こころたび

たまたまこころ旅の手紙を読む場面に出くわし、苦しくなる。

最近は、つづきは夜とかになっているのか、

午後7時から後半依頼された場所に到着するというので、もっと泣くことになるといやだな、と思いながら録画しておいた。

 

その手紙には、戦後九歳だった女性が、ついに自転車に乗れないまま八十になってしまった、とのこと。

父親に頼んだが自転車は買ってくれず、そんなに乗りたかったら俺の自転車に乗れるようになってからにしろ、といかにも父親の言いそうなことを言ってついに彼女は人生で自転車に乗る機会を逸してしまった。

親から、タイミングをはぐらかされて人生に大きな損失をもたらすことがあるよい例である。

 

手紙は、毎朝、徒歩で通学する彼女の脇を、自転車通学のひとたちが追い越していくのだが、いつも一番最後に自転車で過ぎていく女の子がいて、その子が乗っていたのは父親のものだったのだろう、大きなくろい自転車であった。

小さな身体で、大きな男物の自転車を漕ぐ姿が左右に揺れて、お尻をサドルにこするように乗っている姿が滑稽で、ああ、あの姿が自分でなくてよかった、と胸をなでおろした、というから、

女の子はさぞかし髪振り乱し、必死のようすで通学路を走っていたのだろう。

 

一年ほどして、しばらく姿を見ないと思っていたら、中学校の合同斎で、当時めずらしくなかった結核で亡くなった子ども遺影のひとりがその女の子だった、と言う。

「一年ほど、姿を見なくなって」というあたりから、かなしい結末の予想があったが、

すっかり参ってしまった。

 

いつも必死で、先に走る同級生に遅れまいと、小さな身体でおとなの自転車を漕ぎ、追い越すときの顔はいつも上気したてれくさそうん笑顔だった。

そして一年後に体育館の葬儀で発見した遺影のなかでも、やはり微笑んでいただろう。

なんとかなしい。

 

だから、もう後半観ないでおこう、とも思ったが、観てしまった。

 

元中学校舎のあった、いまは修道院から、加藤神社という亡くなった女の子が住んでいたという場所までが、こころ旅の経路である。

火野正平は、自意識と不器用さがおっかなくてなかなか落ち着いて観ることができないのだが、このときもかわいそうで不憫な女の子のことを上手に語れず、

山坂はなかったけど、遠かったよ、

こんな遠い道まいにち通ってたんやな、

とぽつんといっただけ。

 

この話の内容は、映像が浮かんでくるようなすばらしい手紙の文章に持ってかれて、後半は観なくてもおなじ。

 

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