先週土曜日、年度末の書類を作らなくてはならず、朝早くからパソコンを打っていた。
ちょっとひっかかるいやなことがあって、そのことも考えながら。
一年間の仕事を頂戴したのだが、これまでも仕事ほしさにのこのこ出向いた先で、いやなことをされたりいわれたりしたことがあり、
今回は辞退しよう、年度の切り替わり時期だし、断りやすい、と心を決めながら、これまでのいろいろが、もやもやが霞となってよぎる。
もやもやの切れ目にパソコンを打ち込む。
よせばよいのに、TVもつけて、字幕だったりするとパソコン画面と、テレビ画面の両方に視点を合わせるのに時間を喰ったりしながら、やっつけていた。
首はどんどん縮まっていく。
腰はソファに沈んでいく。
つま先が冷いなあ、とがんがん点けているガスストーブの前に転がった靴下に右手を伸ばした途端、ギクッとなった。
うそ!
まさか!
・・・がそのまさかのギックリ腰。
そのまま立つことも座ることもできなくなった。
夫は、前夜まで忙しく、休日くらいゆっくりしてれば良いのに、友人のお父さんが亡くなったと知らせを受けて、葬儀に出るところである。
行くことないじゃん、葬式ったって、90を超えた方なんだから、こっちのほうが危ないんだよ、などと制止する妻の声は届かず、準備していたところ。
急遽、車で私を整体に運ばなくてはならないことになり、それからの葬式に出向く、ということになってしまった。
ゴッド・ハンドは、
「腰椎二番、上からきている、眼とか首とか肩とか」
と言う。
うちに帰ってから、症状がひどくなった。
起き上がることもできない。
どうしようもない痛みに、歯を食いしばり、おかげで翌日は歯が痛んだ。
翌日は、少し回復したので、のろのろではあるが、土手まで行った。
その翌日は、痛むところが変わって、わずかな勾配でも上がるのがつらかった。
TVがいけない、と結論づけた。
ほとんど中毒のようになっている。
朝五時前に起きて、テレビを点ける。
たいていはつまらないので、チャンネルを変えながら、歯を食いしばってまで観ている理由はただひとつ。
テレビを消したときのシンとした静けさがさびしい。
シンが来る前に、まずリモコンを押す。
二日間は、テレビだけでなく、老眼鏡をかけて本を読むことも自分に禁止したため、タバコを止めたひとがガムや飴を必死で口にいれるかのごとく、放送大学で録音した授業をアイフォンから聴き続けた。
「言語と表現」と「国際理解のために」
このお堅いものだけが録音されていたため、このふたつを繰り返し聴き、特に「国際理解のために」の領土問題を聴いて興奮して寝つきがわるくなってしまった。
なにをやってるの。
もう少し、のほほんとすることはできないの。
とは思うのだが。