伯母

このひとをホームに尋ねたのは二年前。

そのときのことはブログに書いた。

いやな気分が半年くらい抜けなかった。

もう行くまい、と心に決めた。

心に決めることなどなんにも意味がないことは、65年間実証済みだが。

ひと月ほど前電話すると、目がみえなくなってしまって気が狂いそうだ、と言っていた。

考えることも思うことも目がみえないとわからなくなる、と。

それが、先週電話をすると気がついたらまた見えてる、と、

幸か不幸かまた元気になっちゃったの、と笑っている。

姪の婚礼で着た留袖から帯、長襦袢からバッグまで一式彼女からのもらいものである。

お礼のつもりの電話だった。

一番上等の帯があったのだが、これは私がもらったことになっているのだが、ほんとうは長女が持っていった。

誤解されたままになっている。

こういうことは他にもよくある。

誤解は、誤解されているほうがいくら言っても効き目がない。

誤解をされたら、放置しかない。

誤解を解くのは時間の無駄、と文芸部の投稿に書いたのは亡くなったともだち。

おもしろい、と思ったが、論理展開は覚えていない。

ただ、彼女が確信を持って、誤解は解かない、とセーラー服姿で毅然としていたのを覚えている。

一体高校生の彼女がなにをだれから誤解され、そのままでいい、と決めたのか。

 

伯母は九十五歳となり、頭はクリアーである。

六十代からあやしくなっていた祖母の一番下の妹であり、祖母が父を出産するために里帰りしたときまだ子どもであり実家にいて父の誕生のことをよく覚えている。

父が死んだとき、葬儀店の近くの大学病院に入院していて、通夜の日の昼間病院を抜け出して父の遺体になわ草履をはかせた。

伯母は声を殺して泣いていた。

伯母にとっては、いつまでも父は赤ちゃんなのだった。

 

その後も伯母は生き続けている。

ホームでの暮らしは大変だ、と。

いろんなひとがいるでしょ、ニュースでもやってるでしょ、と。

入居者にもいろんなひとがいて、なるべく自分のことは自分でして、ひとに迷惑をかけないように、と思っているひとはあとまわしにされ、お金払ってるんだ、と主張するひとが優先されるのだ、と。

 

調神社にウサギを返さなくてはいけないし、そろそろ行ってみようか。