リュウイチ・サカモトの時代

テレビをつけると、「ファミリーヒストリー」という番組をやっている。

娘がこれやだ、と言うが、老いたサカモトに興味を持って、そのまま観た。

 

かれの家族史はなる「ほるほど」というものだったが、

私の気持ちは、イエロー・マジックが一斉を風靡したときの、そのころ勤めていた職場のこと、というか職場のひとたちとの人間関係に移行した。

かれらの反応は一斉に「ナニコレ」だった。

キモいという言語は登場していなかったが、もしあれば「キモい」と言っただろう。

三人の音楽は、これまでにない新しいものだったが、三人ともべつに美形でない、ということもあったろう。

ジャニーズ系華やかなときでもあった。

高卒で働かなくてはならないひとたちの、下町の階層の一般的な反応、といえなくもない。

サカモトの連れ合いの高音域で歌う女性に対しては「ぶす」とわらった。

忌野清志郎と教授サカモトのCMソング「い・け・な・い ルージュマジック」が「夜のヒットスタジオ」で紹介されて、女装したふたりのキス・シーンが大写しに映ったとき、

どきどきした。

「わたし」がどう思うのか、より、観ている職場の女性たちがどう思うか、気になった。

「ゲー」とか「ゲロゲロ」とかいじわるなことばを翌日聞くだろう、と苦痛だった。 

他人がどう感じ、どういう感想を持つのか、ということが。

必要以上に、イエロー・マジックをもちあげて、宣伝する「わたし」の意図するのはなんだったのか。

「革命」?

 

そのころ、わたしは組合をやめた。

もともと組合の側からはカウントされていない、「あんなばか」とかいわれていたにちがいない。

新・旧の左翼からきらわれていた、「きらわれていた」というのも自意識過剰にすぎるかもしれない、相手にされない、というのが正確なところだろう。

それで、替わりに職場の女性たち、高卒で、集まっては他人のわるぐちを言い、週末まで集っては食べたり飲んだりする、そういう当時の職場の「多数派」に積極的に参加することにした。

同僚のスキャンダルや芸能人のニュース。

保守ともいえない、たれながしの情報をそのまま飲み込んでいるひとたち。

いたましいことに、彼女がわたしに向けたのはイジメのようなものだったが。

そのことに気がつくまでに時間がかかったが。

じぶんではかっこいいことを言っていた。

組合をやめて「ふつうの」ひとたちとの付き合いを大切にした、とかなんとか。

 

あれは一体なんだったのか。

ボス的なひとはいた。

年中酔っ払っていて、弱いものに怒り向けるタイプのひと。

彼女は、幼少期に母親が奔走し、船員であった父親とのふたり世帯となったが、その父親も亡くなってしまったあと、叔母一家に預けられた。

その集団では、わたしを含めて片親の家庭の子が三人、両親ともそろっているが兄の暴力があったひと、中心はこの四人だったかもしれない。

わたしの役割は、なんだったのだか、と老教授サカモトを観てあらためて思う。

 

当時、親しいともいえないが、密着はしていた同い年の組合活動家がいて、彼女と教授が同じ高校だった。

すでに高校で活動していた彼女に興味を持って、かれが近づいてきたのだが、校門で母親が待ち受けていた、と。

わかくてきれいな、組合の活動家、「新」のほうの、

彼女は一時期スターのように、組合集会の壇上でとうとうとマイクを持った。

オヤジからのヤジに、冷静に応酬していた白い顔。

彼女も早々に活動を下りて、早く仕事をやめた。

たまに会うと、昔と同じ左翼の口調になる。

 

にたものどうし。

なにかになったり、どこかに参加していないと、弱くて立ってられないものどうし。

 

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