昨年、北浦和の老人介護施設に入居した伯母を訪ねるのは2度目。
1度目のとき、彼女が自力で歩けなくなっているのを知って呆然とした。
伯母は94歳である。
自室でさよならを言って、立ち上がってこない。
じゃあここでね、と言うので、え、どうして?
と思わず聞くと、
「だって歩けないのよ」
私はぎょっとした顔をしたのだろう、
「えばることないか」
と伯母が付け加えた。
伯母は、若いころは別として、終始金に苦労し、夫を支えて勤めに出て、その勤めも、転々とした。
いつも働いていた。
勤めから帰る母を子どもたちは待ち構えて、伯母は座る間もなく夕飯を作り、犬猫の世話をし、そして自分自身の稽古をやめたことがなかった。
若いころから琴、長唄、詩吟、新内と声を出すのを趣味にしていた。
伯母の料理は、手際よく、美味しかった。
料理をするときは、伯父も、子どもたちも手伝い、私や祖母が招かれると、一緒に手伝わされた。
祖母は、いやな顔をしたものだったが。
その伯母が、いま自力で歩けず、自分のたべものを自分で作ることもできない。
ひとは、いつまでも同じでいることはできない。
ほんとうに、そうなのだろうか?
伯母は、ホームでのいろいろな活動が楽しそうでもあるが、わずらわしそうでもあり、私たちが行った日は、お昼ご飯も、夕飯も食堂はパスして自室でお菓子やパンで済ます、と言っていた。
伯母が大好きだった鰻。
ホームへ着く前に、食べて行った。
伯母には言ってない。