花見

最後に会ったのいつだったけ?

ほら、イギリスがEU離脱して、まさかのことが起こるね〜ヒラリーじゃなくてトランプになったりして、なんて話してたから、6月?

 

友だちは、私鉄駅の柱の影に隠れるように立っていて、はじめ見つからない。

久しぶりに会うと見事なまでの白髪。

去年駒場で花見をしたときは、ザビエルのような髪染めのまんなかが白抜きになっていたのが、枝ぶりのよい桜を写メしたらすみっこに写っていた。

退職直後のことで、以来白髪染を止めた、のだそうだ。

 

寡黙で、話しがぽんぽんすすまない。

私は早口で、高圧的な話し方をするたちなのに、彼女はうーとかあーとか、最近はそれもなくて、しばらく黙ってから、つなぎの話しを始めたり、しばらく黙ったから待っているとなにも言わなかったりする。

しかも、お花見どうですか?

とメールが来て、いいね、行こうと返信して日時を決めると、でも1時までです、などと言ってくる。

 

本門寺の桜はまだだった。

幸田文のお墓に案内されたから、私が文さんを好きなのは覚えていてくれたのだろう。

幸田家のお墓に、文さんの弟のお墓を探したけどわからなかった。

かわいそうな弟。

露伴が出世してから、再婚した相手の女性は出のよいクリスチャンで、小さいころに母を亡くして育って来た文さんと弟を見下す。

自分の子は死産であった。

私の子が生まれるとあんたたちの劣等さが露わになるから、神さまが召されたのだ、ととんでないことを言うひとである。

大酒飲みの露伴ともうまくいかない。

この女性と露伴はほどなく別居してしまう。

弟は、からだが弱くて、小さいころは皮膚病に悩まされ、とくに夜ひどくなるのを文さんが面倒を見た、という話しだったと思う。

弟がグレて、露伴が殴ろうとするのを文さんがあいだに入って止め、逆に父親がひっくり返って、文さんがこっぴどく叱られたり、なんとも悲しい父と子どもたちの図だった。

この弟は結核で早く亡くなったのではなかったか。

幸田文の文章のリアリズムは、結核病棟の小説(闘という小説)を読むと、あたかも結核菌に感染るがごとくである。

 

そんな話しを友だちは、興味なさそうに聞いている。

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友だち「この桜有名なんだって」

私「へえ、なんで?」

友だち「うぅ・・・」

 

赤ちゃん

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雨の日曜日、パリからやってきた友人の息子とティーサロンで待ち合わせしたら、妙な背負子に赤ちゃんを背負って登場した。

子連れを敬遠しそうな、セレブ感ある場所ではあるが。チビがハーフだとその眼差しも寛容。

途中オムツ交換に立ち上がって彼が入って行ったのは紳士トイレ。

オムツどーした?と後で聞くと、トイレに捨ててきた、と言う。紳士トイレに捨てられた紙オムツ、どー処理されただろう。

サトクリフという作家

こちらも石井桃子さんのエッセイで知ったファンタジー作家。

「思い出の青い丘」という自伝を図書館で借りてきた。

うまくない翻訳。

 

サトクリフの赤ちゃんのころ、幼児期、歩くことができないと分かってからのもの。

父親の一緒に写っているから、撮ったのは母親だろう。

父親の、ユーモラスな愛情たっぷりの笑顔と、いたずらっこの娘。

 

 

いつか、まだ東急線目黒駅のホームが高台になっていたころ、目黒区のプールへ泳ぎに行った帰り、

小学生くらいの女の子と、足元にうずくまるようにかがんだ父親の光景に目を奪われたことがある。

世界にふたりだけ、というような親密さ。

女の子の両足に歩行器付きのブーツが装着されていて、その日プールに来ていた養護学級の子どもたちのひとりだったことがわかった。

女の子の髪もお父さんの髪もプールの水で濡れていた。

父親は、うっとりするように娘の顔を見上げていて、女の子はふわふわ笑っていた。

障がいのある子と親。

 

ほんとうに、世界にふたりだけだったら、と思う。

 

サトクリフは、母親の必死の特訓に答えて痛ましい訓練、痛ましい外科手術に耐えてきたが、ついに思うようには歩けなかった。

母親の死後、念願叶って車椅子となり、父親とふたりで世界旅行へ出かけた、と言う。

 

手綱をゆるめることができない母の苦労もわかる。

ふたりを傍観しながら、愛情を注ぎ続ける父の胸の内も理解できる。

 

「親」として、じぶんはだめだったなぁ、と思う。

だが、父よりはましだ、そのことに間違いはない。

「パパ、あんたよりはましだよ」

父の本棚に「ヒトはなぜ子育てが下手か」という松田道雄の新書があったことを思い出すが。

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アリソン・アトリーの生涯

クレヨン・ハウスで「アリソン・アトリーの生涯」という本を見つけて早速図書館にリクエストする。

年末年始にまたがり三週間ほど借りて入られたため、なんとか読みきった。

石井桃子さんが、アトリー女史について

「日本の読者がともすれば考えがちな、ティム・ラビットを作り出したやさしい女性というイメージとは違う。」

と書いていたのがずっと気になっていたのだ。

 

読みきってみると、90歳以上まで生きて、創作意欲もすごいが、金銭欲も並々ならない。

死後、家の中から、高価な美術品や銀食器などが見つかり、精神的にも物質的にも困窮していた息子に、経済的援助をすることを拒み、貸した金は返済させ、いつまでも自分に頼ろうとする息子のため、と称して自分の稼ぎを隠していた。

凄まじい息子への執着と息子の嫁への変わることのない悪意。

息子のジョンはアトリーの大往生のわずか数年後、父親同様自死を遂げる。

アトリーの稼いだ金品は、息子の嫁に渡らないよう周到に遺言が残されて居たという。

 

ときおり、「アリソン・アトリーの生涯・・物語の紡ぎ手」と題してアトリーの誕生から亡くなるまでを書いたデニス・ジャッドという伝記作家の筆から嫌悪感が滲み出ている、と感じるのは私の感情の投影だろうか。

 

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高幡不動駅

分倍河原で降りて高幡不動で降りる。

前日までは、別の路線で行こうか、どうしようか、と思っていたのだが。

正月明けの現場、20分も早く着いてしまう。

高幡不動のルパでスープでも飲んで温めてから向かおう、と思う。

寒いところで時間をつぶすのはつらい。

たいていの場合我慢してしまうのだが・・。

いくばくかの現金を稼ぎに行く途中で金を使うのがいやなのだ。

ひとりで飲食するのが苦手だ、ということもある。

 

ルパに入ってスープありますか、と聞くとない、と言われる。

隣りのドトールに入って同じ質問をするとそこもない、と言われ、仕方なく小さなコーヒーを注文する。

 

素晴らしい晴天。

高幡不動尊への山門は、窓際の席からは見えない。

澄んだ青空が、大きな窓から見渡せる。

いやなふがふが笑いの男性サラリーマンがふたり入ってきて、座ってからはまったく会話しないので助かった。

斜め向かいに茶髪がぞろっと長い、コゲ茶色のベレー帽をかぶった女性。

同系色の長めのセーターにロングスカート、足にはボアの着いた短ブーツ。

つい、いくつくらい?と見てしまう。

若作りしているかんじ。

こういうファッション案外若い女性はしていないから。

色白のきれいな肌をしているが。

じろじろ見すぎたのか、気がつくと居なくなっている。

トレイを戻し、帰ろうとしたときに、奥の席に居て目をそらした。

向こうも私を見てたのだ。

年齢を値踏みする私の視線は、さぞ不快だったろう。

自分の年齢についていろいろと考えるようになってから、他のひと(女性)の見た目年齢がどうしても気になる。

 

ドトールを出て、あの通路をどう通過したのか、思い出せないほど、先を急いだ。

 

高幡不動の紅葉を、わなわなと震えた、心がざわざわ乱れて右往左往したあれはなんだったのだろう?

その日のうちにザックを失うことになる予感だったのか。

 

ザックとの9年8ヶ月の終了は、私にとって大型犬と過ごす人生の最後となり、これでいよいよ老年期に入る、ということでもある。

ザックの喪失は、さまざまな喪失の集合であり、かれの不在にまだまだ慣れることはできないが。

 

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