2018年5月19日。
この季節、自分はどう生きてきたのか・とブログ振りかえる。
2011年の6月のブログより
BSで録画予約しておいた「獲物の分け前」を観る。
三十年ほど前、友人がVHVのビデオから録画してくれて、画像はいまいちであったが、実際に映画を観たのはそのときが初めだった。。
中学生のころウォルト・ディズニー映画「クレタの風車」に出演したピーター・マッケナリーという俳優に夢中になった。
ディズニー映画によく出演していた子役ヘイリー・ミルズが大人になって、初のキスシーンの相手役を勤めた(幸運な英国若手俳優)というふれ込みだった。
映画館で買ったパンフレットによれば、彼は英国シェイクスピア劇団のメンバーということであった。
蒲田東口にあった映画館で購入したペラペラのパンフレットには、撮影オフの日に砂浜、クレタ島の海岸にちがいない、に寝そべってなにやら話しているふたりの素顔の写真があった。
めの粗い白黒写真である。
驚くことにこの写真を今ネットで見ることができる。
この写真を中学生の私は、念入りに大切にながめていたもんだなーと感慨深い。
ピーター・マッケナリーについて知りうる情報はクレタの風車のパンフレットに載っていた小さな顔写真の下に書いてあった経歴だけである。
当時通学に使っていた田園調布駅は、ホームからホームへ渡るために階段の通路を越えなくてはならず、教科書の入った重いカバンをぶらさげて階段を登ったり下りするのはたいへんだった。
その通路に時々映画広告がはってあった。
ある日、いつものように通路をたらたらと通ると、ピーター・マッケナリーさんらしいひとが裸の女性の前で同じくで座っているポスターがあり、映画の題名は「獲物の分け前」となっている。
通路に立ち止まって、裸のマッケなりーさんのポスターに釘付けになるわけにいかない。
そうしたかったが。
そのときは知らなかったが、裸の女優はジェーン・フォンダであった。
どうしてもその映画が観たい。
早熟で知られるミヨちゃんに、一緒に行ってもらえないか・・と聞いてみたがタイトルに「獲物」とくればエッチなものに決まっているから、成人向き映画に違いない、むり、と言われ泣く泣く断念した。
それから数年たって、金沢文庫でひとり暮らししていた頃、新聞のテレビ欄で「獲物の分け前」を発見した。
テレビがあるにはあったが、アンテナがなく白黒の画像が流れたり途切れたりしてよくみえない。
ほとんど見えない画面に釘付けになった。
そしてドシャぶりの雨の茫々と流れる奥に映る映像ピーター・マッケナリーさんを発見したときは心臓が高鳴った。
「クレタの風車」以来の再会であった。
友人がくれた「獲物の分け前」を、初めて最初から終わりまで見たとき、ピーター・マッケナリーの持つ魅力にあらためて感動した。
中学生の私は「クレタの風車」というお子さま映画に出演していたピーター・マッケナリーの発散する性的魅力を理解していたのだろうか。
「獲物の分け前」という映画「父親の新妻と恋に落ちるひとり息子」という神話的テクストに、この英国俳優の風貌はぴったりと一致する。
もともとシェイクスピア劇団の役者ということだから、目なざしは強く演技に迫力がある。
相手役のジェーン・フォンダはこのとき、すでにアクターズでスタニスラフスキー・メソッドを習得したあとか前か・・わからないがイケイケである。
トランジスタラジオを持ってサンバを踊るシーンや、スケスケのカーテンを裸体に巻き付けてストリッパーのように踊るシーンなどは何回も巻き戻し、くり返し観る。
恋愛を三角関係で描くことはドストエフスキーから始まったのだ、と言ったのはイワン・イリイチだが、この映画の父と息子と若い女という構図は決してひとつの軸をまわっていないちぐはぐさが実にうまく描かれている。
三者それぞれのズレを三者のふとした表情や髪をかく微妙な仕草に語らせている。
若い女は若くはあるが、肉体が老いに向かう年齢に突入しつつあり、二十二歳の美しい男性に溺れる。
二十二歳の若者は父と継母のあいだにもつれこむ苦しさにあえぎながら所詮自分というものも、現実というものも楽観していない。
父親を裏切れない、というしばり以上に現実的な判断、
つまり「ふたりで逃げたってうまくいきっこないさ」という冷めた目が悲しい。
そしてミシェル・ピコリ扮する父親はキョーレツである。
初めて新妻と息子の不倫を疑い、息子のベッドで妻のネックレスを見つけたときの顔、
ふたつ並んだ枕のひつとを取り上げておそるおそる自分の鼻を近づけて、匂いを嗅ぐシーン。
彼はここであらましのすべてを理解する。
そのときのすさまじい目。
戸惑い、怒り、自己憐憫、
妻と自分の息子に裏切られて無惨に敗者となった彼は復讐を開始する。
彼がそうしようと思ったらもう、だれにも止められない。
徹底的に冷徹な男をピコリがさらりと演じる。
義理の母と息子であったふたりが、性的な関係に陥る瞬間のシーン。
はずみでもつれているうちにそうなる。
我にかえって立ち去ろうとする若者のすそに手をのばし行かせまいとする女。
沈黙が漂う。
そして一線を越える。
肉体が異なる意味を持ってしまう。
「母と息子」が「女と男」になって、嫉妬がうずまくようになり、罪悪感に責め苛まれながら
性的な関係から抜け出ようともがきながら、深くからみとられていく。
そしていよいよ行き詰まってどん詰まりで行き止まりになるまで、三者ともが禁制にひっかかりながら、爪を立てて抗い、あえぎ、苦悶する。
美しい舞台装置と魅力的な背景、
ヒッピー文化やモッズスタイル、
ロックンロール、東洋趣味といったものに華麗な彩られながら悲劇が展開していく。
「獲物の分け前」がビデオ販売された当時、高価で変えなかった。
「バディム監督の耽美主義」というキャッチコピーがこの映画の本質をよく表している。
映画製作は1966年となっていて、ジェーン・フォンダが反戦活動家になる前であり「ワーク・アウト」という空前絶後のベストセラーを出版する前でもあり、父ヘンリー・フォンダと和解して映画共演する前のことである。
バティム監督とのあいだに生まれた娘はジェーンがなにかに立候補した選挙直前に麻薬でラリっているところを保護されるという事件を起こしている。
ロジェ・バディムとの関係が、周囲の予想を裏切らずにすぐに破綻したあと、
再婚したジェーンが、新しい夫と夫のあいだにできた男の子、バディムとのあいだにできた娘の写真を雑誌で見たことがある。
ジェーン・フォンダは大きな金の輪のピアスをしてすがすがしかったが、娘だけひとり真っ白に顔を塗って道化師の化粧をしていた。
はにかんだように笑っていたが彼女ひとりだけカメラから目をそらしていた。
以来私はこの子のことが気になっていた。
一方ピーター・マッケナリーは、ウィキペディアによればこちらが知らないだけで英国のテレビドラマなどに出演していたらしい。
このひとはゲイにちがいあるまいと思っていたら、一度目の結婚でできた娘がなんとかマッケナリーといい女優をしている。
すっかり爺さんになったマッケナリーの顔写真とネットでお目にかかった。
大きな目のまぶたが完全にたれて一重になったにこやかな顔。
幸せな一生だったらしい。
原題は「La Caree」はらわたという意味のフランス語である。
原作はエミール・ゾラの中編である。
ミシェル・ビコリ以外のふたりは英語圏のひとだからフランス語は母国語でないはずだ。
ジェーン・フォンダは劇中カナダ出身ということになっていて英語で歌うシーンがあるが、ピーター・マッケナリーは一貫してフランス語を喋る。
このあたりの不均衡さもこの映画に不思議な魅力を添えている。
邦題は「獲物のの分け前」と記されてたが、英語圏では「The Game Over」というタイトルだったらしい。
ポスターの題が「ケームは終った」とか「ゲームの後」とかだったら、ミヨちゃんも付き合ってくれたかもしれない。
おませで知られたミヨちゃんは、同級生のなかで一番はやく亡くなった。