はっきりした夢をみて、ああまた彼女か、ぱっと目が覚めて過呼吸になる。
夢に出てきた人は、もうずっと前に亡くなった友人だ。
目が覚めて思い出すのは、彼女自身ではなく、彼女の友だちで、死後に知ったひとだ。
私は、そのひとと彼女がそれほど親しいとは知らなかったが、あちらも私のことはなにも聞いてないらしく、独特の対応をされたいやな記憶がのこっている。
はっきりしていた夢がどんな夢だったのか?
思い出そうてしたが、もう思い出せない。
期間限定で契約したスターチャンネルの「魔女がいっぱい」観ているうちに時間がたっている。
仕事へ行く日の朝である。
犬二頭にチイ、エサ、ふたたたび外にだしてウンチ、ボールなげという日課がまだ果たせていない。
あわててコートかけからコートをつかんで駅に向かう。
乗ろうとする電車がくるまで2分ほど時間がある。
寒いので待合室。
コロナ対策で、扉はあきっぱなしだが、ホームよりはまし。
寒い朝だった。
座って初めて気がついた。
コートのひざがしろく汚れている!
私が着ているのは、犬の散歩用のコートだ!
気が引けるほど汚れているコート。
仕事用のコートと犬用のコートは共にアディダスの長いスタジアム観戦用のコートで、確かにまちがいやすい。
あーあ、これを着て2時間の道のりを行くのか・・。
ブラッキーのよだれが白くかわいてこびりついたこのコート。
ダサい(と私にはみえる)コートのひとはいる、いっぱい、だけど汚れているコートを着ているひとはいない(ようにみえる)。
でも、あたたかい、防寒の役割をしてくれている。
「見栄え」というのは不思議なものだなー。
だれもじろじろ見ないし、他人のコートをどう感じてるかなんて、気にしなければ問題ない。
これまで汚れた服をした肩身の狭そうに身を縮めている若い男性をみたことがある。
機械油とか、泥とかの汚れであり、まわりのひとがつい避けたくなるような格好で、一回目は都心を通過する私鉄のなかで、休日のおしゃれな若者で混雑していた。
そのひとのまっくろな汚れより、ぐっと押し殺したおおきな虚無のような彼の存在が目を引いた。
かれはじっと気配を殺して座席に腰をおろしてうつむいていた。
二回目はバスの後部座席に二人で座っている若いひと、二人でしゃべってはいたが乗客に対してあきらかにすごすごすしていた。
私のコートはそこまでではないから、忙しい通勤電車のなかで気にする人はない、と思う。
人の見た目をいつも気にして、これおかしい?へいき?
などと家人に念を押してから家をでるような自分であるのに。
現場に着くと、ペンを忘れている。
ついで財布もない。
その日、めったにないことだが保育現場のトイレを借りる。
出ようとすると鍵があかない!
子どもの手の届かない高い位置にある、細い金属を上下に移動する鍵。
わかりにくいため、いつも鍵かかってるかな、と扉をチェックしてから用を足す。
何度も鍵を上へ下へとがちゃがちゃして、力づくで扉を開けようとする。
ここに閉じ込められたら!
だれも私に気がつかないだろう。
トイレ空間のパニック。
がんがん扉をひらいで近くにいそうな保育士の名前を大声で呼ぶ。
なんどめかに、はい、と声が聞こえる、たすかった!
実はとっくに聞こえていたのだろうが、トイレから聞こえてくる叫び声に引いていたのがアリアリ。
鍵下にしてみてください、いま閉まってますよ、
と、鍵の開け方を教えてくれる。
「開ける」と「閉める」を逆にしていたのだ。
赤い字で書いてある開閉の字が、裸眼ではみえないのだ。
だって開閉ってそっくりじゃん。
やっと開いた扉からよろめきでていくと、保育士のほうが顔を赤くしていた。
活動は不完全燃焼で、子どもたちも不満そうであった。
この失策行為の意味は?
死んだ友人の夢からはじまって、コート(同じ型の2枚のコート)トイレ(開・閉)ペン(?)サイフ・・これらのキイワードから私の深層心理が読み取れる?