夢。
石村さんが亡くなってから、たまにお孫さんが来て泊まっていく、まったくの空き家というわけではないお隣の家。
その家がついに取り壊され、木々は切られ、黒土が見えている。
きれいに線引きされて真新しいコンクリートの境が設置されている。
まだ残されている木があることに安心する。
丈を詰められて低くなっているが。
ということは、まだここを取り払うってことじゃない、
動揺を抑えている。
夢から覚めて、枕に頭をつけたまま、昨日東洋さんが亡くなったことを思い出す。
私道を挟んで向かいの、いつも眺めていた東洋さんの家に、東洋さんが居なくなってしまった。
一昨日救急車が止まって居たのを心配していた。
どうも家の空気がおかしい、と家の外から異変を察知していたが、昨日、思い切って電話をすると、すぐに裏木戸に来て、父が亡くなった、と家族から報告された。
すーっと東洋さんの死が通過してしまい、
大丈夫、けっこう落ち着いている、
と自分を意識し、実はこういうのがヤバいのだ、と思返す。
案の定、家に入ってから過呼吸になる。
喪失でくらくら真っ暗な闇に入り込みそうになる。
はあはあ、息をして、この喪失が、東洋さんの死を通して、実母の喪失につながっている。
東洋さんとは、24年前に越して来た時以来、親しく、ときにはあまり親しくなく、おつきあいがあり、海外に居たころは、たまに手紙を書いたり、返事をもらったりしていた。
奥様が、先に亡くなるとはだれも予想していなかったが、そうなった。
しばらく東洋さんは、ひとりで立ちいかず、かといって努力の方であり、じっくりと立ち直り、私とも自然に話しをする関係が復活した。
毎朝、毎晩、窓を開けるたびに見ていた家。
その家に、東洋さんが居なくなってしまった。
身内でもなく、友だちという関係でもない。
この思いは、どこで消化できるのだろう。
私は、ただただ、桜の木の下に、お線香を炊いて、手を併せる。