赤ちゃん

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雨の日曜日、パリからやってきた友人の息子とティーサロンで待ち合わせしたら、妙な背負子に赤ちゃんを背負って登場した。

子連れを敬遠しそうな、セレブ感ある場所ではあるが。チビがハーフだとその眼差しも寛容。

途中オムツ交換に立ち上がって彼が入って行ったのは紳士トイレ。

オムツどーした?と後で聞くと、トイレに捨ててきた、と言う。紳士トイレに捨てられた紙オムツ、どー処理されただろう。

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サトクリフという作家

こちらも石井桃子さんのエッセイで知ったファンタジー作家。

「思い出の青い丘」という自伝を図書館で借りてきた。

うまくない翻訳。

 

サトクリフの赤ちゃんのころ、幼児期、歩くことができないと分かってからのもの。

父親の一緒に写っているから、撮ったのは母親だろう。

父親の、ユーモラスな愛情たっぷりの笑顔と、いたずらっこの娘。

 

 

いつか、まだ東急線目黒駅のホームが高台になっていたころ、目黒区のプールへ泳ぎに行った帰り、

小学生くらいの女の子と、足元にうずくまるようにかがんだ父親の光景に目を奪われたことがある。

世界にふたりだけ、というような親密さ。

女の子の両足に歩行器付きのブーツが装着されていて、その日プールに来ていた養護学級の子どもたちのひとりだったことがわかった。

女の子の髪もお父さんの髪もプールの水で濡れていた。

父親は、うっとりするように娘の顔を見上げていて、女の子はふわふわ笑っていた。

障がいのある子と親。

 

ほんとうに、世界にふたりだけだったら、と思う。

 

サトクリフは、母親の必死の特訓に答えて痛ましい訓練、痛ましい外科手術に耐えてきたが、ついに思うようには歩けなかった。

母親の死後、念願叶って車椅子となり、父親とふたりで世界旅行へ出かけた、と言う。

 

手綱をゆるめることができない母の苦労もわかる。

ふたりを傍観しながら、愛情を注ぎ続ける父の胸の内も理解できる。

 

「親」として、じぶんはだめだったなぁ、と思う。

だが、父よりはましだ、そのことに間違いはない。

「パパ、あんたよりはましだよ」

父の本棚に「ヒトはなぜ子育てが下手か」という松田道雄の新書があったことを思い出すが。

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アリソン・アトリーの生涯

クレヨン・ハウスで「アリソン・アトリーの生涯」という本を見つけて早速図書館にリクエストする。

年末年始にまたがり三週間ほど借りて入られたため、なんとか読みきった。

石井桃子さんが、アトリー女史について

「日本の読者がともすれば考えがちな、ティム・ラビットを作り出したやさしい女性というイメージとは違う。」

と書いていたのがずっと気になっていたのだ。

 

読みきってみると、90歳以上まで生きて、創作意欲もすごいが、金銭欲も並々ならない。

死後、家の中から、高価な美術品や銀食器などが見つかり、精神的にも物質的にも困窮していた息子に、経済的援助をすることを拒み、貸した金は返済させ、いつまでも自分に頼ろうとする息子のため、と称して自分の稼ぎを隠していた。

凄まじい息子への執着と息子の嫁への変わることのない悪意。

息子のジョンはアトリーの大往生のわずか数年後、父親同様自死を遂げる。

アトリーの稼いだ金品は、息子の嫁に渡らないよう周到に遺言が残されて居たという。

 

ときおり、「アリソン・アトリーの生涯・・物語の紡ぎ手」と題してアトリーの誕生から亡くなるまでを書いたデニス・ジャッドという伝記作家の筆から嫌悪感が滲み出ている、と感じるのは私の感情の投影だろうか。

 

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高幡不動駅

分倍河原で降りて高幡不動で降りる。

前日までは、別の路線で行こうか、どうしようか、と思っていたのだが。

正月明けの現場、20分も早く着いてしまう。

高幡不動のルパでスープでも飲んで温めてから向かおう、と思う。

寒いところで時間をつぶすのはつらい。

たいていの場合我慢してしまうのだが・・。

いくばくかの現金を稼ぎに行く途中で金を使うのがいやなのだ。

ひとりで飲食するのが苦手だ、ということもある。

 

ルパに入ってスープありますか、と聞くとない、と言われる。

隣りのドトールに入って同じ質問をするとそこもない、と言われ、仕方なく小さなコーヒーを注文する。

 

素晴らしい晴天。

高幡不動尊への山門は、窓際の席からは見えない。

澄んだ青空が、大きな窓から見渡せる。

いやなふがふが笑いの男性サラリーマンがふたり入ってきて、座ってからはまったく会話しないので助かった。

斜め向かいに茶髪がぞろっと長い、コゲ茶色のベレー帽をかぶった女性。

同系色の長めのセーターにロングスカート、足にはボアの着いた短ブーツ。

つい、いくつくらい?と見てしまう。

若作りしているかんじ。

こういうファッション案外若い女性はしていないから。

色白のきれいな肌をしているが。

じろじろ見すぎたのか、気がつくと居なくなっている。

トレイを戻し、帰ろうとしたときに、奥の席に居て目をそらした。

向こうも私を見てたのだ。

年齢を値踏みする私の視線は、さぞ不快だったろう。

自分の年齢についていろいろと考えるようになってから、他のひと(女性)の見た目年齢がどうしても気になる。

 

ドトールを出て、あの通路をどう通過したのか、思い出せないほど、先を急いだ。

 

高幡不動の紅葉を、わなわなと震えた、心がざわざわ乱れて右往左往したあれはなんだったのだろう?

その日のうちにザックを失うことになる予感だったのか。

 

ザックとの9年8ヶ月の終了は、私にとって大型犬と過ごす人生の最後となり、これでいよいよ老年期に入る、ということでもある。

ザックの喪失は、さまざまな喪失の集合であり、かれの不在にまだまだ慣れることはできないが。

 

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正月あけ

明け方、かたわらの夫が苦しそうなイビキをしている。

疲れているんだなぁ、お正月休みゆっくりすればいいや、と思い、

思ってから、

あれ?

お正月って終わっちゃったんだ、と気づいてふとんの中でどーーーっと疲れる。

 

29日に、突然親戚から電話があって、田舎から上京しているのだが、泊まる予定の家にインフルエンザが出て、子どもに感染ると心配だから、そっちに泊めて欲しい、と言われる。

抵抗を試みたが、抵抗しきれず、徹底的に拒んだ場合に残る後遺症を思うと、この場合受けいれざるを得ない。

 

この子連れの親戚には意見したいことが山ほどあって、長いことこころのなかでジリジリしていた。

ひさしぶりに会ってみて、つくづくなにも言うまい、と決めた。

これまで言って来た、言いづらい子育てについてのこと、彼女と親の関係についてのこと、そのどれもがなんの効果もないことが、よく分かる。

なんだ、言っても言わなくてもおんなじなんだった、と思った。

ああ、それなのに、最終日(1月4日!)なんとなくふたりで話し込んでいたら、長いことためこんできたお説教(うっぷん)がふいに出てきてしまう。

・・また〜あんた、やめときや〜・・

 

年末年始ばっちりの滞在を終えて、大きなリュックに子どもの手を引いて帰る彼女は、別れ際私と目を合わせない。

ああ、言うまいと決めたのに。

娘に言うと、それはまずいよ、他の親戚との関係にも響いてくるよおかあさん、と言われなおさら落ち込んだ。

 

残るも地獄、去るも地獄。

 

と思っていたら、こういう正月を過ごしたのは、私だけではないらしい。

正月明けのヨガ会場。

孫を連れて年末年始滞在していた嫁の愚痴を聞かされた。

体調は思いっきり悪そうである。

嫁滞在中、38度まで発熱したとのこと。

紙オムツは、ここに捨ててね、と言うのにオムツを替えたその場に置き去り、

食べた後片付けをしない、

機嫌がわるくなると二階に孫と上がって降りてこない、

孫を叱りすぎる。

などなど。

 

聞いていて、そうだよなあ、私たちのころはこうしたもんだよ、とか

最近のひとはこうだけど、

などと年寄りに言われると、いらっとしたものだ。

そして、嫁さんにせよ、親戚にせよ、彼女たちが自分の思い通り東京に滞在し、居座る根性にはわれわれにはとても勝ち目がない。

老兵は去るのみなのだ。

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2016年 12月30日

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30日のホームセンターは、此の期に及んで家のなにやかやの作業に必要ななにやかやを購入するため、

大きなカートを押して夫婦でごたごた長さや幅について話し合っているひとたちでいっぱいである。

私は、ホームセンターに入ると気分がわるくなる。

が、夫はホームセンターに入るやいなやハイになって目玉がきょろきよろし始める。

超速で棚と棚のあいだを歩き回り、品々におそろしく集中する。

小型犬を見せびらかしにカートに乗せているカップルもいる。

一度まねをしてチビを連れてやってみたが落ち着かないし、どうせ犬連れは見せびらかすのが目的なのでへんな競争意識で犬をチラ見するのである。

 

われわれが購入したのは、木材と蝶番。

いつものことだが、車まで運んでから、車で運べるかどうか算段がはじまる。

一度イケアでめいっぱい買い込み、車のとびらが半開き状態で高速を走って帰ってきたことがある。

木材をななめに車に入れると、端がハンドブレーキを覆い危険である。

娘が後部座席で支え、私が角材五本をハンドブレーキから浮かせておかなくてはならない。

 

どうせここまで来たんだから、一度偵察に行ってみよう、とふらふらと懸案の住所にナビで行ってみる。

住所が判明してから、一ヶ月半、まだ確かめる勇気が持てずにいる。

このへんこのへん、とうろうろと路地に入り込み、目当ての住所には目当ての表札がある。

私だけ車から降りて、その家にほんとうにひとが住んでいるのか。

手入れのされてない庭には、緑がうっそうとしているが、門がまえに正月用のしめ縄がぶらさがっている。

二階建のふるい建物の二階の窓のカーテンがヨレている。

まるでひとが住んでいないようなのだ。

家の前を行ったり来たりするが、とてもピンポンする勇気は持てない。

玄関の扉の屋根と、家屋のひさしに猫がいる。

この家は、一体どうなっているのだろう、奥のほうを見ると、むこうからおんなのひとがこっちを見ている。

すみません、と思わず言う。

〇〇さんですか?

 

はい、と門まで出て来たそのひとは、素敵な色使いの首巻きとオレンジ色やブルーの重ね着に白いスウェットパンツを履いている。

私がイメージしていた六十九歳のひととは違う。

母が何十年も昔、前の婚家に残して来た娘のイメージとは違う。

母は激しい気性で、穏やかなその方と結びつかない。

でも、そのひとだった。

同じ母から生まれ、母から置き去りにされた三姉妹のうちのふたりなのだ。

こんな近くに、何十年も知らないまま暮らしていた。

 

 

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