とうとう二月いっぱいかかってしまった。
左の首から肩にかけての痛みが徐々に強くなって、とうとう寝付いてしまった。
横になっていても痛い、眠れないほどではないが、寝返りをうつにも、いたい、いたい、いたい、いたいと数秒おきに言っている。
野口整体へ行くと余計に症状が強くなった。
翌日になっても翌々日になっても効果は出てこない。
目を使うな、ということなので禁読書、禁パソコン、禁テレビ。
テレビの前の小さなテーブルで食事をするようになって、何年経つだろう。
子どもが小さかったころは、テレビをあまり観せないようにしていた。
2000年にイギリスの友人のところに行って、帰ってきてからもしばらくテレビを見ずに過ごした。
日本人はテレビを観すぎている、と感じた。
もうずっと食事に使用していなかった食卓テーブルの上を片づけて、食卓で食事をとることにした。
なかなか良い。
テレビの中毒性。
ずっと昔、ひとり暮らしていたころ、あまりテレビをつけなかったのは、消したときにしんとするのが嫌だったから、自分の淋しさがきわだつようで怖かった。
年中テレビをつけっはなしの一人ぐらしの祖母にそれを言うと、
「それはよっぽどさみしいわね」
と言われた。
私が淋しいことに、自分はなんの関わりもないような口ぶりだった。
不思議なことだが、ラジオにはテレビほどの中毒性はないようだ。
なにかの中毒になっていないと気が済まない、依存体質なのだ。
本を禁じられて、ぎっくり腰のときと同様YouTubeの朗読のお世話になり、
途切れることなくえんえんと聴いている。
ずいぶん知らなかったことを知ることができた。
忘れていたことを思い出すこともできた。
向田邦子は、かなり読んでいるが、耳で聴くとまたちがう。
たくさん書いているので、よいものもそうでもないものもある。
味が濃いので、飽きてくる。
山田風太郎のエッセイを夢中で聴いていると、「エドの舞踏会」が画面表示され「新日曜名作座」なる番組に出会う。
ここから、めくるめく「夢見る帝国図書館」「ひこばえ」「家族小説」「閉店屋五郎」「家族じまい」「あなたの人生片づけます」「「あひる飛びなさい」「陽だまりのひと」「信子」「幸せになる百通りの方法」「雲上雲下」「渦・妹背山婦女庭訓」
だんだんと限りがみえてくるので、仕方なく読まず嫌いの時代ものにも手を出す。
あとは効果音と音楽。
エコだわ。
痛みがすっかり消えて元気になると、春の陽気。
大晦日に買って玄関先に置いていたヒヤシンスが花をつけ始めた。
紫色の球根は、鳥にかじられて無惨にもざっくりえぐられていたが、仲良しの植木屋さんに話すと、軟膏を塗ってくれた。
くり抜かれた部分に魔法の軟膏を埋めたら生き返って、花をつけた。
ひとにもこういうのがあるといいのにな。