京子伯母は、祖母の末の妹である。
十人いた祖母のきょうだいのなかで、ひとり残り、最後の十年間アルツハイマーだった祖母とは違ってクリアーな頭と、はきはきした物言いの九十三歳。
瑣末な事柄へのこだわりと物事を掘り出す姿勢が、時として恐い。
なにげないご機嫌うかがいの電話をしたあと、落ち込むことがあるので、もっとひんぱんに会いに行ったり、電話をしたいりしたいところがそうならない。
そんな逡巡のあとひさしぶりに電話をしたら、「あら、しばらくげんき?」
なんの話しからか、父が生まれたは朝鮮の京城というところだったことは知っていたが、軍関係者だった祖父が朝鮮に赴任していたからだとばかり思っていた。
ところが、どうも伯母の言葉のはしばしで、話しが違うのがわかる。
曽祖母が京城に住んでいたため、祖母はわざわざ朝鮮まで船で行って初産をしたのだそうだ。
京城の古市町の家よ、ますみちゃん(父のなまえ)がどの部屋で生まれたのか間取りもかけるわよ、と言う。
昭和三年の二月のこと。
京子伯母は七歳である。
京城には三越もあったのよ、しのざきのおじちゃん(伯母の姉のひとりの嫁ぎ先)に連れてっていただいて、きれいな首飾りなんかよく覚えている。
伯母は戦前の朝鮮半島にワープし、色鮮やかに記憶が蘇っているようである。
もしや、と思ってネットで探したら見事な地図や写真が出てきた。