遠い昔の、小学校時代に中断した「にあんちゃん」をしまいまで読み、40年後のあとがきや、平成15年に佐賀に建てられたにあんちゃん像の記念に呼ばれた作者の安元未子さんの写真をじっくりと見る。
私は老眼鏡、しかも相当度の強いものをかけなければ活字を拾えない年齢になっている。
私は昭和28年九月生まれ。
高度成長期に京浜工業地帯近く、町工場の密集する地域に住んでいた。
エネルギーが石炭から石油になり、国中の炭鉱が廃坑に追い込まれゆく時代。
炭鉱では、組合運動が政治と結びついて、ひとびとが深い挫折感と不信感を持ってその地を散り散りになっていく時代。
この日記は、昭和28年の一月からスタートしている。
小学三年生の女の子が、亡くなったばかりの父親を思う気持ちが綴られている。
母はすでに亡くなっており、親を失った四人きょうだいの末っ子がこの本の著者であり、にあんちゃんという本のタイトルは、著者が二番目めの兄を呼ぶ呼び方である。
父亡き後、一家を支える兄の炭鉱での収入は大人より低く、さらに在日であることを理由に本雇にしてもらえない。
真っ先に首を切られて、住むところも失い困窮に追い込まれる。
姉は住み込みの子守として唐津に出て、兄も仕事を求めて行く。
残されたにあんちゃんと小学四年生の未子さんは、居候生活を余儀なくされる。
ただでさえ、貧しい暮らしによその子を二人抱えた家にも、私は同情するが、そこでの生活はふたりにとって辛いものだったことが日記から伺える。
この日記が兄の手によって出版社に持ち込まれ、ラジオドラマとなってから売れ始め、さらに映画化されたことによって劇的に話題となってベストセラーとなるまでのいきさつを読んで、作者がどうしても削除してほしい、と訴えたにもかかわらず出版社の意向で実名を挙げられ公開されてしまった、居候先やその人なりに助けようとした小学校の男性教師、そういう人たちが出版によって読者から断罪され、未子さんはその後一切マスコミに出なかった事情を考えると、気持ちは複雑である。
後書きに掲載された西日本新聞平成11年四月付けには、
「少女の日記戦後を描き出す」と見出しをつけ「健全な貧しさがあった」と書かれている。
「健全な貧しさ」?
小学生の子どもが食べるものにも、教科書代にも困窮し、栄養不良からくる体調不良で苦しんでいる。
自分の身体が弱いことを、兄に対して申し訳なく思い、死を思うこともたびたびである。
貧しさに健全も不健全もない。
子どもが飢えることは悪なのだ。