シューベルト 

数ヶ月ぶりで、まったく現場の仕事がない一週間。

朝から予報以上に雪が降っていて寒い。

雪が止んだらびしゃびしゃ雨が降っている。

こんな天気で、分倍河原高幡不動ーと出かけなくて済むのはラッキー。

 

声楽の先生に、サービスでシューベルトを見てもらい、

「ここはやっぱり左手4、右手3のなかに入れないとダメですか?」

って、当たり前でしょう・・。

楽譜にそう書いてあるんだから。

シューベルトはそう作曲したんだから。

やさしい先生は和やかにわらって、

「できれば」

とだけ。

「そうですよねぇ」

ってわかってたらきくなよ。

 

帰ってからしばらく放っておくが、そこだけであとは通過しているのである。

このお休み中にそこだけ弾けば完了なのだ。

左手だけの練習をする。

大事な発見。

左手の指番号に4とふってある!

薬指で押さえろ、ということだ。

で、薬指で押さえると、すっと力を入れずに♬♬力みがなくいける。

うーむ、指番号はあなどれない。

小さな手で、オクタープが届かない。

勝手な指で、力任せに弾いてきた。

 

ピアノは、勉強はできない、運動はできない、身体は弱い、こころも弱いとダメなところばかりの子どもだった私の唯一、ひとより少しできるものだった。

ピアノだけが、ひ弱で頼るもののない自尊心を微力ながら支えてくれた。

もともとピアノは難しいものだから、練習をしないとできないものでもあり、私は亡き母の幼児期の特訓のおかげで、後遺症ともいえる苦しさは残ったが、ちょっと練習するとすぐに弾けるようになった。

しかし、そこしか取り柄のない子どものこころをくじくおとな(父方の親族)がいて、

目立ちたがり屋で、ほめてもらいたい一心で、人前で弾きたがる私を無視する。

無視するだけではない。

「Yちゃんのピアノが聴きたいわ」

=あんたでじゃなく、有名な音大の先生について習っているYちゃんのピアノが聴きたい。

ひとまえでは決して弾かないYちゃんは謙虚だ。

など。

父方の親族たちは、特別に性格のわるいひとたちだったのだろうか。

そうなのだ。

 

概して、ほめてほしくてする子どもの行為は無視されたり、嫌がられたりするのはどうしてなのだろう?

 かくいう私も、子どもの現場で、わざわざ私の前に出てきてバレエを披露したり、ピアノの腕前を見せたがる子に正直、めんどくさと思う。

担任も、子どもを制して、ほめることはない。

自分の経験も考え合せ、なんとか切り替えて「うまい!」とか「すごい!」、とかやや大げさに喜ばせることにしているが。

こころのファースト・リアクションは、めんどくさい、うざい、である。

よく日本人は、ほめることが下手とかっていうが、外人もなかなかほめるってことしないような気がする。

むしろ、敏感に、そういう場面になるとスルーしたり、見ないようにしたりする。

ジョークでかわすとか。

 

ピアノを否定されると、私の自尊感情がへんに刺激されて、半ばパニックのようになる。

先日ピアノの調律師氏が来て、彼は決して私の古いヤマハを批判しないでくれる。

調律師のなかには、いやなことをいうやつが居て、ひとの大切な楽器をけなして帰って行く。

前の声楽の先生は、自宅でレッスンしてくれたから、このピアノを使った。

彼女は私のピアノを「かわいそう」と言った。

もっとやさしく弾かないとだめです。

ピアノがかわいそう。

私だってわかるんだから、○さん(調律師)は分かってると思いますよ。

 

それでどかんと落ち込んで。

落ち込んだ分析をしたが。

いやな気分だった。

ずいぶん迷ったがやめることにして・・こういうときは「しばらくやすみます」というのだが。

歯医者さんのとなりの小さな音楽教室に飛び入りでお願いすることにした。

新しい先生とのレッスンが始まって、しばらく自分が過剰に固くなっているのに気づいた。

私は前の先生によっぽど参っていた。

 

 

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