今年に入って三度めのアップ・リンク。
一度めは、七月に放送大学の試験後観た、ジェイムス・ブラウンの映画、二度めは「聖なる呼吸」というヨガの映画、今回は、シーモア・バーンスタインというピアニストのピアノをめぐる彼の音楽と人生の話しである。
クラシック音楽の持つ権威や特権意識、優越意識などに抗って、作曲家の意図、シューベルトの気持ちや、ベートーベンがなにを言いたかったのかを理解しようするピアニストである。
今年の夏、渋谷楽語なるイベントに行った帰りにTSUTAYAに寄って、まとめて借りてきたDVDのなかに、グレン・グールドが二枚。
このひとに対する見方、考え方がワン・ワードで変わって、このピアノ弾きが以来愛おしく、すきでたまらない。
ワン・ワードとは「アスペルガー症候群」。
そういう観点から見ると、ずいぶん見当違いで、的外れな評価に傷つけられたよなあ、親からも恋人からも理解されず、ずいぶん苦しんだろうなあ、と気の毒である。
この映画の中でも、シーモアさんはグールドについて、このひとのバッハはバッハでなくグールドだ、というようなことを言っているが、それでしかない、グールドにとっては。
自分以外のものとの交流、交換は難しかったのだ。
というか、できなかったのだ、と思う。
シーモアさんのピアノは、呼吸するかのごとく、音符を撫でるがごとくのピアノ演奏であり、ほうっとあったかなためいきが漏れる。
久しぶりにイギリス組曲が弾きたくなって、楽譜を取り出した。
パルティータや平均律に比べると、楽譜づらはずいぶんとやさしい。
この曲は小さないとこがまだ小学生だったころ、親戚の結婚式で弾いたものだ。
私は、別ないとこのソプラノ独唱に合わせて伴奏を弾いたのだった。
バッハがずっと好きだった。
バッハの魅力は、安定感。
いつか、本の中で、バッハとジエイムズ・ジョイスは「立体」と書いた箇所があって、娘のピアノ教師であったママ友に、どういう意味?と聞いた。
彼女は、ジョイスを知らなかったにもかかわらず、的確な答えを出してくれた。
「背景があって、テーマがある、というものではないもの」
バッハの持つ私の感じる安定感とはそういうものだった。
映画一本で、気持ちがこんなにも現実に着地して、前向き(きらいなことばだけど)になれる。
ヨドチョーさんではないが、いやあ映画っていいもんだなぁ。
暗くないと見えなくて、観終わるまでわからないのが難点だけど、
どんなものにも難点はあるから、仕方ないか・・。