ナガサキ

ナガサキは、娘と311のときに一泊した。

娘はひとりで資料館へ行き、私は資料館の喫茶店で待った。

ずいぶんたってから戻って来た娘がまっすぐな目をして、

おかあさん、すごいよ、ぜんぶきえちゃうんだよ、と言った。

 佐賀から長崎までの線からすばらしい海岸をずっとずっと見て、帰りも同じ線にのって佐賀に帰った。帰りの車内からふと見えた飲料水の看板の電話番号を覚えて、すぐに電話した。

東京の水道水にはセシウムが混入している、ということだった。

もうなんという会社だったか忘れてしまったが、水はあるが、ボトルの製造が間に合わないとのことだったが、ほどなくして送ってもらえることになった。

 

ナガサキの資料館にも、ヒロシマと同じタイプの模型があって、今回も遠巻きに模型をながめた。

模型そのものよりも、模型に見入るひとたちの表情、たたずまいに打たれた。

ふつうのひとたち、自分もふくめて、つよくもなく、当面はまっすぐ立っていられるが、なにかあれば簡単に倒れるひとたち。

とりあえず今いきているひとたち。

そういう残された人間たちが、消失の瞬間と荒廃の模型を取り囲んでいる図。

 

見覚えのある写真があった。

小さな妹をおぶって、男の子が気をつけの直立の姿勢でたっている写真。

やせた男の子のせなかにおぶいひもでくくりつけられたいもうとはぐっすりと眠っているようにみえる。

男の子はわらったような顔をしているが、ちがうのだ。

妹の眠っているのではなく死んでいるのだ。

かれは他の大勢の死体といっしょに妹を焼いてもらうためにそこまでおぶってきたのだった。

おとこたちが、おぶいひもをほどき、男の子の身体から妹をおろして灰の上に横たえると、兄はもういなくなっていた、とその写真である。

 

この写真集を画家のSさんの家で見て、わらってるの、と写真の意味もわからず言って、激しく怒られたことがある。

自分と違う反応をすると怒るひとで、私は恥ずかしかった。

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