今年に入って、三度目の転び。
自転車に付けた新しい前かごの中のヨガマットがぐらぐらして、落っこちそうなので、掴もうと右手を伸ばすと、バランスが崩れた。
あ・ころぶ・・うまく転ぼう、とまたたくま頭の中で計算するが、まんま左に傾いてザッザッと、誰かの家の歩道より少し高い敷地のコンクリートの上に左足、左腕を打ち付ける。
向かいの家から出てきたおじいさんが、だいじょうぶ?
と声をかけてくれるが、なんと笑っている!
立ち上がって、だいじょうぶです、と体勢を整えようとして倒れた自転車を起こすが、ショックで気持ちは朦朧としている。
一回倒れると、バランスが取りにくい。
どこが変形したのか、車輪が回るたびに妙な音がする。
二日間の雨上がり、むわっとへんに温かい。
乗ったり降りたりしながら、途中家族にラインで
「自転車転倒した」
と送る。
だいじょうぶ?とかへいき?とか返信が来るのを見たりもしながらなんとか家に帰ってきて、足を出してチェックすると怪我はしていない。
打撲だけのようだ。
しかし痛い。
じっと横になって痛む部分に手を当て、自分の体というものに向き合っている。
じんじんしてきて、それが収まるまで手を当てていること、
が野口整体の方法だ。
こんな時、ザックは母に捨てられると思うのか、きゅうきゅううるさい。
一月二日に、着物を着て家族と歩いていてよろけ、派手に転んだ。
六月には、自宅の階段でシーツを踏んでひっくり返って右手を捻挫した。
右の小指は、雨になると未だに痛む。
これで晴れて3度目の正直だと良いのだが。
Jamais Deux sans Trois(三のない二はない)
とフランスでもいうのだとか、今回の事件の直後、フェイスブックで無事を知らせてきたCouCouが、いつか教えてくれた。