若桑みどり先生の「イメージの歴史」を放送大学のテレビで観て面白そうだったので履修することにした。
だらだらテレビを観て、印刷教材のほうはろくすっぽ読まずに試験会場へ行き、そのころの放送大学の試験会場は都立大学だった、試験を受けたところ、まったく回答できず、単位が取れなかった。
なんとなくわかっていたつもりのことが、わかってない。
面白い面白いと騒いでいたのに、答えられない。
自分で自分にぎょっとなる一瞬だ。
「女性英雄をめぐる問題 ユーディットとは誰か」という項で、いろいろな時代の画家の描いた、男の首を切り落とす女の図を鑑賞する。
私は、アルテミジア・ジェンティレスキという女性の描くユーディットがぞくぞくするほど好きである・・「ユーディット」に掲載。
アルテミジアの映画までツタヤで借りてきて観た。
にもかかわらず、美大を出て創作活動をしている知人の娘にその話をしようとして、「アルテミジア・ジェンティレスキ」という名前からして出てこない。
ユーディットのなにが面白いのか説明することばが出てこない。
教科書を持ってきて、これこれ、と指さして、いいでしょ、これ、と言うだけで、子どもと同じことだ。
われながら、あまりあたまがよくないなあ、と思う。
ただ、わからないなにかに憑かれてこの絵と絵をめぐる論に引寄せられている。
それは確かなのだ。
それで、繰り返しこの「女性英雄をめぐる問題 ユーディットとは誰か」を読むため、その部分には付箋が付けられている。
名探偵ポワロの相棒ヘイスティングスの娘がJUDITH・・ジュディス=ユーディットであることがなんとなく面白く、アガサ・クリスティーもユダヤ人だったし、ユダヤの女性英雄が好きだったんだろう、などとわくわくしながら、「イメージの歴史」を取り出すと、ページに付けた付箋の色が変色している。
付箋が変色するまで時間をかけても、なかなか理解できない。
若桑さんの文章もなかなか読みづらい。
当然わかるだろう前提で書かれている神話や、美術用語に目がくらむせいもある。
ものがわかるってなんだろう。
わかるつもりになっているだけて、実はちっともわかってないような気がしてきた。
もうちょっとがんばって、お金だけ払って単位を落とした勉強をしてみよう。
※以来、放送大学で履修した科目はすべて合格し、「現代哲学への挑戦」では○Aをいだたきました〜めいよのために申し添えます。
※※下の絵はクラナッハ作「ユーディット」