新宿三井ビル55という広場で、ギリヤークが踊るというので、夫とでかけた。
新宿の通路は、塵っぽく暗く、歩く歩道はずいぶん前に有名になったけど、一方通行で中途半端。
広場に集まるとすでに人々が集まっていて、広場を囲んでぎっしり座っている。
歩道橋や建物の階段など、広場の見える位置に見物人がひしめいている。
来年50周年とかで、病気もあり御歳87という高齢でもあり、いかないと後悔するかも、と思い切って出かけたのだ。
車椅子で登場したギリヤークさんは、身ひとつで大衆の目を集める訓練を積んだひとらしい。
オーラというには、はかないなにかをを発信している。
赤い着物を着て、顔面を白く塗った老人がよろよろと立ち上がって踊り出す。
大道芸の極意。
滑稽さとグロ。
最後は、母親の小さな遺影を衆目にぐるりと見せて、おかあささささーんと叫ぶ。
浪花節。
私は観客のほうにも興味がある。
ふつうの親子連れ。
ひとりで席を取っている男性や女性。
業界のひとっぽいひともいるし、アートな関係のひともいるが、少ない。
大半は、カテゴライズしにくい、ふつうのひと。
通路を先に歩いていた帽子を被ったお婆さんと、手をつないだお爺さんのカップルが、ここにいた。
待ってました!
とか、
ギリヤッーク!
とかカッコいいかけ声が、間をとって叫ばれる。
色とりどりの紙に包まれた投げ銭が、雨のように飛び交う。
金なのに、なまぐささがない。
美しくすらある。
ギリヤークさんには言いたいことがたくさんあるらしいのだが、
パーキンソンで声がわなわなするし、小さいし、遠いし、なにを言っているのかわからない。
なにを言っているのかわからないことを、じっと聞きつづける観衆。
最近話しながいよね、去年くらいから、
と後ろのカップルの女性のほうが言っている。
なんだろ、歳かね
などと辛口。
それでも、愛で見守っているのか。
最後は「老人」という旗を観衆どもにぐるっと見せて、すっぽり脱いで赤フンだけで踊る、というか歩行するポーズ。
老いさらばえ、やせ細り、それでも目をそこに集めずにはいられない芸人魂。
芸人は、天然で単純なひとのようである。
このひとを支える人間は、その単純さや天然さに惹かれるのだろう。
ごみごみした新宿の空間は、味わったことのないあたたかな空間になっている。
三連休最後の一日。
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おかあさぁぁぁぁぁん!