梅雨どきから初夏

この時期の乳幼児の成長はすさまじい。

一週間ぶりに、仕事で保育園に行くと、顔がわからなくなっている子が何人かいる。

私が名前を間違って呼ぶとみんなでブーイン。

私の間違いをぐちぐちと言うのがうれしいようだ。

なるべく間違わないようにしているのだが、あかね、あやか、あいな、あやの、あやめ、などとおんなじような音が並んでいるのである。

りょうへい、りょうすけ、りょうや、りょうた、りょうま、りゅうま、などである。

一字違っても、怒られる。

名前だから仕方ないか。

 

「成長」とは、子どもに対して使う表現だが、おとなたちもまた進んでいる。

通勤途中で一緒になる八十歳のシルバー派遣のおばあさんが、この時期ぐっと老け込んでしまった。

この方がいるあいだは、私も年齢でクビにならないだろう、と思っているのだが。

駅から、保育園までの道で一緒になって、杖をついてなんとかかんとか歩いているおばあさんとお喋りしながら歩くのは楽しい。

遅いから、先に行って、と言われるが、時間より早く駅に着いてしまうことが多いので、のろのろ行って丁度良い時間になる。

 

「昨日は、息子がやってきて、おばあちゃん、仕事なんか行かないで少しは家のことしろよ、と言うんだけど、家にずっと居てもねえ」と言っている。

どうやら肩骨折の手術と通院のため息子さんの家から出て、病院の近くに越してきたのを境に、なにかできることをしよう、と保育園に通ってきているらしい。

肩の手術の跡を服の上から触らせてくれたが、そこだけべこっとへこんでいる。

山梨のかたである。

「山梨のひとは、のんきでひとがいいのよ」と言っている。

このおばあさんから、話しを聞くのが好きだ。

おばあさんとおばあさんのおかあさんが、お花見に行った話などを聞くのが楽しい。

「あのころは、入学式のころに桜が咲いたもんだった、おかあさんが作ったお寿司を持ってお花見に行くのが楽しみで楽しみで」と話しをしながらもいまも楽しそうなのである。

 

「息子がいらないものは捨てろよって言うんだけど、おじいさんとの思い出が詰まっているからね、なかなか捨てられなくって。

前に、おじいさんの羽織の丈に合わせて作った引き出しを捨てたら、そんなもの捨てたらおじいさんが嘆くだろ、なんて言っていたこともあるんだけど。」

へぇ、自分の着物の丈に合わせて箪笥を作っていたんだ、と思った。

その羽織はもうないんですか、と聞きたかったが聞かなかった。

 

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