母の親戚

東松山は、池袋から東上線に乗り換えてさらに50分近く電車に揺られ、成増を超え、川越を超え、あっけなく爆睡する夫のかたわら、坂戸を超えていきなりひろがってきた青々とした水田の景色をながめ、これから訪れる母の親戚のことを考える。

戦前の谷中で暮らしていた母。

その日訪れることになったのは母の父方の親戚で、おなじく日暮里にいて親しくしていた、という母より三歳年下の男性。

90を超え、電話の声と手紙から元気そうな奥様と東松山にふたりで暮らされている、というのでお顔を見に行くことに。

電話と手紙だけではなんだから、とけっこう強引に訪ねて行くことを決めてしまった。

電車を選べば自宅から一本で行けるのだが、腰のことを考えて乗り換えで行くことにした。

朝の早い時間は、秋らしいひやっとした空気だったが、みるみる上昇して夏日に。

 

前の日は、どちらかといえば気の重いひとの来訪があった。

このひとが日本に帰ってくる、と連絡があったときから重くのしかかっていた。

腰のこともあり、仕事のこともあり、

このひとにどこかが痛いとか、具合がわるいなどと言おうものなら、自分はそんな状態になったことがない、と半笑いで非難されるか、いやな顔でスルーされるのがオチだから、そんなことはいえない。

しかし、この日は都合がわるいとか、いつなら都合がいい、とか言うのも具合がわるいのだ。

彼女は、自分の家を私のために解放し、私のために時間を削ってくれたのに。

自分にはそれができない。

義理がわるい、恩知らずだ、と思う。

去年来たときは、いやな気持ちをいつまでもひきずった。

私がライバル視しているカップルの話題を必ず持ち出す。

今回も言い出すぞ、と思っていたら案の定別れ際に二度名前を出した。

これまでは不快な塊を飲み込んで、わざと笑って、ふたりともお元気なの、優雅でうらやましい、など相手が言ってほしいだろうことを返していたが、去年かれらの優雅なマンションの写メを見せられたときは、立ち上がって台所へ行った。

台所になにも用事はなかったが。

カタカナ商売のカップルとは、なんとなく友だちになりたかった私と、特に女性のほうはあなたのようなひとになんの興味もない、とあからさまに示し、誘っても断られた経験がある。

ついでにいえば、この女性と我が家にきた女性ふたりに、意地悪をされたこともあり、国外でもあり、こころぼそく、ことばもできず、なにもしらない地でばかみたいに扱われたことを根に持っている。

こちらが気弱くなっているときに、あの扱いはない、と私は思うのだが、あちらにはあちらの事情があって、私が弱っているようにはあまり見えなかったのかもしれない。

あるいは弱っていると知ってのことだったか。

それだけではないが、なるべく触れないようにしたい。

なにかの引き金でかあーっと怒りがよみがえる。

つくづく溜めこみやすく、排泄のわるい自分であるが、こういう自分だから仕方ない。

マインド・コントロールまがいのこともやってみたが、よくならない。

 

カタカナ・カップルの名が出ても無視してその場をやりすごし、ようやく駅で別れて、いつものように後味がよくない。

これでよかった?

気の毒なことをしていない?

淋しそうにもみえる別れ際のそのひとを思うと、身につまされる。

だからと言って、いいよいいよ、いつまででもいて、とは言えないのだから仕方がない。

おみやげでごまかすしかない。

大したおみやげでもないが。

 

東松山へ行くひどりは練りに練ってその日しかない、という日に決めた。

疲れると言ったって、ひとが来て、近くに食事に行くだけのこと、大した疲れでもないだろう、と翌日に設定したのだ。

それを逃すと9月になる、というタイミングだった。

そして、身体の疲れではないはずの疲れがハンパなく、朝からよろよろする。

弱いなぁ、自分、と思う。

 

池袋で目に入ったタイ食堂で、甘辛の焼きそば、ピリ辛のチャーハン、ついでに汁麺を頼んで、ニンニクと唐辛子とピーナッツでくらくらする。

食べてしまってから、これ途中できもち悪くなったらどうする、と本気で心配になる。

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