昨年から「京急散歩」と称して、友人のユアンと時々でかける。
最初は金沢文庫の称名寺であり、次に出かけたのは横須賀美術館であった。
「カスヤの森美術館」は、横須賀美術館を調べるうちにネット上に出現して、この私設の美術館には、ヨゼフ・ボイスの作品があるらしいしことがわかった。
地域を巻き込んだ活動も面白そうだ。
今年になってから会ってないユアンに会うのにうってつけの場所だ、と思った。
ふつう、ひとと会うのにひとはどのようなきっかけで会うのだろう。
私の空き時間をメールして、ユアンの暇を堪忍してから「カスヤの森美術館」に行ってみない、と打つメールに返信がこなかった。
気の短い私が、翌日の朝に電話すると、はい、と声が落ちていて、彼女の電話の声がくらいのはいつものことなので気にしないでいると、本気で調子がわるいらしい。
なにごとかあったらしいことをほのめかすが、その部分に触れられたくないらしい。
とりあえず、待ち合わせの場所と時間を決めて電話を終了した。
当日になって、あれ待ち合わせの駅どこだっけ?
と急に頭の中で待ち合わせが横浜駅のホームになっている。
横浜より先に住む彼女と、待ち合わせの場所に横浜を選ぶわけはないのに、なぜか横浜駅になってしまっているのである。
家族にも、きょうユアンと横浜で待ち合わせ、と伝えている。
プリントアウトしたカスヤの森美術館の地図をバッグに入れようとすると「上大岡 11:30」と書いてある。
すぐに電話をすると「上大岡ですよ」と怒ったように言われる、
間違いをしているのは私のなだから、へらへらとそうだよね、そうだよね、じゃあね、と電話を切る。
京急線の乗り換えるころに、眼鏡のケースがからっぽで、中に老眼鏡が入っていないことに気づく。
サアーッと冷たい。
老眼鏡なしではなにも見えない今日このごろである。
ものがはっきり見えないと思考もできず、まして現代美術を観るのに活字を読むこと必須である。
美術館に電話をして開館しているかどうかもっと早くに電話するべきところ、別に閉館ならそのへんをふたりでぶらぶらすればよい、くらいの気持ちである。
ユアンの厳しい空気に開館の有無を聞く気になって、上大岡に着いてから電話すると、番号がまちがっている。
見えない目に数字が難しい。
ホームでおろおろしているうちにアイフォンが誤作動してしまい、娘が出て
「電車のなかだからぁ」とこちらも声が荒い。
あてずっぽうでもう一度ダイヤルすると、こんどはカスヤが出て、開館しているという。
老眼鏡の貸し出しについては、少し考えたふうに、あえばいいけど、と言い、そのあとで貸し出しというのはしていない、と言われる。
ユアンから「遅れます」とメールが入る。
「ベンチにいます」と返信する。
しばらくして「どこ?」とユアン、見上げると携帯を持ったユアンが私を探していて、怒ったような顔をしている。
「遅れてごめん」も「待った?」もない。
会話も続かない。
ああ、ほんきで調子わるいんだ、と思う。
あたまの中では、調子わるいんだ、無理に話す必要はない、と思うが、ふたりで電車に座っていてひとことも話さないのはつらい。
隣に座る大きなスーツケースを膝の前に置いて、コーヒーを持った女性二人連れはぺちゃぺちゃとおしゃべりしている。
こちらは会話が成立しにくい状況である。
「この辺変わっちゃったよね」
「・・そうね」
「神武寺へんってどうなってるんだろう」
「しらない、神武寺なんて行ったことない」・・いやいや行ったことはあるはず、と思うが言えない空気である。
機嫌の悪い友の横で落ち着かない。
金沢八景で乗り換えなくてはならないと急に気づいて乗り換える。
乗り換えた電車が停車していると、野島のこんもりした緑が見える。
野島って行ったことある、と聞くと「あるよ」とひとこと。
また黙ってしまう。
「私行ったことない」
と言っても、返事がない。
追浜、田浦、安針塚、あんじんづかと読むと、いにしえの海の景色がぼうようと見えてくるようである。
あんじんづかの次は逸見、これもいつみと読むのかと思うと「へみ」である。
古い駅はほとんど廃駅のようなたたずまいである。
私たちは汐入で下車する
汐入には大きなビルもあってひらけている。
バス停を探す。
私はすぐに駅員に聞くが、ユアンは一歩離れて自分の目でバス停を探している。
バス停には先に並んでいたドーナツの袋を持った若い女の子が必死でバスの時刻表を見ていて、それが済むと百均で買ったらしい中敷を片方づつブーツを脱いでなかに苦労して入れ込んでいる。
女の子が長い髪を邪魔そうに垂らして靴の中に中敷を敷く様子を、白髪まじりのおじいさんがじっと眺めている。
そのうちバスが来て奥のふたりがけの席に並んで腰かける。
バスが高架になった京浜急行の線路をくぐる。
線路下にある古びた喫茶店に心がそそられる。
「ねえ、あの喫茶店いいね」
「どこ」
「ほら、あそこ」
「そおねえ」
うしろに座った女性ふたりづれの話しが延々と聞こえてくる。
「いやね、少しだけどお金がおりることになったのよ、少しよ、少し、プラウスが買えるくらい。まわりにはお金なーい、お金なーいって言ってんの、だけどさ〇〇のところがさ、入学したんでしょ、あたしはやる氣なかったんだけど、△子も△男もやるっていうからしょうがないから一万円だけ渡したの。うちはまだ来年だけど」
声の感じでは子供が入学祝いをもらうような年のひとには思えないから孫だろうか、などと沈黙の友の横で思っている。
「そしたらあんた、弟がさ、封筒差し出すじゃない、中見たら十万入ってるの、なによあんたこれって聞いたら、保証人になったお礼っていうけど、一万だけ抜いてあとは返したけど、まあ驚いた」
お金の話しばかりである。
私たちの目指すバス停のひとつ前でふたりであわてて立ち上がって、運転席の扉から降りて行った。
うしろ姿をチラ見すると、喋くっていたのは年配の女性で、もっぱら相槌を打っていたのは少しの背が高くて意外に若いひとだった。
金谷のバス停で降りてメガネのない目で地図が読めない。
「カスヤの森美術館」と看板が立っていたのであった!とそっちの道を行くが、次の看板が出てこない。
さびれた横須賀の外れには「ゆ」と看板をかかげた古いビルや「歌って踊れる」と、シヤッターに怖いような赤い字で書かれた定食屋かラーメン屋のような店は閉鎖されている。
日の強い横須賀の外れを不機嫌な友と私は歩いていく。
このまま行って良いのか不安になって、
「ねえ、地図見れる」
と地図を差し出すと
「えっ」
ととんでもないように言う。
「老眼鏡わすれて全然みえないのよ」
と言っても無言である。
マスクをかけて立ち話をしているおばさんふたりづれに、すみませーん、と近寄って行って尋ねる。
「やまだびとるさんのところ右に曲がってまっすぐ登ってくとある」
と教えられる。
「やまだびとる?」
と聞くと、
「そうスーパーだから」
と言われる。
少し歩くと通り沿いに長く伸びた「ヤマダヤビトル」というスーパーが出現した。
店の中を覗き込んで、ヤマダヤビトルの名前の由来を探すが酒屋が発展した普通のスーパーである。
「ヤマダヤビトルってへんな名前だね」
と言うと今日初めてユアンが笑う。
「ビトルてっなんだ、ボトルのこと?」
と言うとおかしそうに笑っている。
坂道を右に入って坂道を行く。
結構な上り坂である。
「けっこうきついね、この坂」
とふうふう言うと、
「そおぉ」
と否定的である。
美術館らしいものが出てこないまま、とうとう坂を登りきってしまった。
この日二度目の電話を美術館にかけるといまから迎えに行くと言ってくれる。
迎えに来るって、と言うとえぇ、場所わかるの、と不信げなユアンである。
坂の行き止まりの高台で迎えを待っている。
昼中の日差しがさんさんと幼稚園らしき建物や遠く見える家並みを照らしている。
「ねえ、桐島部活やめたんだってよ観た?」
とユアンに聞く。
あの映画に出てくる高校のロケ地は神奈川県だろうと思って観ていたが、そのようなかんじの坂道と傾斜した地面の雰囲気である。
実際には四国がロケ地だったが。
「観たよ、面白かったわよ」
となぜか上から言う。
「面白かったね、三回観ちゃった」
と私が言っても答えはない。
ユアンは映画が好きで、ひとりで観に行く。
映画はひとりが一番良いのだそうだ。
特に邦画が好きで、「桐島」を観ながら、この映画きっとユアンは観ただろう、と思っていた。
私はテレビを録画したのだし、ユアンは劇場で観たのだが。
しばらくするとGパンを履いた若者が登場して、案内してくれる。
「看板の位置がよくなくてわかりにくいんです。」
とフォローしてくれる。
けっこう坂がきついですね、と言うと、そうなんですよ、と友だちからは賛同を得られなかったが、この若者も上り坂がきついようなので安心する。
べつな道を下りていくと、「粕谷」と書いた表札の門が見えて来る。
ここからどうぞ、と言われる。
「あれ、粕谷さんという方の家だったんですか、カスヤってなにかと思った。」
と言うと、そうなんです、と若者。
どうやら粕谷さんという現代美術家のお宅なのだった。
すばらしい現代美術館の建物が、広い敷地に建っている。
この日の最後の到着地は「衣笠」
行きは京急散歩として「汐入」からバスに乗って出かけたが、帰りは衣笠まで歩く。
ユアンも私も金沢八景の学校に二年間通ったから、このあたりから来ていた学生もいたかもしれないね、と思ってそれを言うと、あいかわらずだんまりのユアン。
こっちもそろそろ疲れてきた。
それでも美術館の中のカフェテリアで取った簡単なランチの後ちょっとお茶して帰りたいところである。
衣笠には喫茶店がない。
こっちがしらないだけだろうが。
JR衣笠駅前のアーケードは、地方色が濃く漂っている。
行ったり来たりして衣笠あきらめか、ユアンの降りる大船で私も途中下車してお茶とケーキをしようか、と思ったところで細い階段を上っていくと喫茶店があることを発見。
なにも考えないで階段を上った。
衣笠のアーケードにある喫茶店は「サ店」と呼ぶにふさわしい。
店の中は広くて、テーブルと椅子がまばらな感じに並んでいるのだが、床がなんとなくでこぼこしている。
禁煙席に座る。
メニューを見てだいぶ考えてからユアンはバナナパフェ小、私はレモンスカッシュを注文。
カスヤのランチは、クロックムッシュとカスヤの敷地で採れた野菜のピクルスであった。
コーヒーはお代わりができて大変美味しかったので、ここでせっかく美味しいコーヒーの後味をつぶしたくなかった。
カスヤに到着したのが12時半くらいだったので、ここでランチ取れるんですよね、と受付の女性(カスヤ夫人だろうか、すてきなシルバーのおかっぱの方)に尋ねると、ききっとして、ランチ希望ですか、と言ったや否や、翻って、では用意しますからそれまで館内をごらんください、とカフェコーナーに消えてしまった。
消えてしまって音沙汰なく、ランチの用意しに行ったのか・・。
ヨゼフ・ボイスが狭いとはいえ充実の展示である。
カスヤ夫人からお借りした老眼鏡は、私には度が弱い。
もっと強いほうがいいですか、と訊ねられて、
「このひと私のほうが自分より年寄りだと思ってるんだろうか」
と気になって仕方なくなり、ヨゼフ・ボイスの展示に添えられた説明文がなおのこと読みにくい。