家のなかが片づいていって、中身が空洞になっていく様子、洗濯ものや、犬の散歩や、いつもの日常が続いていても、様子が違うのが、外からでもわかる。

 

先週の月曜日引越しで、二、三日後に残務があって引越し先からやってきた。

引越しの当日も、残務の日もすごい暑さ、ピンポンが鳴って出て行くことすらふうふういう感じの日で、

引越しをし、新しい住居にいろいろ運んでもらうことは業者がするとしても、

その日からその家の暮らしを始めなくてならないYuさんの、どんなときでも笑顔で元気なその表情にもさすがに疲労感がみえた。

あいかわらずの笑顔で、否定的なところがどこにもないようなひと。

そんなことあるわけないが。

ぐっと押し黙って歩いているようなときでも、このひととすれ違うと、あーと両手を握り合ったりして、道端でさわがしく、一瞬の元気をもらってきた。

 

一昨年の秋に、父親の中村さんが亡くなって、そのときもなにごとかあったしんとした空気が家の外からわかったし、もっと前、7年ほど前におばさんのほうが亡くなったときも、私道挟んだ向かいの家の様子はじかに伝わってきた。

 

そもそも今年26になる娘が2歳のときに越してきていらい、中村家とは近所で唯一親しい付き合いが持てていた。

中村さんが、一回目の発作からリハビリをしていて、ひとに連れられて歩行訓練をする姿に線路沿いの一本道でなんどか行き交って、よろけそうになる身体を支えられて笑ってはいたが、中村さんを通り越すことに申し訳ないような気持ちになった。

自力で最後まで生活することに、必死でいらしたから、無理しているかんじもあり、なかなか思うように歩けるようにならないことにジレているのがよくわかった。

リハビリする姿を、私に見られることも、うれしくなかったにちがいない。

一緒にくらしていた次女のYuさんが、日に日にしおれていく姿に、中村さんの機嫌がよっぽどよくないのだろう、と推測していた。

そんなときに、2回目の発作が起こり、子どもたちが延命処置をしないことに決め、そのまま亡くなった。

彼が、いなくなってしまった地域に、住み続ける気がしなくなった、というとしばらくは私が居るから、とYuさんになぐさめられた。

が、とうとう数ヶ月前、家を処分することになった、と言われ、ショックを受ける私に、だいじょうぶ、だいじょうぶ、とハグしてなぐさめるのはYuさんのほうである。

 

家は、なかにだれもいないと、もう家のようではない。

昔、助けてもらったお礼に贈ったブルーベリーの木も、娘が小さいころ、枝ごといただいていたさくらんぼの木も、毎年箱いっぱいもらってジャムにしていた夏みかんの木も、もう持ち主を失って、ただ倒されるのを待っている。

ガムテープを貼って投函されないように封をした郵便受けの前の、きれいな植え込みの観葉植物だけが、数日前に降った雨で、ぴんと元気になった。

 

週明けから解体がはじまる。

 

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