手紙

手書きの手紙は、ほのぼのうれしい。

文字には、そのひとらしさ、中学から高校となり、アナーキーなひとがらをいつしか「よいこ」にキャラ変えし、それでもそのひとの書く字は、中学生のころの彼女の面影を濃く写している。

ちょっと乱暴で、なりふりかまわずの。

歩き方も、他の生徒とはちがっていて、当時すでによっぽどめずらしい「ちょうちんブルマー」をそのままぶわぶわと膨張したまま着用していたのは彼女だけだった。

みんな苦労してくだらないサージのひだを太ももに織り込んで、縫ったり靴下留で留めたり、なんとか体裁を保つ努力をしていたのに。

ひだをブワブワ揺らしながら白いむき出しの足で、堂々と歩く姿を覚えている。

 

手紙の内容は、先月91歳で亡くなった教師の訃報を、卒業校からのレターで知って、衝撃を受けた、というもの。

《才色兼備で個性的なひとがらは憧れでした。A女子大を受験のときたいへんお世話になりました》と。

優等生に変貌し、猛勉強してキリスト教系の女子大に進み、結婚、母となり、企業戦士の夫の不在家庭を支え、子供たちの手がはなれると図書館や学校事務などでアルバイト、という多くの同級生がたどる人生を彼女もたどたっていた。

《先生に憧れていた自分が、どんな人生を送ったか、といえばいたって平凡な主婦で、今年の春には初孫が生まれました》とある。

 

私と彼女は、当時目蒲線の中間地点にあった女子校に通った。

目蒲線というのは目黒と蒲田をむすぶ私鉄で、目黒方向の生徒と蒲田方向の生徒には成績にも家庭環境にもはっきりした落差があった。

父親の職業が、学生名簿に記載される時代である。

親の職業で生徒を堂々と差別する老教師。

「だれだれさんのご家庭のお仕事がお仕事ですから」

などと平気で言った。

この老教師が生徒を見る目は、たとえばどんな職業のひとならこういう目つきが許されるのだろう、と考えるに、警察官ぐらいなものではないか。

そして、厳しいまなざしで生徒を値踏みする老教師の、女学生たちからの人気はすこぶる高かった。

なぜなら、このひとがこの私学の権力構造のトップに居たからだ、と私は思っている。

 

友人が喪失感におそわれている91歳で亡くなった教師も、私はきらいである。

血の通ってないひと。

自分のことしか考えてないひと、と思っている。

たまたま近所に住んでいたので、通りですれ違うことがあった。

あいかわらずひとを値踏みする冷たい視線、挨拶するとめんどくさそうな顔をされた。

ただ、犬だけは好きで、私の顔から犬に目線を落とすと表情がやわらいだ。

犬を連れていないとき、私が頭を下げても素通りされたのは、私を無視したのではなく、犬がいないと私と認識できなかったからだったのか。

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友人と私は、蒲田駅からさらに海岸方面にバスでくだった場所に家があり、道路事情もバスの乗り入れもうまく機能してなかったあのころ、駅前で延々バスを待たなくてはならなかった。

蒲田には良い思い出がないようで、懐かしい蒲田で会わない、と誘うと却下される。

田園調布がお気に入りのようなのだ。