テレビをつけると偶然、小津作品が放映されていて、
どうやら地元蒲田らしい風景があって、引きこまれる。
その昔、小津作品が好きな友だちがいて、かれらと一緒に名画座やレンタルビデオで観たころとは違う、
すばらしい画像である。
白黒ではあるが、リマスター版の鮮明な画像。
こちらに入ってくる世界もぐっとリアル。
原節子も、声でそのひととわかった有馬稲子さんも、その美しさ、まっすぐな背骨、揺るぎのないウォーキング。
歩く後ろ姿が多い作品である。
玄関に出る原節子の廊下を歩く後ろ姿
お茶を運ぶ女子事務員が、部屋を出て行く後ろ姿
この「東京暮色」
会話が成り立たないシーンの連鎖である。
観ていて、いらいらしてくる。
娘を捨てて出奔した母(山田五十鈴!)と、捨てられた夫(笠智衆・この一風変わった俳優を初めて観たのはNHK朝ドラたまゆらであった、父はこの俳優さんが好きでなくいやだ、いやだ、と言っていた。)勤勉で真面目一方の。
残されたふたりの娘。姉(原)と妹(有馬)
すごい、と思ったのは、まったく噛み合わない会話をしていて、齟齬の連続、誤解の積み重ねのまま、現実はずんずん進んでいく。
フシギの国ニッポン。
いちいち「え?意味わかりません」
「それどういう意味?」
「わかるように言ってもらっていいですか」
など、言えば浮いてしまう。
たいていはちゃんとした答えは返ってこない。
そんなふうでも物事は流れていく。
それでいいのか?
しかし、この映画「東京暮色」の中で、とうとう妹は酔って線路内に入り込み、
「えっ!?」と画面に向かって思わず唸ったが、死んでしまう展開になる。
死にたくない、やりなおしたい、と言うこの女性を監督は殺してしまうのである。
姉が母の働く五反田の雀荘寿荘(この看板がカッコいい)にきびきびした喪服(和装)で出かけて行って、
「おかあさんのせいであきちゃんが死んだ」
とこともあろうに、ひっそり雀荘のおかみとして日陰に生きている母親を叩くのである。
ただでさえ世間からのバッシングを受けて生きているのだ。
おいおい、母親まで殺す気かよ、と私は思うのである。
実はアホな大学生との間で妊娠し、娼婦相手に手術を請け負っている産婦人科医(蒲田!)で処置し、身も心もずたずたになって酒を飲んで電車にはねられてしまう妹の死の真相にはだれも目を向けない。
男はお咎めなし。
ついでに言っておくと、この産婦人科医は女である。
ヒジョーに醜く描かれている。
白衣の上からふとった尻をポリポリかく、という演技まで女医に要求している。
子どもを捨てて家を出た女=悪。
結ばれない相手との恋で妊娠する女=悪・・「ずべこう」とまで言われる。
妊娠に至らせる男は問題ないが、妊娠させられた女は「性的にだらしない」とされる。
姉だって優等生ではない。
父親の勧めで気のそわない大学教授か翻訳家か、こむずかしい横文字を使う男と結婚し、一女を設けるが、夫のもとを出て父親の家に子どもと居候しているのだ。
この家族のなかで唯一ずけずけ本当のことをしゃべるのはおばさん(沢村貞子)のみであるが、この手広く会社経営する女性は、自分の利害にのみに忠実であって、頼りにはならない。
うーむ、鮮明な画質で観る小津作品の描く1957年のニッポンは、女に厳しいなぁ。
私は私自身の母を思ってつらくなる。
私も、姉ふたりも母のない子として育った。
母にとって最大の問題は、当時女性の置かれた状況である。
もしこれが母系社会だったら、世界のどこかに存在する母系コミュニティーだったら、姉ふたりと私の苦労はまったくちがったものだったろう。
なにより、母はまだ生きていたかもしれない。
「東京暮色」で検索したら以下のブログ発見。
この方は、「後味のわるさ」にへこたらず二度見したというからえらい。
https://blog.goo.ne.jp/gaditana/e/a0e75414b6e398c618aa18ce87343870