地デジで見るのは「YOUはなにしにニッポンへ」「探偵!ナイトスクープ」「家、ついて行ってイイですか?」と決まっている。
「ザ・フライデー」も捨てたもんじゃない、三島由紀夫の特集などあり、知らなかった三島未亡人のドキュメント映像が見れたし。
どれも録画しておいて、CMは飛ばす。
最後に見た「家、ついて行ってイイですか?」のなかの母と子が胸にのこってしまい、いまだちょっと息苦しい。
突然の父親の死、自死であるが、実は他殺であってもおかしくない、という秘密情報に関係のある官僚であった。
子どもたちは、海外の学校を転々とし、母はエリート官僚の妻として生きてきた生活が、夫の死によって一変する。
母親の口調は、私の周りには存在しない上流のかたたちの話す日本語。
「さ」行が響く。
子どもの話す日本語はへん。
外交官を外交員というのも。
パリで生まれパリで育った知り合いの息子・もうおじさんだけど・Keiの日本語を思い出す。
こちらの会話にことばを返事すとき、頭の中で大至急変換するため、きょとんとした目の一瞬の間があり、直後にいきなりの日本語が弾丸のように飛んでくる。
名刺が間違っていたり、助詞がへんてこだったり、でも速いのだ。
ことばというのは、むずかしいものだ。
たとえば、Keiは初対面のひとに、「よろしくお願いします」というものと信じているのだが、そこは「よろしくお願いします」はへんでしょ、とか。
完全に日本人の顔をしてへんな日本語を話すひとの苦悩。
上流の奥さんの、突然夫を自死で失ったひとの苦悩。
まだ、なにもわからない、ただ毎日生きているのに必死、というのが正直に響く。
娘が、ずっと母親の手を握っているのも泣ける。
娘がじつは、LGBTだ、と、ほんとうのわたしを知らないでお父さんが死んだのは無念だ、と。
表面的に見ているだけではわからない、ひとびとの内実が、この番組を観るとつくづくみんないろいろだなあ、とみんなたいへんだなあ、の二点に帰結するのである。