白熊ピース

誕生日の前々日、65歳になるまぎわで、少々感傷的になっていたのか泣きっぽい。

テレビを観ていると、白熊と飼育員さんが出てきて、よくみるとピースだった。

2009年の1月にやはりテレビで観た映像に心を打たれて書いたブログの白熊ピースであった。

https://kunierid.exblog.jp/10257155/

 

いまやピースは18歳に成長し、おなじ年齢を重ねた飼育員の高市さんの姿もある。

 

映像は、産み落としたばかりのくにゃっと生き物の頭を母熊がくわえて振り回しているところから始まる。

柵越えに観察していた飼育員さんたちが、度肝を抜かれて、声を上げている。

振り落とされたら死んでしまう。
頭だけぱっくりくわえられて生きているのか死んでいるのかぶらぶらした腕と足が無力に震えている。

しんでまうで、とか

あまがみやろな、とか怯えて見守る声。

なんとか口から放された産まれたての熊。

あの環境が、母熊にとってはセーフじゃなかった、ということなのだ。

そこから始まったのがひとに育てられた北極熊の成長の記録である。

 

胸がつまるのは、自立をうながすべく距離を取ろうとする高市さんを追いかけるピースの姿、

檻のなかで一緒に過ごす最後の日、高市さんが意識的にピースの甘えを振り切り、ピースは余計に高市さんにまとわりつく。

観ていてくるしい。

でも仕方ない。

体重が200キロもある熊とひとが、母と子のままではいられない。

 

ピースには持病がある。

いつになったら大丈夫なのか、安心できるのか、と思ってやってきたが、結局その日はやってこない、と語る飼育員。

ピースの身体症状が、母高市さんとの関係をいつまでも要求するのだ。

 

昔の名残の顔。

いまだに高市さんの手をなめていたときの舌の動きをみせるピース。

目は半目。

巨大なホッキョクグマが自立できない哀れともみえる表情のなかに、育児放棄した母と娘の歴史をみる思いもある。

全身全霊の愛をそそぎ、甘えをゆるした飼育員の存在がなければ、消えていた命である。

だから余計にうつくしく、感動的なのだ。

人工的でもなんでも生きられる命を生かすことができた、そのことがすばらしい。

 

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気がつくとなくなっている

お気に入りのものや店が気がつくとなくなっている現象。

 

立川ルミネにあった平和食堂のチャンポンはチョーおいしかった。

仕事帰りに寄るといつも椅子に座ったひとが並んでいてなかなか入れなかったが、イベントのある日などに時間をずらして入って味わうのが楽しみだった。

運動会の帰りに入ろうとしたら、なんと閉店。

 

お気に入りのペパーミントは、高級スーパーにしか置いてなかったが、あれ?そういえばみかけないなぁ、と改めて店員に尋ねてみる。

「英国性のミントはありますか?」と聞いても、月並みなミントキャンディーを示されるだけ。

「高級スーパー」が増えて、舶来食品が手に入りやすくなったのに、どこにも見当たらない。

ネットという手があった、とネットで調べると高値!

小さな缶入りミントの値段とは思えないような値段がついている。

なにが起こっているのか?

「きや」のたまごクラッカー。

有機食品店の黒いもけんぴ。

製造中止である。

おいしいお菓子が消えてしまう。

おいしいものは手がかかったり採算があわなかったりするのだろうか。

食べ物だけではない。

いざというときに頼っていた決して皮膚がかぶれない漢方の温湿布。

 

このような事態を恐れて気にいったものをまとめ買いする友だちがいた。

もとは私が見つけてきたドイツ製のベビー・クリームは香りがマイルドで油脂分も抑えめで気に入っていた。

アメ横でみつけた彼女がダースで買ってきて、分けてくれたりした。

といっても永久にもつものではない。

ベビー・クリームはあるとき劣化して使えなくなった。

 

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運動会

保育園の運動会で楽しみなのは、卒園生と会えることだ。

何人か気になる子がいる。

前の日から、なになにちゃんくるかなあ、あいたいなぁ、と思っている。

昨年受け持った子で、アトピーがあり他の子と一緒にいる光景がなかなか見られなかった子、

ゼロ歳から一緒に身体を動かしてきた子、など。

どの子もマイペースで、個性的。

 

あ!いたいた!

近づいていくと、遊びに熱中している。

やっぱりAちゃんだ、こちらをちらっと見るが、反応なし。

一緒に遊び興じているのは、どの子も卒園生。

懐かしい園庭で、おいかけっこに夢中なのだ。

なんとだれも私に気づいてくれない!

 

Aちゃん、となおも近づいていくと、私を見上げてああ、なんとなく覚えてる、と言う。

どう学校は、と聞くとうんおもしろい、だけど保育園のほうがもっとおもしろい、と言う。

そっか、としばらく佇んでいるが、だれも相手にしてくれないので、すごすご退散。

 

がっかり、なんだが、でもよかった!とも思う。

卒園して小学生になり、成長して、忘れていく。

通過していく。

 

 

妙薬あるいは毒

もやもやした台風の気圧。

頭がもやもやしていて集中できない、身体がぼてっとしている。

気分転換に外へ出るには日差しが超列で、

天気予報によれば危険な暑さ、無用な外出を避けろ、と警告を無視する根性はもとよりない。

 

わなわなしていて止めようがない。

心がなにかおかしい。

覚束ない。

こんなときは、刺激の強いドラマをいっき見する。

北欧ミステリー「THE BREDGE」は、無用にむごたらしく、無用に死体に細工していて不気味。

今回はシーズン4で、ますます内容が複雑になり、ノートを作って名前と人間関係の見取り図を作ったりしながら、なんとか着いていく。

「ハッピー・バレー」は、グランチェスター牧師探偵シドニー・チェンバースが極悪非道な性犯罪者として登場する。

はじめシドニー(ジェームス・ノートン)の好青年の印象が強いので、どこかで悪くみえきれない部分があったが、回数を重ねるうちにぞっとするようなサイコパスを演じている。

主人公の屈強な女性警官が魅力的で、録画するつもりになったシーズン2。

サラ・ランカシャーなる女優さんの声も演技もひきこまれる。

このドラマには人種差別的がみえる。

悪い奴はインド系と決まっていたりする。

ほんとうは見るべきではないかもしれない。

 

でも、私が求めているのは毒なのである。

レイシズムの英国でも、移民蔑視の北欧でも、なんだっていい。

毒であればいい。

 こんなふうにミステリーを使用するのは私だけだろうか。

あまりの内容に、夫は絶対むり、彼が好きなのはスポーツ中継か、せいぜいなまぬるい天海祐希ホームドラマである。

娘も、むり、おぞましいと言う。

ひとりでいるときにいっき見してざわめく心をなんとかしようとする。

残忍な場面、ひやひやして観ていられない場面は早回しし、音声を消して流す。

わけがわからなくなっとしまうと、せっかく進めたのに、また巻き戻して、内容を確かめないと次にいけなかったりして。

後遺症として、何時間も刺激の強い映像にさらされたおかげで、目と首がおかしくなっている。

せっかくよくなっていた腰までこわ張っている。

 

だれに迷惑をかけるわけでもないし、

せいぜい二、三日間ほど、目と首と腰に違和感がある程度だから、まあいいか?

老眼鏡なしで見えなくなったら、テレビを止めよう、と思っていたはずなのに・・。

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台風

台風が去って、わがやにやってきたちびちび爆弾ならぬ、りえりえ爆弾が帰った。

りえと私は、九つ違いのいとこで、赤ちゃんのとき、つまり昭和37年当時、週末には親の家を訪れ、孫の成長を見せる、というのが一般的ではなかったか。

祖母と同居の家にちょいちょいやってきて、その頃も台風のように来て、台風のように去って行った。

叔父が車が好きで、イギリス車に乗ってきて、そのへんに停めていた。

駐禁でどうの、という時代ではない、その辺で停めるのが一般的ではなかったか。

 帰ったあと、必ず忘れ物があり、台風の威力はなかなかのものだった。

 

叔母が亡くなり、叔父は認知が怪しくなって、いとこの暮らす関西へと越して行った。

だから、この家族でしっかりしているのは、今やひとりっこのりえのみ。

台風の威力としては充分の堂々たるものである。

 

もう暑くて暑くて「えぃっ」と思い切らないと外へ出られない日だったが、どうしてもこの機会にりえの家のあった場所に一緒に行っておきたかった。

 

私はこの家に入り浸っていたが、あるとき出禁になった。

それ以降、叔母は一貫して私を拒絶しつづけた。

その叔母が七十代になったころ、具合が悪くなって、もう無理なようだ、となったときこれまでしてもらってきたことを急に思い出して、懐かしくなり、見舞いに行こう、と勇気を出して電話すると、叔父が対応した。

叔父が電話口の向こうで困ったようにまごまごしているのがわかった。

ちょっと待ってね〜・・・・ちょっと本人に聞いてみるね、

と、旗色のわるい気配を感じてどきどきした。

今でも、そのときの叔父の声のトーンをよく覚えている。

これまでも何度かあったように、姪と連れ合いあいだで困っているのである。

クニエが見舞いに来たいと言っているんだけど、受話器を抑えた叔父のくぐもった声に、はっきり「だめ」という聞き慣れた声が電話の向こうで聞こえた。

 

とうとう最後まで拒否された、というのが私の側の感覚である。

当然ひとり娘のりえも母親から私へのバッシングを聞いているはずである。

りえが冷たいのは、そのせいだろう、と思ってきた。

叔父のことを尋ねる電話をしても、会話が続かない。

関西を訪ねたときもどこかぎこちなかった。

なんとも間の悪い、いやな気持ちで、二度と電話しない、と決めた。

 

ところが、メールが来て、何日に上京するので会えませんか、とあった。

意外、わたしと付き合う気なかったんじゃないの?

 

彼女が、どんな動機でわたしを訪ねる気になったかは別として、五十代になったいとことかつて入り浸り、出禁になった家を訪ね当てると、そこは、すでにマンションが建っていたが、急な坂に面していたその坂は健在であった。

ここだ!ここ、ここ!

いとこも興奮して、ほらここに入り口があって、庭があって、一度クロ(飼い犬)が逃げちやって、と場所を特定できると、私は車の中から思わず手を併せた。

なぜだかわからないが「感謝」とかうすっぺたいテンプレートじゃない。

なにかがじわっと沁みてきた。

過ぎ去った日々、うまくいかない散々な日々、恥ずかしい行いの数々、おとなたちを怒らせて、なにがわるいのよ、と居直ってみせ、でも心の中ではいつも自罰していた、あのころ。

いかに苦しかったか、わたしと付き合う大人たちも大変だったろう、だけどわたしが一番大変だった。

合掌

 

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 姪にわたしのお気に入りの帽子をかぶってもらう。

この姪とわたしも血のつながらない、姪と叔母どうしである。

亡くなった叔母とわたしのような関係にならないといいけど、と時々思う。

愉快な夢

講師として雇われていた幼稚園の主任、さわこ先生が着物を着ている。

アイロンがけしたブラウスをぎゅっと第一ボタンまで首を閉める彼女は、和装の際もエモンを抜くことはせず、襟の後ろがぎゅっと詰まっている。

紺色の着物である。

さわこ先生、おきもの?

と言うと、目を少しタレ目気味にし、お恥ずかしいのですが、このたび結婚することになりまして、と言う。

ええーっと失礼なほどの大声で驚くと、なおもタレ目でわらっている。

どの方?

とむこうをみると、小柄な頭髪もうすくなった男性が他の方たちと正座してるのである。

なんか、さえないかんじのひとだなぁ、と思いながらことばを探している自分。

優しそうな方、とかなんとか。

 

夢だった。

でも、さわこ先生がだれかと結婚したら、いいなあ、と思う。

さわこ先生が、いつまでも主任をしてくれていたらなあ、と思う。

先生が主任をしていたら、私も続けていたかもしれない、とも。

 

先日テレビで地方の保育園だったが、90歳すぎの主任さんがオルガンを弾いて、子どもたちが踊っていた。

さわこ先生も、90までできたんじゃん、と思う。

 

それがどういうことか、わからないが、

「むこうからきた」

と表現することがある。

どうして?と関係者全員が驚愕した彼女の退職の理由をさわこ先生は、そう言った。

自分でもよくわからないんですが、むこうからきちゃったんです、と。

 

この幼稚園を私もやめる決心をして、私の場合は「むこうからきた」のではない、ちゃんとした合理的な理由があるのだが、さわこ先生の退職が残念な気持ちは変わらない。

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同級生

実家の写真店があったのは、第二京浜国道産業道路のあいだをむすぶ下町とも言い切れない、商店街というほどの規模もない、住宅街ではない、中途半端な地区で、

いまはもう消えた店舗あとに今風のマンションが建ち、周囲から浮き上がっている。

周辺の町工場は変遷をくりかえし、看板だけを残してほとんどが消えている。

うちの店もとっくにたたみ、前のパン屋さんも、食事中におかずが足りないと惣菜を買いに走った食料品店も、電気屋もシャッターを閉じてべつなものになっている。

 

むかし、父がDPEの窓口に頼んでいた大鳥居の時計屋さんをしらべていたら、急にモデルになった同級生を思い出した。

モデルになった彼女を、JR蒲田駅で見かけたことがある。

髪にスカーフを巻いて、裾のひろがったパンタロンを履いていたモデルっぽい彼女。

・・しかしこの時点で、わたしの記憶は混同していた。

小学校のころの同じクラスの同級生とはべつに、おなじ区内の小学校に有名なモデルがいた。

名前を保倉幸恵といい、一度連合運動会なる区内の小学校何校かで行った運動会で、あれが保倉幸恵だよ、とだれかに言われたのか、あるいは目立つその姿に自然にだれ?と目が止まったのかもしれない。

連合運動会のリレーの選手だった保倉さんの、勝気な走りっぷり、負けたときのふくれっつら。

背が高く、足が長く、目立つ容貌だった。

 

なぜか、これまで考えつかなかった、そんなむかしの子役モデルをネットでしらべようとは、

調べてみたら、画像を含めて保倉さんのことを書いた記事が出てきた。

画像を見て、私は保倉さんの容姿を思い出し、そこで初めて、ふたりのモデルを混同していたことに気づく。

同級生のほうは名前も覚えていない。

きっとモデルとして大成しなかったかわりに、平凡な人生をおくったのではないだろうか。

保倉さんのような人生ではなく。

保倉さんは22歳で亡くなっている。

自死である。

 

画像のなかには、何人かの少女モデルと写っているグラビアがあり、そのなかの保倉さんは私が連合運動会でみた勝気な、負けることのきらいな強固な意思を秘め、ほかの少女と異質なものをもっているように感じる。

異質さがなにを表すのか、わからないが。

異質さがなにがしか生きづらさにつながったのか。

すでに生きづらさがあり、表情になにか特別なものを秘めていたのか。

しるべくもないが、保倉さんがいまだに、ひとびとの気持ちのなかにあり、ネットのなかで生きていることに、私はほっとした。

まだ保倉さんを覚えているひとたちがいて、画像やプログで残そうとしていることは救いに思える。

 

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