梅雨の中日

雨がつづいたあとの晴れの朝。

ひさしぶり台所の窓をえいっと開けると、窓枠に置いてあったオリーブ油のびんがすっとんで床に落ち、からんという音がしてうすいプラスティックのふたが跳ね飛んだ。

油が床にこぼれ、黄色い液体がけっこうな量、びんの転がった方向にすいっと流れをつくっている。

あ〜あ、怒りのような悔いのようないやぁな気持ちを押し殺して乾いた雑巾でふきとる。

床みがきだ、とむりやり思うと、油膜にひかる床に、スリッパの底のゴムのあとが重なっている。

しかもふたがみつからない。

 

前日の日野は久しぶりにひどくくたびれて、駅から家まで歩くのもやっとという感じであった。

往復四時間近い道のり、数年前からクラシックやハワイアンを聴いてリラックスするようにしている。

その前はハードロックであった。

ロッキーの炎のテーマであった。

ガンガン耳から叩き込んで、闘志を燃やし、なにくそモードで仕事場へ向かっていた現役のころのまま保育職場へ行っていたのだ。

どうもそれではうまくいかなくなった。

通勤時間をリラクックスの時間にするといいですよ、とアドバイスをくれたのは、「やすらぎの里」のカリスマである。

多分もう、断食療法もかつてのような効果は期待できないだろう。

若い頃役に立った刺激がもう効かない。

 

長いこと待たされて「母の前で」という本が図書館に届いた。

辺見庸さんのブログにこのところずっと書いてある「母の前で」。

ピエール・パシェという著者は、リトアニア人の母を持つユダヤ人であり、アルジェリアで教職をとった経験もある、とあとがきに書かれてある。

アルジェリア、歴史のすき間に落っこちて身動きがとれない苦しい国。

革命に勝った、とされながらフランス人を恐れる貧しいアルジェリア人。

負けたとされてもそこだけ輝いているアルジェ市のフランス人居住区。

 

辺見さんのブログは、このところ老いがテーマかな、自身の老いと老いの置かれる社会。

それはどうやって死ぬことができるのだろう

P181。「ひとつの精神は外からしか殺すことができない、
エネルギー供給を断つことによって」(パシェ『母の前で』
根本美作子=訳 P183)。ものすごい爆音!
 
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出雲

先週末、姪の結婚式が出雲大社であった。

土曜日のフライトに乗って日曜日が友引で挙式、帰る便がないのでもう一泊して月曜日の昼過ぎに帰ってきた。

腰の調子が万全ではなく、やや心配したが、伯母からゆずり受けた黒留袖一式を持って出雲へでかけた。

早いフライトで着いたのでカフェでモーニングを食べ、ホテルに荷物を置いたあと、以前ランチを食べた民家を改造した古民家レストランへまた行きたいと、と思って検索したら、そこは松江であった。

出雲は2012年の夏に行っていて、そのときは松江に泊まった。

古民家レストランは旅チャンネルの町田さんも紹介していたのに、なんと閉店。

時間切れで入れなかった小泉八雲邸に今度こそ、と思って出雲駅までバスで行った。

蒸し暑い。

行くのに時間もかかり乗り換えもあることがわかり、翌日の式のこと、またその翌日のことを考えると、今日はゆっくりしたほうがいい、といつものように予定変更。

観光モードに入っている夫はしぶしぶ。

出雲駅前で和食ランチ刺身定食を食べて、少し田舎道を歩いてからホテルに帰った。

ホテルでごろごろしていると、式のスケジュール表を持って、前日に出雲入りしている姪カップルが登場。

結婚式のリハをしてきたところとかで、ふとんを二枚着ているみたいだよ、暑いよ、と笑っていた。

二人とも元気はつらつ、式の段取りを説明してくれた。

このふたり、付き合い始めたてにおじちゃんとおばちゃんに会ってほしい、と姪から連絡を受けた。

「自分に自信がないから」だったのだが、こうして数年後に結婚の運びになるのはなんだかうれしい。

 

二人が帰ったあと、することもないので早めの夕食をホテルで取る。

和食御膳。

すばらしい小鉢がならぶひとつひとつが丁寧でおいしい。

とくに白たけのこの和え物がすばらしかった。

夫の御膳には白たけもこなしで、きんぴらごぼうだったのは、なぜか?

 

明日は強行軍だから、と早めに寝た。

午前一時ごろ、どうもきもちがわるい。

漢方を飲んだら、もっときもちがわるくなって吐いた。

四時ごろまで吐いて、お腹も痛くなった。

こりゃあ、式はむりだ、と思う。

ぐうぐう寝ていた夫を起こして、ちょっとむり、と言うと。

かれは私の体調のことより、式に欠席することのほうが気になるようである。

私のこういう症状に慣れきっているのだ。

 

五時頃、熱いお湯に入って腰湯をすると、すこし楽になった。

思い切って、レストランに降りて行き朝食のおかゆを食べてみる。

午前中いっぱいベッドでごろご、二十分ほどの式にはなんとか出られそうだから、食事会はパスしよう、と決める。

予約した美容院「ビューティーサロン池田」に出かけ、黒留袖を着せてもらう。

暑いなかを着付けの先生のとこへ行って習い、二日ほど練習したが、ひよくえりなるものの処理が難しく、慣れないホテルの部屋で着るのは、やっかい、と途中で考えを変えたのだ。

髪をアップにするのも自分でやるつもりだったが、どうもシャンとしないので、セットもお願いすることにした。

ホテル近くのビューティーサロン池田までとぼとぼと信号無視して歩道を横断。

ちょろちょろ下水道の流れる田舎道を歩いて、だれもお客さんのいないビューティーサロン池田。

着付けを担当してくれるのは、地味なおとなしそうな女性。

左手の薬指に結婚指輪。

このひとはほとんどなにも言わないが、かんじはわるくない。

受け答えも、ほんのりやわらか。

それまで遭遇した出雲のひとびとは、おしなべてかんじがよい。

自転車道を川沿いに散歩している途中、後ろから追い越す自転車にあいさつをされる。

車は歩行者であるわれわれを待って先に通してくれる。

ホテルの従業員さんは、あくまでも笑顔をたやさない。

 

できあがった「夜会巻」なる頭と黒留袖の自分。

前夜の身体症状で顔はげっそりして目が落ち窪んでいるのが残念。

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結婚式

これまで結婚式に出席した回数は、ひとと比べてすくないと思う。

呼ばれて断ったこともあるし、当然呼ばれるだろうと思っていたら呼ばれなかった、ということもあった。

なんとなく縁がない。

姪っこの結婚式の前夜、きもちわるいぞ、と思ううちに吐き出して、午前四時ごろには腹痛まで始った。

これは、ちょっとだめかも、と思いながら悶々と寝汗をかく。

親戚の手前カッコわるいなぁ、

ご迷惑おかけして、とかご心配おかけして、とか言わなくちゃならない、

やだなぁ、と考えている。

ホテルの浴室は、熱いお湯がでて、朝早く腰湯をして汗をかくと少し気分がよくなった。

式だけ出て、ひとりタクシーで帰ってきて着せてもらった留袖をやっと脱ぎ、頭はスプレーで固まっていたが、そのまま寝た。

お腹が空いていた。

夫が買っておいてくれたサンドイッチを食べたら、空腹がつのってきてクリームパンも食べた。

ティーバッグを二個使って濃い紅茶を入れ、牛乳を入れてミルクティーを作った。

出雲のホテルからは丸くつらなる山々が見え、あたかも神話のものがたりをものがたっているようだ。

やわらかく、なめらかな稜線がなにかをかたっている。

いろんなひとに会い、式の緊張もあり、あたまがカンカンしていたがそのままぐっすり眠った。

着物用ハンドバッグには入らないアイフォンを、夫の礼服のポケットに入れたまま、呼ばれたタクシーに乗って帰ってきてしまい、東京に居る娘に家電をして、夫にラインしてもらう。

いつものように固定電話は常に留守電になっているので、なんども、もしもしおかあさんだけど、とメッセージを途中まで入れなくてはならない。

 

そういえば、娘の成人式の日も、具合がわるくなって、横浜の撮影所でものすごいことになった。

吐き気が止まらず、吐いても吐いても何も出ないのに吐く苦しさ。

げぇげぇと化粧室にこもって大騒ぎ。

いざ撮影となるとけろっと治った。

 

翌朝は、午前中に出雲から佐賀に帰る夫の妹と、姪の姉のほうがホテルまで来てくれた。

かれらがやって来る前に、結婚したほうの姪が電話をかけてきた。

「おばちゃん大丈夫?」

姉がおばちゃんのところに行くよ、というのを聞いたので、自分もと電話してきたのだろう、と思った。

女三人でノンストップでしゃべってホテルの駐車場で別れた。

良い結婚式だった、と思う。

食事会には出られなかったが。

 

 

とうとう犬が来た。

黒いわんちゃん、名前はブラッキー

中学で習った英語「Tom and Susie」にでてきた黒い犬、名前を「Blackie」といった。

日本語で言えばくろちゃんですね、と英語教師が言った。

英語は赤点だったのに、そんなことは覚えている。

英語教師のつまらなーい英語の授業。

彼の来ていたねずみ色の背広。

ネクタイなしのシャツ。

鼻の横の大きなほくろ。

 

この子が群馬県のブリーダーさんに連れてこられたときは、腰が痛くて歩けなかった。当面私はなんにもできないけど、いいの?と聞くといい、と夫。

腰はまだいまひとつであるが、ブラッキーはすっかりこの家の住人となり、先住犬のテリヤ種のチビに平身低頭しつつ一緒に遊んでいる。

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十連休

5月の連休も、夫が現役会社員だったころのようなほっと休めるまとまった休日というような位置付けではなくなったが、今年は元号が変わるという特別な十連休である。

ぎっくり腰が信じられないほど長引いて、水曜日の仕事に年度変わってそうそうに穴をあける事態、金曜日の茅ヶ崎の現場は今年度初の仕事日である。

前日の木曜日に二回ばかり外を歩いてみたが、ちょっと歩くと股関節にしびれがくる。

こんなことで茅ヶ崎まで行き、保育園で子ども相手に仕事ができるのか?

しかも雨、しかも寒い。

夫が車で送って行ってくれると言う。

夫はその日午後1時から仕事が入っていたが、一時間遅らせて2時にすれば、11時に茅ヶ崎を終え、自宅に戻ってから充分仕事に行ける、と言う。

決して遅れてはならない場合に車は使うな、と言うのは、病身の妻を抱えて子どもふたりを育てたひとの弁であり、私もそのとおりだと思ってはいたが、腰が不安、股関節が不安である。

電車で行って帰れなくなったらタクシーで帰ればいいか、茅ヶ崎からうちまでっていくらかかる?

と夫に言うと、それはムリだ、となぜかいきり立って、それなら車で行こうよ、とパソコンで調べると一時間で着くことになっている。

帰りはもっと早いはずだという情報が出てうのみにする。

あぶないな、と思いながらそうしてもらうことにした。

私はたいていの場合悲観的にものごとを考え、リスクを膨らませ、結果として決断ができない。

夫はほぼ楽観的である。

決断も早い。

自宅に帰れない場合を想定して、そのまま仕事に行けるようにスーツで行けば、と私は思ったが、いいよ大丈夫、と自信たっぷり。

スーツで運転するのも大変だろう、私ではなく夫が運転するのだから。

 

雨の中を1時間の道を大事をみて2時間前に出る。

環八が込んでくる。

あ、十連休前日だ!

と気づく、細かい雨の煙る道路は産業車がぎっしりで動かない。

どうしよう、戻ろうか、と思うが今から電車で行くと少し遅れる。

焦って電車を乗り換えて行くのも、どうだろう?

いいよ、このまま行こう、万一の場合は園長先生に電話する、ということに。

しかし、東名高速の登り車線が通行止め。

あとから高速道路で人が亡くなって発見された、と知る。

下り車線も渋滞している、ぎりぎりのところで走り出して、ほんとうにぴったりに保育園に到着した。

仕事が終わるまで夫は近くのカフェで仕事をして待っていてくれる。

待ち時間中に、帰りの道路状況を調べておいてね、と二回言ったが、どうやら入っていない。

案の定、帰り道一般道から動かない。

調べたの、と聞くといや、と言う。

だってどうやって調べれるかわかんない、とフシギなことを言う。

 

1時間たっても、まったく動かない、まだ茅ヶ崎である。

これはムリだよ、仕事に間に合わない、と私の仕事を優先させたため、彼の仕事に遅れては申し訳ない。

ただでさえ1時間遅らせてもらっているのだ。

一番近いJRの駅が藤沢駅

藤沢駅の駐車場に車を置いて、電車に乗ろう、と提案する。

行き先を藤沢駅に変更してナビに入れるが、藤沢に着く見通しも立たない。

東海道線12時22分発に乗れればぎりぎり間に合う、と夫。

それなら家に戻りスーツに着替えて、ぎりぎりセーフ、と。

駅前かどうかわからないが、遠くに歩道橋からビルに通じる階段が見えるので、あそこが駅に違いない、と見当をつけ、とにかくそこにあったコイン・パーキングに車を止めた。

茅ヶ崎といっても藤沢寄りの地点から1時間20分かかっている。

私は急げないから、先に行って、と言うと夫は、だいじょうぶ?と気づかいながらも走り出した。

私は車が一晩置きっぱなしになることを想定して必要なものだけをポケットに入れて手ぶらで駐車場を後にした。

そこからどういけば藤沢駅なのか、どこにもなんの案内もない。

とりあえずJRっぽい歩道橋と階段目指してゆっくりゆっくり歩くと雨のなかけっこう寒い。

外を歩くことを想定していなかったので、薄着である。

ただ勘のみを頼ってビルの中から駅へ通り抜け、万一のときのことを考えて持っているスイカで改札に入る。

これじゃあ夫は22分には乗れなかっただろう、といやいや困ったことになった、と始めて間もない月に二回の仕事に影響が出たら、と思うと気の毒である。

ところが22分発に間に合ったから多分へいき、とライン。

すげぇ、とひとりで目をまるくする。

私は夫より一本後の電車に乗り、座ったり立ったりがおそるおそるで傘を杖にしているのを隣りのおばさんがじっと見るのがいやである。

おばさんは些細なひとの不幸に敏感だ。

 

後で話しを聞くと、会社に着いたのが1分前だった、とまったく問題がなかった、とのこと。結果的には私の茅ヶ崎もぴったりだったし、なによりも私の腰も問題がなかった。

夫は翌朝藤沢まで車を取りに行き、10連休の初日の道路状況を調べるとけっこう渋滞情報があったが、予想外に空いていて午前中に帰ってきた。

コインパーキングに支払ったのは18900円。

21時間の価格である。

上限いくら、というパーキングも途中見えたのだが、土地勘もなく、駅の在りかも知らないわれわれ

乗り捨てたのが前日の12時15分、引き取ったのが翌朝9時、五百円玉に両替をしているうちにさらに跳ね上がった。

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みずがきやま

バースデー・ランチに神楽坂へでかけた。

夫はなんと六十代最後の年になってしまった!

 

神楽坂には、夫の親友の娘(26)が最近住みはじめ、ハッピー・バースデイのラインを届けてくれた彼女に「いま神楽坂のレストランにいるよ」と返信すると、何時何分にお母さんと飯田橋の駅に着きます、と書いてくる。

娘はうちの娘(27)と一歳差で、お互いに一人っ子なので、子どものころは5月の連休、8月のお盆休みは山へ行ったりして一緒に過ごした。

まだゴールデン・リトリバー犬のブックが元気で、ギンという猫もいたころで、泊りがけで出かけるときは二頭を連れて行くか、だれかに頼んで出かけなくてはならなかった。

夫の友達のMJは、犬にも猫にも一切興味を示さず、ワイフのほうも同様であったが、娘は二頭をかわいがってくれた。

 

どこかで入手したレストラン情報がメモに残っていたので、このレストランにしたのだが、う〜んもう一回行く気はないかな。

給仕が勘違いしている。

こういう勘違給仕がけっこういるな。

フレンチだからなのか?

フランスはえらいのか?

ミシュランに載っただとか、フランスの有名な雑誌に載っただとかでたいそう繁盛している店で家族三人で向かい合っている。

なぜか三人で食事に行くと夫がおとなしくなる。

娘もあまりしゃべらない。

だから、というわけではないが、MJ家とみずがきやま行ったよね、あれいつだっけ?

急に思い出してふる、中学のころ?

娘がいや小学校でしょ、中学になってからは行ってない、と言う。

中学三年間は館山合宿だから、と。

え、あれまだ小学生のころだった?えー?

そんなに小さかったのか。

みずがきやまは、娘の学校で行くことに決まった山で、それをMJに話すと、なぜだか興味を示して二家族で行くことになった、と記憶している。

「みずがきやま」で記憶をサーチすると、ゆるゆると、なにか通常の山登りではない出来事があったような・。

ふたりともまったく覚えていない。

MJは頭脳明晰で知られたひとだが、記憶力の点では大したことがない。

以前もフランスから来ていたCOUCOUと一緒に行った山スキーのことを覚えていなかった。

そもそも自分が山スキーにハマったことすら忘却しているのでがっかりした。

ストイックな彼の趣味が、登山やスキーから山スキーへと移って、大変なだけで面白くない山スキーがこれからの旅行に加わるのか、と思うと残念だったのでよく覚えているのだが。

 

登山道の入り口の駐車場に車を止めて、私とMJ妻はふたりで喫茶店にいるから、と父親➕娘✖️2を送り出した記憶。

茶店が開いていなかったような記憶。

そして、車で待ってようか、と駐車場に戻ると車のなかでうちの夫と娘が寝ていたような。

登ったのはMJとMJ娘だったような。

ちがうか?

登ったのはMJとうちの娘だったか?

うちの娘が足をくじいた・・?

それはない、と娘。

二家族で出かけた山で自分が怪我をした、などいやなのだ。

ちがうかな、と言うと少し考えてからおかあさんが合ってるかも、と言い出した。

 

家に帰って、昔の手帳をめくってみる。

2003年、二回みずがきに行っている。

一度目は5月のまさにその日、5月4日である。

二度目は7月、小学校の夏の行事であった。

うまくいっていない小学校の学校行事の本番の前にみずがきを体験させておくことは、良いような気がしたのだっけ。

そしていつもそうであったように私の目論見はハズレたのだった。

 

下山したMJがめずらしく登りにくいとかなんとか文句を言っていたような気がする。

みずがきやまは、登りにくくなぜ小学校の夏の行事に選ばれたのかわけがわからん、というようなことを。

手帳をさらさらと読んでいると、いろいろなことが書いてある。

もう亡くなった友だちのこと、日本に帰ってきてから娘の不適応に悩み、ライフプランニングセンターで帰国子女の問題に取り組んでいたメモが書いてある。

私はまだ玉川大の通信の学生であり、資格のための勉強をしていた。

夫は海外出張が多く、不在がちであった。

16年前、夫はまだ五十代であり、私は四十九歳であった。

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ついに・・

金曜日、二歳児クラスの「カエル」で両手をパーにして着地して、立ち上がろうとするとくぅぅぅぅっと腰がつって、そのまま立ち上がれなくなった。

電子ピアノを盾にして、なんとか五歳児まで終了。

しかしどうやってピアノの椅子から立ち上がって、ホールを出て、一階に降りて、挨拶をして外へ出るのか、あたまをかすめるが、見当がつかない。

どうしたらいいの?

椅子から立ち上がるのも、なにかにつかまらないと立てないし、腰をいびつに曲げながらふうふう一階に降りると、お庭で遊んでいた五歳児が心配そうにじっと見ている。

だいじょうぶ?

真剣なまなざし。

 

よろよろと外へ出ると強い日差しが照りつけている。

タクシーを呼んでくれる、という主任のことばを辞退したのは、

タクシーを待つまでの5分?6分?7分?

その間、あれ、どうしたんですか?

大丈夫ですか?

一体何人のひとに同じ説明をすることになるのか考えたら、とてもとても。

あとで考えるに、そういうのがダメなんだよなぁ、といいじゃん、呼んでもらってそれ以上からだ痛めつけないで帰ってくればいいんだよ、と反省。

 

しかし、運良く通りかかったタクシーに乗り込んで、行きつけの野口の先生のところに行ってもらう。

意外に近い。

数年前までは、このゴッドハンドに治療してもらうと、行きはぐったりしていても、帰りはルンルンで帰ってきたものなのだが、治療自体けっこう痛く、これまではふっと触れられるくらいの感触で、たまにつっと痛いこともなくはなかったが、今回はなんだかゴリゴリやられているかんじ。

帰ってきたら痛みがひどくなっている。

 

整体師が八十歳を超え、にぶくなってしまったのか、こちらが六十を超えてにぶったのか?

 

仕事が休みに入って、ただ台所に立っているだけで、くーっと腰がつるような感覚があり、やばいぞ、となるべく家にいるのはやめよう、と外へ出かけていたのだが、こんなことなら自宅の台所でつったほうがよっぽどましだった。

これで三日経過。

ものにつかまれば立ち上がることができる。

つかまっていれば、ゆっくり歩くことができるが、身体はまっすぐにならず斜め。

とりあえず、月曜日の仕事はキャンセルした。

しかし、水曜日の仕事をキャンセルしなくてはいけない事態はこまる・・。

さてどうしたらよいだろう?

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