波 ソマーリ・デラニヤガラ著

ある集まりで、「波」という本を紹介される。

紹介したひとはこの本を読むことを勧めない、と言い、反社会的な本である、と言う。

本は英語で書かれたものだろうから、日本語に翻訳して出版したということは、それなりの評価を得たからなのだろうが、自分には理解できない、と。

気になって、検索してみると、著者はソナーリ・デラニヤガラ、スリランカ人である。

つまり、これは2004年のクリスマスにスリランカのビーチを襲った津波の本なのだ。

 

図書館にリクエストすると、すぐに届いた。

著者は英国人である夫はとふたりの息子、8歳と5歳、家族四人ロンドンで暮らしていた。

英国からクリスマスのホリデーに息子たちの好きなスリランカのヤーラ国立公園に滞在していた。

調べて見ると、ヤーラはゴールよりさらに南にある。

 

窓から見える海に違和感を覚える瞬間、

?どこかがおかしい、すべていつも通りの景色に海がゆっくり押しよせてくる。

押しよせては引く海岸が、引くことなく近づいてくる。

夫を呼ぶが、バスルームにいる夫は生返事できてくれない、もう一度呼ぶとただならない妻の声に外を見た夫は、ふたりの息子の手を取って走り出す妻に早く、早く、と叫ぶ。

「ひとり寄こせ、ひとり寄こせ」と夫は走りながら言うが、そんな間にも波がやってくる。

波の速度40キロ。

宮城の津波を調べたら、115キロだった。

 

庭に走り出ると、見知らぬひとの乗るジープが扉を開けてくれる。

乗れ、と合図するジープに全速力で転がり込んだとたん、ママとパパはどうした?

隣室に滞在していた両親を置いてきてた!

とたんに上の息子が泣き出す。

大丈夫、ふたりはあとから来るさ、と夫。

なにが起こっているのか、次になにがくるのかわからない。

311のとき、遠く離れた東京にいても、なにが起こったのか、次になにがくるのかわからなかった。

いつもの日常から、めったなことは起こらないさ、へいきだろう、と思うのだが。

思いたいように。

 

次の瞬間、ジープに水が入って来る、妻と夫は息子を持ち上げて腕を伸ばすのだ。

息子たちが溺れないよう、息子たちを守るために。

と瞬間ジープがひっくり返った。

そしてまた、その次の瞬間、泥の中で彼女が生きているのが見つかる。

 

あまりの内容に、頭のなかがスルーしてしまい、何度も最初に戻って、リゾート・ビーチに津波が襲ってきた朝に戻って読み返す。

 

私たちは、1995年から1998年までコロンボに暮らした。

津波の被害にあった数々のビーチの中には、週末を過ごしたビーチがある。

ゴールまでは南下したことがあるが、この本にあるサファリのできるヤーラという場所までは行ってない。

 

2004年、年の暮れ、娘と私は福島のスキー場にいて、宿の食堂のテレビでスリランカの被害を知った。

そのときの驚き。

ヨガの先生であるイギリス人女性は、数年前にフィリピンに移動していたが、津波被害を知ってスリランカに駆けつけ、トラックを借りて毛布などの物資を被災地に支給したと言う。

リベラルなイギリス人というのはすごいな、と思ったものだ。

 

この本は、喪失感と物との関係をよく表現している。

物は単独で物ではなく、場は単なる場ではない。

生きている人間との関わりのなかでとらえているのだ。

家族を失った当初は、家族にかかわりのある場所、物、友人たちすべてを拒絶してスリランカの親戚の家で酒とドラッグに溺れる著者。

スリランカという国は、黒魔術の国である。

ものごとを因果論でとらえる東洋の伝統文化である。

この著者は、高校卒業と共に早くに英国に渡り、アッパークラスのスリランカ人として英国で英国人のように生きていたのだが。

彼女の高校はレディースカレッジ、付属の幼稚園があって邦人の子どもたちも通ったていたので、名前はよく聞いていた。

ところどころ耳に覚えのある地名、ブラーズ・ロード、ホートン・プレイス。

グーグルで調べると、彼女の実家は、われわれが住んでいた地区とそう遠くない位置にあり、コルピティヤという市場へ行く時、子どもどうしの集まりや邦人奥さんたちの集まりに行く時など通った場所だ。 

 

「波」の著者と、亡くなった夫の名をウィキで調べていたところ、ぐっと迫ってくるものがある。

 

直後に今年二度目のぎっくり腰。

一週間まるまる身動きが取れなくなった。

津波の著者の喪失がのりうつったのか、私はばったりと倒れた。

 

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著者 家族写真