この家には、しばらく預かっていた娘(現在四十歳)がふたりいる。
ひとりは夫の妹の子であり、もうひとりは夫の友人の娘である。
ふたりとも、上京する時は突然で、家にもくるのも突然。
新国立美術館の帰りに、ミッドタウンでランチをしているとスマートフォンが鳴った。
相手は夫の妹の娘。
このこが九州から出てきて、東京で職探しをしていた頃は、職安に行く時は握り飯を持たせ、具合が悪くなったら漢方医に連れて行き、となにかと世話をやいたが、
本人には面倒になったという意識はなく、当然感謝はされず、彼女からも彼女の母親からもひとことの礼を言われたことがない。
ふたりの娘からも母親たちからも、礼を言われ感謝されるのは夫で、私ではない。
だいたいそういうことを言うわたしがセコいとは思うのだが。
わたしだってとことん迷惑をかけた親戚にな〜にんも感謝していない。
むしろ世話になったひとを裏切る、ということがある。
わたしだけのパターンか?
ミット・タウンのテラス席だったので、そのままスマホをとると、甘えた声で「おばちゃ〜ん」とくる。
「いま東京にいるんだけどぉ〜、ちょっと会えるかなぁ、と思って」
突然高音のつくり声で中断された夏の休日。
そそくさと帰宅し、ごはんは食べていかないよなぁ、と夕食の用意するのはやっかいだぞ、と心配している。
久しぶりに会うと、すごく太っている。
太ったからだに、コットンのひらひらしたブラウスを着ているのが、膨張して見えるし、何よりも汚れている!
トマトだろうか、赤いしみがべったりついたブラウスを無頓着に着用し、
前ボタンで止めるスカートは、椅子に座るとはじけて生のふとももが見えている。
髪の毛は、だらしなく一本に結んでいるが、べたっとしている。
ここに来てるって、パパに電話しようかな、などと言う。
ママも驚くかも、と。
ぎょっとなる。
パパって妹と別居しているそば屋のオヤジ?
ママってだれのこと?
それにあんた四十になって、パパ・ママはねえんじゃね?
手に持ったコップを爪で弾く音が耳障りでいらいらする。
かと思うと、椅子のアームを手のひらでぱんぱん叩いている。
むこうも緊張しているのだ。
お茶だけ飲んで帰った彼女のふるまい、服装などが、気になりはじめる。
去った後、この子のことばかり考えている。
アゴを突き出した生意気な子どもが、年を重ねて崩れていく。
現在の彼女をどうして?と思う心には、りんとした子どもだったころの彼女がいる。
なぜ?
あんなにきれいで自己主張のつよかったこが、
あのまま成長できなかったのか・・
私の彼女に対する感情には、肌感覚のいとおしさがある。
私に迷惑をかけられた、と周囲にこぼしていた親戚が、私に持つことはかったであろういとおしさを、私は彼女に持っている。
ありがたいことだ。
そして、彼女が私の人生にもたらす不思議な効果について考える。
彼女にかき回された事件、
彼女によって変化してしまったつながりについて。
それらはあながち悪いことばかりではないように思えるのだ。
「なぜ人は裏切るのか?」
初めて行った美容院に、メガネを忘れていき、あとで読みたいと写メしておいた記事。