正月はきらいだ。
大晦日のどんよりした寒さといったらなく、外に出たものの犬がガタガタ震えている。
途中で引き返したが、寒さのダメージが消えず身体が重い。
大掃除もせず、おせちも作らず、お餅もない正月。
テレビはことさらにわざとらしく、騒々しく、逆宣伝ばかり。
観ていると洗脳され、洗脳されまいとあがくので疲れは一層である。
テレビがないとしんとして手持ち無沙汰だし。
楽しみは年賀状だけ。
頼りの年賀状も、ずいぶんすくない。
元旦に届くように、心をこめて書き送ったのに、返事はすくないなぁ。
必ず来る従姉妹たちから来ていないのが気になるなあ。
なんとか河原まで行って、縁起物の凧を揚げる。
すぃっと、垂直に高く高く揚がってくれた。
すぐに帰って、頼んでおいた太巻き寿司を取って帰る。
いつも元気な夫が、11月末から体調を崩し、漢方、野口整体ではどうにもならず、ついに大学病院へ行き、仕事を10日間休んだ。
多分、かれの人生で初めてのことだ。
仕事のストレス、出張先でのマラリアの予防薬、その後帯状疱疹になって、年末になって発熱。
時々高熱を出し、ばったり倒れるが、あっさり治るひとでもあったのが、今回は尾を引いた。
「年末年始は身体を休めること」がモットーである。
結婚以来夫がしてきたゴミ出しが私の仕事となり、
彼を整体へ連れていくために、仕事から帰って車庫から車を出したり、
頑丈じゃない私は、その後激しく疲労する。
元旦の夜、全身が萎えて、夕食なしで横になっていると、
娘がやって来て、私があげたお年玉を返す、と言う。
あげたものを返されるのはよい気分ではないが、彼女なりの主張を母に説明する娘である。
ああこんな調子じゃあ、更新してしまった仕事が、年度内もままならないかも、ふとんを被って悶々としている。
翌日は、すっかり気分が良くなっている。
墓参りを兼ねて、谷中七福神へ行こう。
体調無理そうなら、半分だけでも回ろう、と言うことになる。
七福神は3年目である。
初めて行ったのは2年前の正月で、オーストラリアから訪ねてきた友だちが、あっさり帰ってしまい、中途半端な気持ちが治らない。
今日中に墓参りだけでも終わらせてしまおう、と家族にむちゃぶりをして出かけることにした。
着くと午後のおそい時間である。
ふと、行列をつくっているひとが気になって、うちらもやってみようか、と台紙を買いお寺を回り始めた、
谷中銀座を走って、寺を回ったが、三箇所余らせた。
一週間後、もう一度でかけて七福さんが揃った。
その年、突然仕事が舞い込んできたのは、このため、と私は思っている。
更新はなしにみえた現場から、もう一年やらせてもらえることになったので、今年も行きたかった。
仕事を求めている娘が今年初めて同行。
迷ったが、洋服で行くことにした。
洋服で正解だった、なんだかんだ着物だと疲れる、ということだなぁ。
いつも上野の弁天さんだけ、拝めない。
ひとが多すぎるし、早くうなぎが食べたいので、印はもらうが、参拝はなし。
だから、お金がないんだね。
うなぎ。
去年、大伯母を訪ねて浦和のホームに行く前に、うなぎを食べたのが最後。
思えば、あの時体調がいまいちで、うなぎが全然おいしくなかった。
三日はテレビ。
「家ついていっていいですか」の三時間スペシャル。
この番組は、リアルに、ひとが生きている現実がどんなものなのか?
を、突きつけられる。
ちょっと重いので、刑事コロンボに切り替える。
「ジュールとジム」(トリュフォーの映画。邦題は「突然炎のように」)のジム役のフランス人俳優が、犯人役である。
彼が「ものいわぬははらふくるる」と言うシーンで、昔父が、アメリカ人がそんなこと言うかよ、と突っ込んでいたのを思い出す。
ものいわぬははらふくるる、こそ父が溜め込んでいたものに違いない。
それをテレビで観たのがいつだったのか、もう実家を出たあとだったと思うのだが。
三日の夜、また具合がわるくなった。
また夕食抜き。
翌日、三が日が明け、家族の出払った家を掃除し、晴天のなか犬を連れて河原へ出る。
気分はすっかり良くなっている。
正月がおわった。