朝のうちに雨は止んで、曇りのはずが、とうとう終日煙たい小雨降るうっとおしい一日で、家族が帰ってくるまでの時間がとてつもなく永く感じる。
こんなことでは、子もいずれ出て行くのだし、困ったものだ、と思いつつ。
正午きっちりに白米とさつま揚げ、ネギを入れた納豆で昼ごはんを食べると、すぐさま眠くなって二階で寝てしまう。
私の昼寝はせいぜい十五分から三十分だが、このごろは本を読んでいるうちに老眼鏡をしたまま眠ってしまい、読みかけのページをひらいたままの状態で目覚め、下に降りて行ってもむっと気分が重い、犬は外に出してくれ、訴えるのだが、すぐに応えてあげることができない。
永い午後いったいどう過ごせばいいのか。
昨日の新型コロナウィルス の厚労省の基本方針を聞いて、もうたくさん、とそれまでテレビにかじりつきだったのが一気に、ムダという気持ちになった。
もうどうしようもない、おめおめと感染が広がるまま、防ぎようがない、悲壮な気分に襲われている自分である。
雨は降っているようだが、老テリアを散歩に連れて行こうと、迷ったらおわり、出かけないほうを選んでしまう、衝動に任せて外へ出る。
しかし老テリアは、道路に出たところで頑固に這いつくばって散歩を拒否、フードを与え、だましだまし歩くが、あるところでもういいや、と引き返す。
家へと方向を変えとたんしゃんしゃん歩く。
これではだめだ、時間がありすぎる。
再びひとりで外へ出た。
犬を連れて歩くことになれているので、さむざむとする。
郵便局で用事(米代の支払い)を済ませ、田園調布中央病院の横を通って、病院をながめる。
この病院がすきで、できることならこの病院で死にたかったが、取り壊し移転が決まったらしい。
壁ははげ、古いサッシのガラス窓の内側は病院関係者がルーティンに従って忙しそうに仕事をしている。
だらだらとめったに通らない病院の裏をながめながら、やや下り気味の道をバス通りに出る。
田園調布駅と六軒通りをつなぐ道で、半世紀前は私の通学路であった。
当時は、バス通りと病院の脇道の角に大きな屋敷があり、朝その前を通るとドイツ車が止まっていて、お嬢さんを学校へと送るのに出会った。
お下げにセーラー服のお嬢さんは、同じ髪型と同じ制服の友だちと立っていた。
私は下町から田園調布に通う生徒で、目黒方向から通う生徒とは、学力にも経済にもひらきがあり、もっといえば教師たちの扱いにもひらきがあった。
ぴかぴかの車で運転手に学校へ連れて行ってもらうその光景を、私はなるべく長く見ていたい、とゆっくり歩いた。
後部座席にならぶふたりの頭から目が離せず、運転手が車を発車させて消えてしまうと現実にもどってがっかりした。
私が通学した六年間のあいだに広い門の屋敷は取り壊され、ベンツと女学生の姿も消えてしまった。