アリス・マンローの短編に「Night・・夜」というのがある。
「これは最初で最後の自伝ともいうべき短編だが、まったく創作の部分がないかといえば、そうもいえない」というまどろっこしい前書きがある。
本人のいうことはたいていあてにならないので、私はまず本文から読むことにする。
「夜」は、年が離れて生まれて来た妹に対するマンローの(異常)な心理を描いたもので、二段ベッドの下に寝ている小さな妹の首をしめる、という妄想に怯えながら、夜中徘徊するという内容だ。
家族が寝静まった夜、変貌する家のなか。
豊かではない農家の、厳しい労働のあとの夜。
家族が翌日の労働のための休息を取る夜。
昼間使われている器具の、暗闇のなかの静まり返った表情。
ひとり眠れない思春期の少女の闇が、夜の訪れとともに力を持ってくる。
日が昇り、家のなかに日差しが入り込んでくれば、笑ってしまうような狂気。
この夜の描写にためいきが出る。
私は、自分の早朝の光景を描きたくなる。
まだひとびとが眠っている時間帯。
知らない国の知らない道路を走る。
自分の国ではもうみんな起きて仕事をしている時間だが。
サハラ砂漠を背にした貧しい国の道路。
つぎはぎの、薄っぺらなコンクリートに対する、不信と不安で早く着かないか、と願っている。
飛行機の離着陸は、不平等な地球の配分によって、早朝か、真夜中だ。
舗装された道路を、物言わぬ運転手の運転によって黙々と空港に向かう時間に感じた、朝の空気の冴えたにおい。
知らない国にいるんだ、というあこがれのような、拒絶のような。
鼻につんとくるようなさびしさ。
このくにのひとびとの暮らし、この国のひとびとの受難が胸に迫ってくる。
空港に近づくに連れて、家並みがまだらに、平家が多くなり、妙な匂いが充満している。
皮を加工する匂い、と聞いた。
イスタンブールだったのか、アルジェだったのか、どちらの国も飛行の発着は早朝だった。
常に異国と東京の両方の時計があった。