桜の下

桜の花が満開になったら、と決めていた。

寒い日が続き、なかなか咲かなかった桜が、いったん咲き出すとあっというまに大ぶりの花びらをつけ、二階の窓を開けると鼻先にぐいと顔を寄せてくる。

 

四月九日日曜日、雨。

午前中、小止みのときにを狙って、三人で外へ出て、あらかじめ掘ってあった穴のなかに、骨を埋めた。

手放せず、抱きしめて泣いていた骨壷の中を覗くと、そこには生きていたザックのかたちどおりの骨が入っている。

細くて薄い。

手のひらをあてたときのザックのあたまを思い出す。

 

夫は、多摩川の写真と北斎の描いた多摩川と富士山の絵葉書を一緒に埋める。

あいつは多摩川が好きだったからな、と。

前日、西荻窪の風呂屋近くで買った小さなバラの花を添えている。

ザックが土に帰り、もっと大きくなって、もっと近くに居る気がする。

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花見

最後に会ったのいつだったけ?

ほら、イギリスがEU離脱して、まさかのことが起こるね〜ヒラリーじゃなくてトランプになったりして、なんて話してたから、6月?

 

友だちは、私鉄駅の柱の影に隠れるように立っていて、はじめ見つからない。

久しぶりに会うと見事なまでの白髪。

去年駒場で花見をしたときは、ザビエルのような髪染めのまんなかが白抜きになっていたのが、枝ぶりのよい桜を写メしたらすみっこに写っていた。

退職直後のことで、以来白髪染を止めた、のだそうだ。

 

寡黙で、話しがぽんぽんすすまない。

私は早口で、高圧的な話し方をするたちなのに、彼女はうーとかあーとか、最近はそれもなくて、しばらく黙ってから、つなぎの話しを始めたり、しばらく黙ったから待っているとなにも言わなかったりする。

しかも、お花見どうですか?

とメールが来て、いいね、行こうと返信して日時を決めると、でも1時までです、などと言ってくる。

 

本門寺の桜はまだだった。

幸田文のお墓に案内されたから、私が文さんを好きなのは覚えていてくれたのだろう。

幸田家のお墓に、文さんの弟のお墓を探したけどわからなかった。

かわいそうな弟。

露伴が出世してから、再婚した相手の女性は出のよいクリスチャンで、小さいころに母を亡くして育って来た文さんと弟を見下す。

自分の子は死産であった。

私の子が生まれるとあんたたちの劣等さが露わになるから、神さまが召されたのだ、ととんでないことを言うひとである。

大酒飲みの露伴ともうまくいかない。

この女性と露伴はほどなく別居してしまう。

弟は、からだが弱くて、小さいころは皮膚病に悩まされ、とくに夜ひどくなるのを文さんが面倒を見た、という話しだったと思う。

弟がグレて、露伴が殴ろうとするのを文さんがあいだに入って止め、逆に父親がひっくり返って、文さんがこっぴどく叱られたり、なんとも悲しい父と子どもたちの図だった。

この弟は結核で早く亡くなったのではなかったか。

幸田文の文章のリアリズムは、結核病棟の小説(闘という小説)を読むと、あたかも結核菌に感染るがごとくである。

 

そんな話しを友だちは、興味なさそうに聞いている。

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友だち「この桜有名なんだって」

私「へえ、なんで?」

友だち「うぅ・・・」

 

赤ちゃん

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雨の日曜日、パリからやってきた友人の息子とティーサロンで待ち合わせしたら、妙な背負子に赤ちゃんを背負って登場した。

子連れを敬遠しそうな、セレブ感ある場所ではあるが。チビがハーフだとその眼差しも寛容。

途中オムツ交換に立ち上がって彼が入って行ったのは紳士トイレ。

オムツどーした?と後で聞くと、トイレに捨ててきた、と言う。紳士トイレに捨てられた紙オムツ、どー処理されただろう。

サトクリフという作家

こちらも石井桃子さんのエッセイで知ったファンタジー作家。

「思い出の青い丘」という自伝を図書館で借りてきた。

うまくない翻訳。

 

サトクリフの赤ちゃんのころ、幼児期、歩くことができないと分かってからのもの。

父親の一緒に写っているから、撮ったのは母親だろう。

父親の、ユーモラスな愛情たっぷりの笑顔と、いたずらっこの娘。

 

 

いつか、まだ東急線目黒駅のホームが高台になっていたころ、目黒区のプールへ泳ぎに行った帰り、

小学生くらいの女の子と、足元にうずくまるようにかがんだ父親の光景に目を奪われたことがある。

世界にふたりだけ、というような親密さ。

女の子の両足に歩行器付きのブーツが装着されていて、その日プールに来ていた養護学級の子どもたちのひとりだったことがわかった。

女の子の髪もお父さんの髪もプールの水で濡れていた。

父親は、うっとりするように娘の顔を見上げていて、女の子はふわふわ笑っていた。

障がいのある子と親。

 

ほんとうに、世界にふたりだけだったら、と思う。

 

サトクリフは、母親の必死の特訓に答えて痛ましい訓練、痛ましい外科手術に耐えてきたが、ついに思うようには歩けなかった。

母親の死後、念願叶って車椅子となり、父親とふたりで世界旅行へ出かけた、と言う。

 

手綱をゆるめることができない母の苦労もわかる。

ふたりを傍観しながら、愛情を注ぎ続ける父の胸の内も理解できる。

 

「親」として、じぶんはだめだったなぁ、と思う。

だが、父よりはましだ、そのことに間違いはない。

「パパ、あんたよりはましだよ」

父の本棚に「ヒトはなぜ子育てが下手か」という松田道雄の新書があったことを思い出すが。

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