6月に、夫に付き合ってミュシャ展に行き、待ち時間二時間近くと聞いて、速攻退散した私は、むざむざ帰るのもなんだから、と駅構内で売っていたジャコメッティ展の前売りを一枚買って地下鉄に乗った。
そのジャコメッティである。
なんの雑誌だったか忘れたが、石井好子がシャンソンを歌っていたパリでジャコメッティと知り合い、彼が魂を込めて作品を作り、満足のいかないものを売ることが悲しいと言ってよく泣いた、という。
「私は、娼婦だ。不完全なものを売って金を稼ぐ娼婦だ。」
と泣いた、という。
彼の作品は金のあるアメリカ人によく売れて、お金はいくらでも入ってきた、そうだが、アトリエとクーポールで食事をとる毎日で、楽しみのために出かけることもなかったそうだ。
せめて百まで生きたい、百まで生きれば、少しはましなものが作れるだろう、と言っていたのに、七十になる前に亡くなってしまった、と書かれてあった。
私はクーポールへも行ってみた。
気構えが必要な格式の高いレストランだった。
90年代のクーポールは、よれよれの格好でぼさぼさ頭のジャコメッティが入れるような店ではなく、裕福そうな父親と娘、娘の友人がワインセーラーを囲んで談笑していた。
たぐいまれな彫像。
辻潤がいうところの芸術性の異名、独創である。
美しいか、と言われれば美しいのとも違う。
へんな迫力で、地面から垂直に生え出ている。
ニースでは、出会えなかった。
年末年始で美術館が閉まっていたからだ。
しかし、ニューヨークで会えた。
ニューヨークの近代美術館だったか、友達のSが、俳優サム・シェパードを見つけて、だれかを見つけるとよくそうしたように、あ・見ないで、なになにがいるよ、と顔を寄せてうつむき加減でささやかれると、つい振り返ってしまい怒られた。
Sはよく怒る人だった。
鹿児島で詩を書いていた友人が、「ジャコメッティにとって見るとはなにか」という記事の載った同人誌を送ってきてくれたことがある。
描こうとして対象を見ているうちにどんどん縮んでいって、小さくなり、ついには点になって消えてしまった、というのだ。
今回の展覧会にも、小さな小さな彫像があって、私はとてもすきだ。
静かな声。
ものを創る、ことに捧げた人生。
レインコートを頭からかぶったジャコメッティの写真は、ブレッソンがアレジアで撮ったものだ。
この写真が好きだ、と父に見せたら、
どうして?
と不思議そうにした。
そして、レインコートを被った小柄な彫刻家を「俺みたい」と言って笑った。