みずがきやま

バースデー・ランチに神楽坂へでかけた。

夫はなんと六十代最後の年になってしまった!

 

神楽坂には、夫の親友の娘(26)が最近住みはじめ、ハッピー・バースデイのラインを届けてくれた彼女に「いま神楽坂のレストランにいるよ」と返信すると、何時何分にお母さんと飯田橋の駅に着きます、と書いてくる。

娘はうちの娘(27)と一歳差で、お互いに一人っ子なので、子どものころは5月の連休、8月のお盆休みは山へ行ったりして一緒に過ごした。

まだゴールデン・リトリバー犬のブックが元気で、ギンという猫もいたころで、泊りがけで出かけるときは二頭を連れて行くか、だれかに頼んで出かけなくてはならなかった。

夫の友達のMJは、犬にも猫にも一切興味を示さず、ワイフのほうも同様であったが、娘は二頭をかわいがってくれた。

 

どこかで入手したレストラン情報がメモに残っていたので、このレストランにしたのだが、う〜んもう一回行く気はないかな。

給仕が勘違いしている。

こういう勘違給仕がけっこういるな。

フレンチだからなのか?

フランスはえらいのか?

ミシュランに載っただとか、フランスの有名な雑誌に載っただとかでたいそう繁盛している店で家族三人で向かい合っている。

なぜか三人で食事に行くと夫がおとなしくなる。

娘もあまりしゃべらない。

だから、というわけではないが、MJ家とみずがきやま行ったよね、あれいつだっけ?

急に思い出してふる、中学のころ?

娘がいや小学校でしょ、中学になってからは行ってない、と言う。

中学三年間は館山合宿だから、と。

え、あれまだ小学生のころだった?えー?

そんなに小さかったのか。

みずがきやまは、娘の学校で行くことに決まった山で、それをMJに話すと、なぜだか興味を示して二家族で行くことになった、と記憶している。

「みずがきやま」で記憶をサーチすると、ゆるゆると、なにか通常の山登りではない出来事があったような・。

ふたりともまったく覚えていない。

MJは頭脳明晰で知られたひとだが、記憶力の点では大したことがない。

以前もフランスから来ていたCOUCOUと一緒に行った山スキーのことを覚えていなかった。

そもそも自分が山スキーにハマったことすら忘却しているのでがっかりした。

ストイックな彼の趣味が、登山やスキーから山スキーへと移って、大変なだけで面白くない山スキーがこれからの旅行に加わるのか、と思うと残念だったのでよく覚えているのだが。

 

登山道の入り口の駐車場に車を止めて、私とMJ妻はふたりで喫茶店にいるから、と父親➕娘✖️2を送り出した記憶。

茶店が開いていなかったような記憶。

そして、車で待ってようか、と駐車場に戻ると車のなかでうちの夫と娘が寝ていたような。

登ったのはMJとMJ娘だったような。

ちがうか?

登ったのはMJとうちの娘だったか?

うちの娘が足をくじいた・・?

それはない、と娘。

二家族で出かけた山で自分が怪我をした、などいやなのだ。

ちがうかな、と言うと少し考えてからおかあさんが合ってるかも、と言い出した。

 

家に帰って、昔の手帳をめくってみる。

2003年、二回みずがきに行っている。

一度目は5月のまさにその日、5月4日である。

二度目は7月、小学校の夏の行事であった。

うまくいっていない小学校の学校行事の本番の前にみずがきを体験させておくことは、良いような気がしたのだっけ。

そしていつもそうであったように私の目論見はハズレたのだった。

 

下山したMJがめずらしく登りにくいとかなんとか文句を言っていたような気がする。

みずがきやまは、登りにくくなぜ小学校の夏の行事に選ばれたのかわけがわからん、というようなことを。

手帳をさらさらと読んでいると、いろいろなことが書いてある。

もう亡くなった友だちのこと、日本に帰ってきてから娘の不適応に悩み、ライフプランニングセンターで帰国子女の問題に取り組んでいたメモが書いてある。

私はまだ玉川大の通信の学生であり、資格のための勉強をしていた。

夫は海外出張が多く、不在がちであった。

16年前、夫はまだ五十代であり、私は四十九歳であった。

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