雨がつづいたあとの晴れの朝。
ひさしぶり台所の窓をえいっと開けると、窓枠に置いてあったオリーブ油のびんがすっとんで床に落ち、からんという音がしてうすいプラスティックのふたが跳ね飛んだ。
油が床にこぼれ、黄色い液体がけっこうな量、びんの転がった方向にすいっと流れをつくっている。
あ〜あ、怒りのような悔いのようないやぁな気持ちを押し殺して乾いた雑巾でふきとる。
床みがきだ、とむりやり思うと、油膜にひかる床に、スリッパの底のゴムのあとが重なっている。
しかもふたがみつからない。
前日の日野は久しぶりにひどくくたびれて、駅から家まで歩くのもやっとという感じであった。
往復四時間近い道のり、数年前からクラシックやハワイアンを聴いてリラックスするようにしている。
その前はハードロックであった。
ロッキーの炎のテーマであった。
ガンガン耳から叩き込んで、闘志を燃やし、なにくそモードで仕事場へ向かっていた現役のころのまま保育職場へ行っていたのだ。
どうもそれではうまくいかなくなった。
通勤時間をリラクックスの時間にするといいですよ、とアドバイスをくれたのは、「やすらぎの里」のカリスマである。
多分もう、断食療法もかつてのような効果は期待できないだろう。
若い頃役に立った刺激がもう効かない。
長いこと待たされて「母の前で」という本が図書館に届いた。
辺見庸さんのブログにこのところずっと書いてある「母の前で」。
ピエール・パシェという著者は、リトアニア人の母を持つユダヤ人であり、アルジェリアで教職をとった経験もある、とあとがきに書かれてある。
アルジェリア、歴史のすき間に落っこちて身動きがとれない苦しい国。
革命に勝った、とされながらフランス人を恐れる貧しいアルジェリア人。
負けたとされてもそこだけ輝いているアルジェ市のフランス人居住区。
辺見さんのブログは、このところ老いがテーマかな、自身の老いと老いの置かれる社会。