吐ききれない毒・・偽装

元旦に楽しみにしていた賀状が届き、印刷の隙間のわずかな肉筆からそのひとらしさがのぞいてうれしい。

年賀状は、たのしみ。

 

ここ数年、印字で自分の短歌を送ってくるひと、ずいぶん長い付き合いなのだが。

昨年、子どもが自立して夫婦ふたりになった。

「夫婦つかずつかず、なかよくやっていきます。」

とジョークのつもりか。

ていしゅげんきでるすがいい、というこれはなに。

川柳とかなのか。

ご近所の主婦たちと、そういってるのよ、というのを聞いて、

そういうことを言うのは、すこし上の世代のひとたちの話しだと思っていたわたしはへぇっ?とうなった。

「ふつうそうだよ」

なるほど「ふつう」ね。

「母親役も父親役もすべてわたしがやってきたの、200%力をだしてきた、子供たちのために」

と、怒りで青いような顔をして言ったことがある。

夫は仕事に忙しく、「子育ては君の仕事、いやならお前が外いくか」

と言われた、と。

あのことばは一生忘れない、と。

そんな男となぜ別れないの?と聞くと、

「だって選択肢ないもん」

 自分が母親であることがすきでしかたない、とも言う。

そして、自分の母親以上にすきなひとはいない、とも。

それはきっとしあわせなことなのだろう。

娘から恨まれ、あたんのせいで人生がだめになった、と言われる母親だっている。

子供のせいで人生どん底に陥ったり、ということもままあるのだから、母親であること、娘であることがしあわせ、母が心のよりどころ、といえるひとはしあわせにちがいない。

 

彼女からの今年の賀状。

いつもの短歌のわきに写真館で撮ったダンナとのツーショット。

ぎこちなく、ふだん義姿のふたりがやや距離を持って立っている。

そして、なんと手をつないでいるではないか!

「げーぇ、カンベンしてよ!」と思った。

この感覚がどこからくるものかわからないが。

ぴったりくることばは「欺瞞」

「欺瞞よ、でもそれがおとなってもんじゃないの」などという声がどこからか聞こえてくる。

 

世の中には偽装のファミリーがいて、

二十年ちかく別居して、元夫にはあたらしいパートナーと17歳の子どもがいるのに、断固として離婚しないため子どもの戸籍が宙に浮いている。

そして毎年かかさずに送ってくるのが、もうとっくに破綻したはずの元のファミリー写真とクリスマスカードである。

カードのなかは、あいかわらず四人家族のままなのである。

夫の現妻と子どもを削除して。

これはグロテスクではないのか?

私はあるときから不快さに耐えられず、破り捨てる。

私の自撮り写真アップの賀状を、ちっ!と捨てちゃうひともいるんだろうな(笑)

 

いろいろいな偽装。

ふたりめの子どもがまだ赤ん坊のころ、夫に恋人がいて、そのひとが自殺未遂。

この事件で夫の恋人の存在を認めざるを得なくなった。

彼女は子どもたちをつれて実家に帰った。

そのころの彼女は、夫に対する怒りに燃え、疑い、軽蔑していた。

自分と子どもたちをいっきに転落させた夫と夫の恋人をののしる彼女に、あなたにはなんの落ち度もないの、とひとこと言ったら、彼女の運転してた車が側溝に落ちた。

そのとき、後部座席にいたふたりの子どもの顔。

上の子は、母親の感情を汲んで張りつめた顔をしていた。

下の子は、どこかマヒしたような表情。

上の子に問題が出たが、このひとはここでも問題に取り組まず、問題なのは上の子、と顔を歪ませた。

下の子は、優秀で母親思いなのに、と。

 

あれから、二十年。

夫婦としてふるまっているフシギ。

すべてわるいのは、夫の恋人ということになっている。

あたまのおかしい若い女が、ひとりで騒いだだけ、というような。

 

これは偽装ではないのか?

言葉はなんとでも言えて、写真はどういうようにも撮れて、実体はだれにもみえない、とでも思っているのか。

 

こういうことを「キモチわるい」と思う私が問題なのか。

自分自身が宙に浮いた子であり、あたまのおかしい子であり、家族というシステムから排除された、という部分がずきずきとずくから、

だからなの?

 

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※台所の棚の置物と塩。年末の掃除できれいに磨かれました。