ヒロシマへ向かう新幹線のなかで、つらつら思っていたのは叔母のことだ。
広島は、叔父一家が一時期転勤していた場所で、40年ほど前にひとりで訪ねたことがあり、小雨のけむる宮島へもでかけ道中鹿と対面してうろたえたりした。
そのとき、叔母は東京からやってきた私を歓迎せず、夜更けてからひどいことを言われた。
叔父は、会社から早く帰ってくると、おぅっという感じで私を出迎えたが、ふたりの間で東京から来る私をどうあつかえばいいか、ごたごたしていたことだろう、と思う。
私はもう面倒みないから、とか泊まるなら一泊だけにしてくれ、とかもういいかげんにして、とかそんなことを叔母は言っていたにちがいない。
冷たい目をしていやなことを言われた。
いとこは不在で、いとこのベッドで寝たが一晩中眠れなかった。
叔母も眠れなかった、と朝言った。
なんだふたりとも眠れなかったのか、と叔父が笑った。
オープンリールの巨大なステレオからクラシックを聴く叔父に、
これこれ、これなんの曲?
とジンとくるのに、曲名のわからない曲が偶然流れたので聴いてみると
これはシューベルトの未完成、と叔父が言った。
どうして未完成なの、
と聞くと
それはだれにもわからない、
と叔父が言った。
去年の夏、神戸のいとこがめずらしくたずねてきて、一緒に15分ほどだったが昔住んでいた東京の社宅に行って見た。二十代で出禁になって以来であり、もう社宅もなにもかも消えて居て、どこが社宅のあった場所かわからなかったが、思わず手を併せた。
えー手を併せるんだ、といとこが言った。
ヒロシマに着くまでは、叔母のこと、あのときの気分を思い出していたが、あのとき起こったことを夫にいうのはやめよう、と思った。
叔母のキャラには仰天していた夫が、私が傷つけられたことを知れば怒るのは分かっている。
でも私が考えていたのは、そういうことではない。
叔母のキャラとか私をノック・アウトさせるための暴言とか、それは表出であって意味ではないから、意味がしりたい、と思うのだ。
叔母とはとうとう和解することなく、最後の見舞いも拒否され葬式にも呼ばれなかった。
もっとも葬式は夫と娘のふたりだけで行われたのだが。
どうやら和解は私の人生コードにはないらしいのだ。
だが、去年いとこが来て社宅を訪ね、今回ヒロシマを訪ね、叔母のことを思う。
最期までみえっぱりで私を見て、というひとだった。
おしゃれで派手好きで、自分を盛って。
ヒロシマに着くと四十年前の思い出はなにもなかった。