訃報といっても、芸能人のことではある。
野際陽子さんが亡くなった、とフェイス・ブックで知る。
野際さんが、ベ平連のだれかさん(小中陽太郎氏ではなかったか)と恋愛関係にあったんだったよな、などという古い話しを急に思い出す。
1975年ころか、当時田舎から上京し、東京の大学生であった親戚のお兄さんは野際さんのゴシップにへんに詳しかった。
その後アクション俳優と結婚し、高齢(当時)で出産、その後離婚。
いつまでも美しく、理知的な低い語り口、最近夢中で観ている「やすらぎの郷」というちょっとおもしろいドラマ、
豪華老人ホームに暮らす元芸能関係者たちのひとりとして出演していて、この人の場面になると、ほっとするところがあった。
浅丘ルリ子や加賀まりこ、有馬稲子、八千草薫といったそうそうたる女優さんたちの、華やかでけばけばしく、どうしても一歩前に出ずにはいられない濃厚キャラのなかでしっとり落ち着いていた。
主演の石坂浩二さんは、私が高校の一時期惚れてしまった役者である。
豊臣秀吉(緒方拳)の脇で石田三成を演じた石坂さん以来の当たり役、と「やすらぎ」に拍手したい。
人付き合いが上手そうで、世渡りもうまそうだが、それでいて、スレない部分。
色褪せないセクシーさ。
舞台をやってきたひとは違うなあ。
加賀まりこさんとのゴシップが女性週刊誌を賑わせるたびに、思春期の私は、真面目に落ち込んだものである。
ずっと後になって、加賀まりこが瀬戸内寂聴との対談のなかで、石坂浩二とは、夫婦も同然だった、と話していて、なんだよ、といまさらながらがっかりした。
未婚の母騒動の相手が布施明であることも、そのなかでカムアウトしていた。
もう一件の訃報は、数ヶ月前に、ついアメーバブログを開いてしまい、没頭したものの、いかんいかん、と見ないでいた小林麻央さんである。
亡くなったことを知り、も一度アメーバをのぞき、最後の日のブログから、前に戻ってみた。
最初、これは作り物のブログだ、と思った自分がいた。
「前向き」「がんと闘う」というテンプレートが続き、暴力事件をもみ消した歌舞伎界の重鎮の夫君に対する嫌悪もあり、いちいち「?」を付けながら読んでいたのだ。
同じ病気に罹った友だちたちは、苛立ち、恨みながら、苦しい治療を続け、それでも大部屋で死ななくてはならないものから見れば、ずいぶん恵まれていたであろう、清潔で明るい緩和ケア病棟で、死んでいった。
だから、こんなふうに、「感謝」とか「前向き」とかいう言葉を並べ、自分の姿を自撮りしてアップすることが、果たしてできるものだろうか、という疑問があった。
だから、嘘だろう、
だれか、この記事で特をするだれかが、本人に成り代わって作っているにちがいない、と。
しかし、亡くなってから、もう一度読んで見ると、胸が打たれる。
自分の鏡に映った姿が、恐れていた姿に近づいていて、あわてて子どもたちとの幸せな時間の写真を見た。
昨日は、七転八倒する痛みで苦しんだが、貼り薬で止まった。もっと早く助けを求めればよかった、など。
前日そんなに苦しんで、翌日記事を書く、その意思に驚く。
強靭さに打たれる。
「みなさん」と読者に語りかけることばは、慈愛に満ちている。
もし、そんなふうに、感謝と愛で死んでいけるものなら、
苛立ち、怒り、死後の人間関係を壊すような亡くなり方をしたひとたちとの差とは?
どんなふうに生きれば、感謝と愛で死んでいけるものなのだろうか。
呪いではなく。
「ママ、ありがとう」
と自分の血を分けた子ではなく、面倒を見てくれた嫁さんを枕元に呼んで最期のことばを言ったお婆さんの話しを思い出す。