。

木材をななめに車に入れると、端がハンドブレーキを覆い危険である。

娘が後部座席で支え、私が角材五本をハンドブレーキから浮かせておかなくてはならない。

 

どうせここまで来たんだから、一度偵察に行ってみよう、とふらふらと懸案の住所にナビで行ってみる。

住所が判明してから、一ヶ月半、まだ確かめる勇気が持てずにいる。

このへんこのへん、とうろうろと路地に入り込み、目当ての住所には目当ての表札がある。

私だけ車から降りて、その家にほんとうにひとが住んでいるのか。

手入れのされてない庭には、緑がうっそうとしているが、門がまえに正月用のしめ縄がぶらさがっている。

二階建のふるい建物の二階の窓のカーテンがヨレている。

まるでひとが住んでいないようなのだ。

家の前を行ったり来たりするが、とてもピンポンする勇気は持てない。

玄関の扉の屋根と、家屋のひさしに猫がいる。

この家は、一体どうなっているのだろう、奥のほうを見ると、むこうからおんなのひとがこっちを見ている。

すみません、と思わず言う。

〇〇さんですか?

 

はい、と門まで出て来たそのひとは、素敵な色使いの首巻きとオレンジ色やブルーの重ね着に白いスウェットパンツを履いている。

私がイメージしていた六十九歳のひととは違う。

母が何十年も昔、前の婚家に残して来た娘のイメージとは違う。

母は激しい気性で、穏やかなその方と結びつかない。

でも、そのひとだった。

同じ母から生まれ、母から置き去りにされた三姉妹のうちのふたりなのだ。

こんな近くに、何十年も知らないまま暮らしていた。

 

 

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2016年 12月29日 西荻窪

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行きつけの風呂屋で汗をかいたあと、西荻窪マイロードで昼食を取ることにする。

青梅街道沿いにある風呂屋から、西荻窪駅までの通りにはしっかりした構えの、きちんと展開している小規模商店が並ぶ。

年末の買い物客でいつも以上に賑わっている。

餅菓子屋、肉屋、鶏肉専門店、八百屋、古着屋などなど。

夫がアイフォンで鰻屋をねらっていて、良さげなアジアンフードや定食屋を横目にマイロードを探す。

夫は、めずらしく駅前の駐在所に、すみません、と入って行き、マイロードに行きたいんですが、源内という鰻屋さんなんですけど、と商店名まで告げて尋ねるのである。

マイロードとは、高架になっているJRの線路下にずらっと左右に並ぶ店舗街である。

え?

空気のわるそうな通路の奥へ入ってく、目当ての鰻屋は禁煙じゃない。

ちょっと躊躇したが、中に客が何組がみえたし、思い切って入ってみた。

うな重の一番やすいのが税込で1900円。

あわてて持ち金のチェックする。

風呂屋の十回券を買ってしまい、残金がなくなっていた。

 

うな重が出来上がるまで、ずいぶん待たされた。

通されたのは、カウンター席で、マイロードを通る買い物客をながめている。

お年寄りがゴロゴロを押しながらひとりで歩いている。

お正月用の花を持っている。

ひとりで正月を迎える準備だろう。

杖を二本つかって、歩いているひともいる。

白髪のおかっぱ、白い底厚のスニーカーを履き、二本のストックをぽいぽい放り出しながら。

介助の女性は、家族なのか、プロなのか。

どんな正月を過ごすのだろう。

 

カウンターの頭上にはワイドショーの年末特番をやっていて、下位から上位まで、麻薬だったり不倫だったり。

結婚だったり。

ああだこうだ言っているテレビ用トーク。

いかにもな人相の、いかにものコメント。

 

うな重の蓋を開けると、鰻がやせてチビなのにちょっとがっくり。

1900円で一番安い鰻だから、ま・しょうがないか・・。

1900円だと肝吸いが付かない。

お吸い物どまりである。

でも、お吸い物は化学調味料ではない出汁。

漬物も、ごまかしのないぬか漬けである。

 

昼のお客は私たちでおわり、入ろうと戸を開けた客を、ちょっと時間かかりますので、と断っている。

時間かかりますがよろしいですか、ではなく、時間がかかるのでダメです、という意味なのである。

昔の私なら、時間かかるから、何なんですか?と突っ込むところ。

 

西荻窪駅をマイロードの外側を歩くと、こけしやにぶつかる。

かつて、高校時代の友だちが難関を突破して入った女子大。

こけしやといえば、女子大御用達のケーキ屋さん。

彼女が女子大時代、一度くらい一緒に入ったことがあったかもしれない。

あるいは、大量にやりとりした手紙に、こけしやに新しいともだちと入ってコーヒーを飲んだ、という話しがあったかもしれない。

こけしやは混んでいたが、ケーキを買って帰ることに、ここでも現金がないことに気づいて、千円ほどのものをカードで購入することに。

上品そうな、おじいさんがゆっくり入ってきて、杖をつきながら列にならぶ。

二階のカフェから降りてくる家族づれも、どこか文化的。

 

なぜ、彼女がやっと入った大学を止めてしまい、セクトに入ってしまったのだろう。

なぜ、と西荻窪という場から考えてみる。

40年後のこけしやから考えてみる。

いま、この時代、大学かセクトかなどという選択をする学生がいるだろうか。

大学か、社会運動か、という問いを発して、大学の権威に反対し、自分自身のうちなる権威主義を粉砕するなどということを言うひとがいるだろうか。

 

もっと違うべつの動機があったはずだ。

彼女自身も気づかない、なにかが。

 

そんなことを考えながら、ちょっと物足りないうな重のお腹をケーキで満足させるべく電車に揺られて帰ってきた。

 

 

犬の死 一部始終・後

 ところが、仕事が終わって携帯をみると「ザック土手までいきました」とラインにある。

え、昨日はとてもむりに思えたのに、生肉をあげはじめて元気が戻ってきた?

と、さっきまで考えていたことと逆の方向に胸をなでおろす。

水曜日は、月曜日に点滴をした動物病院にもう一度行って、点滴をと考えていたが、このまま一日おきに点滴をするのか、と考えるともうすこし間をあけたい、という気になる。

費用の面でも。

なにしろ肉に食欲が出ているのだから、このままいけばゆっくり回復できるだろう。

木曜日には、野口整体の先生のところに二度目の治療を受けに行くつもりだった。

このまま週に一度くらい、野口整体の療法なら続けてもいい。

予約の電話をして、受付の女性に事情を話す。

先週木曜日に治療を受けた後元気になって、金曜日は食欲も出て、鳥ささみを二本食べることができ、安心したこと。

ところが油断して土曜日、午後五時間ほど留守をして帰ってきたらケージにおもらしをしてびしょびしょになっていて、また嘔吐があり、以来また食べなくなってしまった。

月曜日のあさ、餌ボールにからだを起こすこともしないのにショックを受けて、前に超音波を撮った動物病院に連絡をするが、前回薬を拒否したせいか、ほかへ行ってほしい、と言われ、近所の動物病院に連れて行った。その病院で血液検査をしたら、あまり悪くなかった。超音波をもう一度撮って、それでまだわからなかったらバリウムを飲んでレントゲンと言われたが、この状態でバリウムを飲ませての検査に耐えられるのか、それで異物がみつかったら内視鏡か開腹手術、と言われた、と話す。夫が、このままだと死んでしまう、と獣医の治療を望んでいることも話す。

残念ながら、先生が治療中で話しができなかったが、明日話させてもらうから、と電話を切ったのだ。

 

夜も牛肉を五十グラム弱食べて、もっと欲しそうに肉のほうへ首を伸ばした。

だから、大丈夫なんだ、きっと。

 

私がもう上で寝ていると、帰ってきていた夫から呼ばれた。

夫はザックの症状が改善すると私を呼ぶから、またなにか良いことがあったのだろう、と布団の中でぼんやりしていると、上がってきて、ねえまり、ザックが俺の足にうんちしちゃった、と言う。

帰ってからずっと抱きしめて輸気していたら、急にうんちしちゃったんだけど、と言う。

ぎょっとなって、目をしばたきながら降りて行くともうぐったりしている。

心臓がどきどきしてあたまが破裂しそうになって、震えがくる。

ザックの頭を両手で抱え、どうしよう、どうしよう、と言っている。

どうする、深沢へ連れていく、その上でいやなら治療しないと言えば良いんだから、後悔することになったらいやだもんね、どうする、どうする、とふたりに聞くと深沢の救急へ連れて行くことになり、萌が電話してくれる。

 

すぐに行くことにして、ちょっと持ってて、とザックのあたまを洋に頼み、上で着替える。ジャージーの洋にもズボンだけ変えるように言う。

 

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家を出たのが十二時。

萌が軽い羽ぶとんにくるみ後部座席でザックを抱えている。

ねえ、もうダメかもしれないよ、おかしいもん、こんなの、と言う。

萌ちゃん、お母さんが変わろうか、もしかしたらザックこのまま死んじゃうかもしれないよ、

と言うと、ねえ、いまそんな話ししなくていいんじゃない、と苛立つ。

だって、覚悟しておかないと、と言うが、

いまここで交代してザックを動かすほうが心配、と言われる。

車のなかで私が吐く。

 

下の子がダウン症と診断されたとき、車椅子の上で吐いた。

夫の立会い分娩だったが、八ヶ月の早産で生まれてきた赤ん坊を、新生児科の医師がチェックに来て、そのまま連れ去ってしまった。

悪夢のような瞬間。

夫の腕をつかんで、ふつうのこ?と聞くと、夫はうん、と頷いたのに。

赤ん坊は集中治療室に入れられてしまった。

赤ん坊に会わせてくれ、と頼むと。

分娩を終えたばかりの私は車椅子に乗せられ、新生児集中治療室付に入った。ダウン症というだけのことで元気だったのに、いろいろな検査をするため。

生まれたての赤ん坊は、母親と一緒にいるべきなのに。

喉が渇いた、と言うと夫がお茶を買って来てくれたが、一口飲んで吐いた。

車椅子を押す看護婦の同情した目と、同情を表さないようにする配慮。

 

猫の心臓病のときに通い慣れた動物医療センターに到着し、車から降りて救急のピンポンを鳴らすと獣若い男性がふたり出てきてザックを抱えてさっさと中に連れて行く。

すぐに血液検査、レントゲン、エコーといろいろな管に繋がれ、台の上に寝かされる。

私はザックからいっときも目が離せない。

いっときも手を触れずにはいられない。

検査結果が出るまで外に出るように言われる。

ここにいてはダメですか、と聞くと、じゃまです、待合室でお待ちください、と言われる。

そうだよな、ザックの上に三、四人スタッフが屈みこんでいる。

 

私は、車のなかで吐いたあと、今度は頻尿のようになって、たびたび下のトイレに行く。このトイレも以前よく利用した。

スイッチを押さなくても、自動に探知して電気が点く、清潔で近代的なトイレ。

 

血液検査、レントゲンの検査結果が出るまで待つ間、0時すぎの夜間救急動物センターに駆け込んでくるひとがあとをたたない。

あたたかな数日のあとの寒気の夜。

私たちが着いたとき着ていた男女が人組み、そのあと駆け込んできたひとたちが二組。どの顔も深刻だ。

 

獣医に呼ばれる。

若くて太った男性、しきりに額の汗をぬぐう。

「死ぬ一歩手前でした」と言われる。

このまま点滴をどんどん流して様子を見る、翌朝回復していたら、別の病院に移して開腹手術、と言われる。

超音波に消化管のところに二センチくらいのものが映る、これが原因じゃないか、と思うが、はっきりはわからない、と。

ザックが飲み込んだと疑われるタオルを、夫が持参していて、遠慮がちに見せようとするが、獣医は興味がなさそうで、それが消化管に詰まっているとは考えにくい、と言う。

朝までは、こちらで預かるので、いったん帰って待ってください、なにかあったら連絡します、と言われ、家を出る前は、入院って言われたらどうする、娘に聞くと、そのときは連れて帰ってこよう、と話していたのだが、そうはならない。

そうか、ここにザックを置いて行くのか、と考えている。

良い状態じゃないことだけは覚えておいてほしい、と言われ、万一あぶなくなった場合の処置としてどこまで望むか、と聞かれたとき、夫より先に、延命のようなことは望まない、むしろ自然なながれで亡くなることを希望している、と私が答えた。

 

三人で帰宅したのが二時過ぎで、それぞれが電話を枕もとに置いて寝る。

猫がにゃあにゃあ鳴いて、ばたばたと上行ったりした行ったりしている。異変を感じ取っているのだ。

三時近くに電話がなり、血圧は落ち着いてるが、と肯定的な情報を先に言ったあと、腹水の中に細菌が見られ、緊急手術になるかもしれない、と言う。

いますぐではないが、そうなった場合承諾書をかいてもらわないといけないから、お手数ですがもう一度来て欲しい、と言う。

この状態で手術できないから、明朝まで待って、と言っていたのに、切ると言うのだ。手術して命が助かる見込みは、どれくらいあるんですか、と言うと、手術しなければ確実に死にます、手術すれば何割かは助かる可能性がある、と言う。

家族と相談します、と言うと、次に連絡するまでに考えておいてください、と電話を切る。

ひとり考えていると、娘が下からあがってきて、

彼女はザックの具合がわるくなってからずっと、一階のソファベッドで寝ていた。

なんだって、と聞く。

手術するかどうか、私はザックには耐えられない、と思うけど、萌はどうしたい、と聞く。

ガスストーブを点けて背中をあたためながら、しばらく考えている。

「手術したい」

とひとこと。

私もひとこと、わかった、萌は手術だね、お父さんにも聞いて見るから、とだけ言う。ここでなにか言うと自分の意見を変えてしまうかもしれないから、我慢してなにも言わない。

娘は下に戻って行く。

隣りの娘の部屋で寝ている夫に、どうする、と聞くとなかなか返事をしないので、次に連絡があるまで考えておいて、と言って自分のベッドに戻る。

 

次の電話は、すぐにかかってきた。

結論でましたか、どんどん状態が悪くなっているので、腎不全も起こしている、と声が焦っている。

意見が分かれていて、と言い、いまから行ってもいいですか、と言うと、もちろんです、と言われる。

夫はいびきをかいて寝ていてなかなか返事をしないが、揺さぶって、どうする、電話があった、と言うと。

じっと黙ったあと、手術、と答える。

わかった、二対一だから、いいよ、と言う。

私はもうすっかり自信を失っていて、なにが正しくてなにが間違っているのかわからない。

当然と思っていたことがぜんぜん誤解だったり、こんなことあるわけない、と思っていたことが当たり前に持ち上がって来たり、そんなことがあるのだ。

六十三歳のいま、思うこと。

ふたりが手術したい、と言うのなら、私も従おう、とこの時点では思う。

翌日仕事の夫にこのまま寝ていて、萌と出かけるから、と言うと、ほんと、と言ってそまま寝ている。

私は下に寝ている萌を起こし、かわりに夫に下で寝てもらうことにして車を出す。

 

午前三時の道路は空いていて、車も通らず、いつもと同じ道とは思えない。

我が家から深沢への道は、娘が転校後三年間通った私立小への近道で、学校へ行きたくない娘をむりやり車に乗せて、朝食のおむすびなどをたべさせながら、顔色のわるい子を強制的に学校へと運んだ道なのだ。

厳しい日々だったのに、なぜかこの道を娘とふたりで通るのが楽しい。

猫の通院時代も、車のなかで娘とふたりでいろいろな話をした。

 

その道も、いつもとは違うながめである。

私は道を間違えて、右折すべき道を通り越してしまう。

次の右折道路は例によって一通で、仕方なく左折してもとの道に帰ろこうとして、これまた例によって迷ってしまう。

一刻を争う事態なのに、こんなにうろうろ時間をロスして、とよろよろ夜中の世田谷を運転しながら、あたまががんがんしてくる。

助手席の娘にナビを頼むが、スマートフォンのほうが早い、とスマートフォンのナビに従って救急センターへ向かう。

こうしているうちに、ザックがもう手術できないほど弱って、手術するかしないかの決断をしないで済んだらありがたい、という気持ちがちらっとかすめて、あわてて打ち消す。

うろうろと道に迷ううちに、トイレに行きたくなる。

 

やっと到着してトイレに駆け込み、二階に上がって行くと、奥の治療室と待合室のあいだにある診察台のある部屋で、獣医と娘が向かい合っていた。

どうですか、と聞くと腎不全も起こしているし、いますぐ手術をしても三割、実際には手術の準備などの時間を考えると二割、と言われる。

それでも手術をしたい、と萌が言うか、と思ったら、

「もういいかな、手術しなくても」

と、涙でうるんだ目で言う。

獣医も、われわれとしては、このまま死んでしまうのに、できる処置はないか、と考えるが、手術をしても死なないという保証はないし、ご家族の判断でいいと思う、と言ってくれる。

会えますか、と聞くといいですよ、と中に入れてくれ、さまざまな検査器具の並ぶ治療室の、ガラスばりの酸素ケースの中でザックが首を回して、こっちをすっきりと見上げている。

ああ、ザックと小さな窓から手を入れてザックを撫でる。

萌を見上げて「連れて帰る?」と聞くと、

萌がうなずいて「連れて帰ろうか」と言う。

 

獣医は、私が救急センターの前に車を回すまでの時間・・またしても夜中の一通を曲がったり折れたりしながら時間がかかる・・ザックを抱いて、萌と話しをしてくれていた。

ザックは全然眠らないで、きょろきょろひとの顔ばかり見ていた、と。

いつもいつも私の姿を探して、私を目で追ういきもの。

 

ザックあたたかくなってきたね、と後部座席でザックを抱きながら萌が言う。

そうか、よかった、ザック、よかったね、がんばったね。

 

帰宅したのは五時半。

ソファで眠る夫に、ザック連れて帰って来た、と言うと、そう、とひとことだけ。

九時になったら、近所の獣医に電話しよう、八時にはファックスで経過を知らせておくことになっていた。

それまで保たないだろう、と思えたが、もし生きながらえた場合、痛みどめが六時間後には切れてしまう。

その場合のことや、もし、もっと生きた場合、明日の仕事のあいだ見てもらえる場所が必要だった。

そんなところまでザックが生きるとはとても思えなかったが。

 

呼吸は早く、苦しげで、私は志賀直哉の「母の死」という短編を思い出す。畳に敷かれた布団の上で、だんだん息の間隔が遠くなって行く実母のありさまの描写がこわいほどだった。

いまザックの息は、とても早く、荒い。

痛み止めを打ってしまったので、治療室できっと私たちを見上げたのが最後になった。ぼんやりとしてまった。

そのことは残念でならない。

いつもいつも、あれが最後とわかっていたら、と悔やむ。

自分を悔やむ。

 

ザックが息を引き取ったのは午前九時三十五分。

娘が最後まで腕のなかに抱き、ザック、ザックと声をかけつづけた。

おかあさん、と外に出た私を娘が呼んだ。

あわてて中に入ったそのときは、もう呼吸が止まっているように見えたが、ザックはそれから大きく苦しい息を口から三度吸ってから、動かなくなかった。

 

眠っているような穏やかな顔。

いつもいつも私を探している不安定なザックが、静かにひんやりと横たわっている。

十年三カ月の命。

私たちと暮らした九年八ヶ月。

 

こんなふうに、命が唐突に断絶し、繋がっているかに思えたときの流れがぷっつりと切れてしまうと、どうしてよいかわからなくなってしまう。

 

そういえば、今年の元旦、夫が挙げていた凧がちょっと目を離したすきに、風に持ち去られ、後を追ったが、高度を増して多摩川を超え、見えなくなった。

そう言うと、それは関係ない、そのあと別な凧拾っただろ、と土手からの帰り道に糸の切れた凧を見つけて、苦労して糸を手繰り寄せて持ち帰ったことを、夫は言うのだ。

 

 

 

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犬の死 一部始終・前

水曜日の朝。

京王線高幡不動駅で、多摩モノレールに乗り換える通路から不動尊の山の紅葉を眺めていると急にわなわなとして、心が乱れどうにかなりそうなる。

 

前日、火曜日の犬の散歩。

歩くのがきつそうなザックをやや引っ張るようにして、ピッキーを連れた萌につづく。

歩道橋を登るのもやっとだった数日前よりはよい、となんでもよいほうに結びつけている。

 

 線路沿いの道は、急な土手の下を私鉄が走っているのだが、ザックはよく、土手に生えた草をくんくん探していた。

夏に、よくそういうことをして、元気がないときはときに、葉っぱを食べたがり、葉っぱを見つけるとむしゃむしゃと食べて、通りかかってひとが珍しがって、あらなにたべてるの、などと聞いてきたりした。

多摩川に出る前に何箇所が引っ張るようにして葉っぱを食べたがる場所があって、ことに平屋の一軒家の庭の桑の葉はお気に入りだった。

夏のあいだに空き家になってしまった一軒家の庭の木は、短く剪定され、ザックがむさぼるように噛んでいた葉も切られてしまった。

 

こんな状態になりはじめの三週間前、ひとりで散歩に連れて行くと、引っ張って線路の柵の中に入り、猛烈ないきおいで草を探していた。

本能で救いになる植物を探しているのだろう、としばらく様子を見ていたら、からだごと土手に入り込んでしまい、線路に転げ落ちたら大変、とリードを柵に絡め、両手で持った。

臆病な犬は、柵に頭からくぐるのに苦労した。

今はもう、しない。

そのことがなにを意味するのか、はそのときはわからない。

 

「ザック土手まではむりだ、私ピッキー連れて行くから、萌ザック連れて先帰ってくれる」

と言う。

「きょうは宝来公園までにしよう」

 

家から宝来公園までの散歩のルートは最短距離。

宝来公園から、坂を登って多摩川台公園までのコースが二ばん、

多摩川台公園から、古墳の道を通って、見晴台まで行くコースがその三ばんめ。

そして、多摩川の河川敷までの行くコースが、このこたちを保護してきたとき自分に課したルート。

ザックは、生後七ヶ月まで、檻のなかに他の犬たちとぎゅうぎゅうに押し込められ、私がその檻のなかからザックを選んだのは、餌がもらえると前に出よう出ようとする犬たちに押され、前に出ようとすると横取りされ、また出ようとして別の犬に阻まれ、まごまごした、自信のなさそうな子。ガリガリにやせて、汚物まみれ、なにより歩くことができない。ちょっとした物音や気配にパニックになると上に飛び跳ねた。初めて河原で、ノーリードで放したときは、カンガルーのようにぴょんぴょんガニ股で砂利の上をはねた。

 

前の犬のときにはなかなか河川敷まで行けなかった。

犬が川に飛び込んでしまうという習性もあったが、私の体力がそこまで保たなかった。萌がまだ小学生で、犬の散歩は週末を除いて私しかできない。

娘の体重がやっと犬の体重を超えたあたりでこの犬も突然死んでしまった。

八才だった。

ゴールデン・リトリバーのブックは体重が三十キロを超えていた。

おとなしい、やさしいこだったが、川だけは抗いがたく、川に飛び込むと一時間、二時間戻って来なかった。

呼べと叫べど。

 

娘がスリランカから帰って、地元の小学校で苦しんでいたころ、誕生プレゼントとして夫と私が贈ったのだ。

スリランカの古の首都キャンディでストーンロッジというへンションを営んでいた女性が飼っていたゴールデンの愛らしさがこころに残っていた。

一生のうちに一度、私もこんな犬を飼いたい。

 

小学校時代の娘はしばらくケージに入りって犬に寄り添い、気持ちをなだめてから部屋に上がってくる、という毎日だった。

不適応状態を相談しに行っていたカウンセラーは、服が汚れる、きたない、などと決して言ってはいけない、と私に言った。

 

娘が、私立小学校に転校し、なんとか中学を卒業した春、高一になる四月二日に、この犬は突然息を引き取った。

この突然の不在のおかげで、四月の末に動物病院の張り紙で知った里親募集に飛びついた。

劣悪なブリーダーから犬を保護するという個人活動家とは、一悶着あったが。

 

 

宝来公園に着くと、不思議なことが起こる。

銀杏の木が強い風に揺すられて、黄色く紅葉した葉っぱがざーっという音とともに頭上を舞い始める。

あたたかな一日、翌日から真冬の寒さに戻る、という予報。

大気が上空で交代しているのだ。

はじめは、葉っぱが舞う程度だったのが、そのうち激しく、吹雪のようになる。

前が見えなくなるほど金色の嵐がざあざあ吹雪くなかに、娘と私、ザックとピッキーは佇んでいた。

これまで経験のない景色。

こんな黄金の嵐を見たことがない。

このとき、これはなにかの暗示だろうか、ザックとの終わり?

怖れ怖れて、その怖れをうち消そうと弱くもがく。

 

「じゃあ、ブックはここまで。私ピッキーと土手まで行くわ、このこもむりさせてるから」

リードを交換して、私がピッキーと行こうとすると、ぎゅっとザックが私のほうに寄ってくる。

「ザック、おねえさんと帰って」

と言うと、置いていかれてはたいへん、とばかりに私のあとを追う。

そのときの、マスクで隠れた顔にサングラスの娘の目と見合わせ、なにもいわずに再びリードを交換する。

ゆっくり多摩川台公園まで歩く。

休日は空いてない川を見下ろせるベンチに座って、砂場であそぶよちよち歩きの男の子と、素朴なかんじの母親をふたりでながめている。

眺めながらも、私はザックの腰部活点という箇所に気を当てているのだ。

 

高幡不動の山の紅葉を見て、急にわなわなしてきたのは、前日の黄色い嵐が交差したからか、私はザックがぬきでいる、と思う。

仕事に出ると、ひっきりなしに安否確認するラインも、この日怖くてできない。

《ザックへいき?》という文字を打つことができない。

 

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