モモ

あれも読みたい、これも読みたい、定期購読している「不登校新聞」をきっちり読んで切り抜きたい、と思っていた正月休み。

とうとう読みきったのは「モモ」だけである。

 

この本は、これまでなんども読もうとして読めなかった児童書である。

一時はブームになっていて、厚いカバーの重い一冊は、図書館でも常に貸出中であり、いろんな教育相談家(?)などがこの本の主人公モモについて、作者のエンデについていろいろ書いていた。

数年前も、読もうとして図書館の蔵書検索をかけたが、とうとうまわってこなかった。書評にでたり、だれかがどこかで引用したりすると、人気が出てなかなか順番がまわってこない。

 

予想通り、なかなか入り込めない。

モモといういわばホームレス少女の住む円形劇場。

親切な下層の人々とのこころの交流。

時間泥棒との対決。

そしてモモの勝利。

 

感動したのは、時の番人の老人につれられてモモが時間の本質へと進んでいき、湧き水のようにきらめく時が誕生する場面、そして、それはひとりひとりのこころのなかにある、というところ。

泣きそうになった。

時は自分のなかにこそあるんだ。

時間泥棒にだまされてはいけない。

ひさしぶりに船木亨教授の「現代哲学への挑戦」をめくってみる。

グリニッヂ天文台の示す十二進法の時間軸が、地球上あまねくすべの地域、どんな辺境な場にあっても天文台の時間に支配されるようになったフシギ。

個別の地域には、その土地土地固有の時間軸があり、そこに暮らすひとと季節をつないでいたはずなのだ。

 

この本が出版された時代より、時間泥棒は巧妙になり、時の刻みは巧妙になっている。「モモ」のなかの時間泥棒たちのようにおまぬけではない。

最後の最後になって仲間割れをしてモモにポイントを奪われてしまうようなナイーブなひとたちではないだろう。

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