女流の作家がすき。
女の描く女。
幸田文文学に登場するある種の女。
このひと前にも出てきたな、と思う形態。
ゆるく着物を着て、媚びてなびくひと。
あだがあって、計算高い。
タイトルは忘れたが戦後の物のない時代に、おそらく市川あたりに父露伴と暮らしていた頃、陰でうわさのある戦争未亡人の描写。
ある夜、用事に出た文さんがこの女性に遭遇するシーン。
夜の闇に煙草の赤い火がゆれて、ふと見るとこのひとだった。
近所の陰口は、このおんなはなにをしてくらしているのか、わかったものじゃない、というもの。
「女を売っている」
「性を売っている」
そのような類のいかがわしい女というレッテル。
自分がなにをどう言われているかよく知っているその女性が偶然出会った文さんに、いどむような目をなげてくる。
父親が受勲して、その祝いに駆けつけるのだが、当時の文さんはたいそう暮らしに困っている。
日々の食べるもの着るものにまで困窮する生活をしていた。
父親は有名人でも、嫁いだ先の経済がまわらない。
商いの帰りの市電のなかで知らせを知る。
当時、すでに電光ニュースというものがあったらしく、市電のなかから父の叙勲を知り、すぐにでもかけつけたいのを悶々耐えて、翌朝父の元に急ぐのだが、ひとの出入りににぎにぎしい玄関から入ることが憚られ、勝手口から入ると、そこにの豪華な祝いの品が数々並んでいる。
お頭付きの高級魚、外国の果物。
茶の間で待っていると、(そのひと)が二階から降りてきて、文さんを見てもあいさつもせず台所へ入ってがたがたとなにかしている。
立ち上がって台所へいくと、さっきまであったいただきものが、すっかり片付けられて、しなびたようなヒラメの折り箱だけが残っている。
どういうこと?
不快になる。
この女性は、どうやらただの女中とか家事手伝いのひとではないようだ。
着物の着方、化粧の仕方、きちんとした挨拶を省くさま。
父親がようやく二階から降りてきて、娘に気づき、お前げんきか、とひとこと。
温泉のようなひとことに、気持ちがふわっと溶けた、とある。
いろんなものが届いているから魚をみやげに持って帰れ、と言われるが、台所にはしなびたようなヒラメしかない。
翌日孫とお祝いに行くと、孫にむかって、鯛はおしいかったかい、とたずねる。
うん、とげんきに答える孫は、鯛もヒラメもわからない。
しばらくヒラメというとこの女性のことを思って気分がよくなかった。
このタイプの女性に対する筆が、嫌悪の体裁をとっていたとしても、その思いの深層にあるのはなんだろう。
女の描く女。
ものを書くようなひとは、なよなよした、かわいさをウリにする女性はお気に召さないのかもしれない。
髪の短いすがすがしい女性、とか、軸のある襟元の正しい女性の描写は、とことんよしとされる。
アリス・マンローの短編になかに登場する娼婦は、彼女の母親からずいぶかひどい扱いを受けるが、マンロー自身は、母親と娼婦と噂される女性との対比を客観的に描いている。
一方は、若いのに老けて見え、一方は年上なのに華やか。
一方は、周りから浮いていることを繕うとしているのに、一方は周囲からどう思われようと自由に振る舞っている、と。