
地下鉄の日比谷駅から、地下道を通ってデパートに行こうと思っていたのが、いつもと違う出口から出てしまった。
当てずっぽうに階段を上って地上に出た。
ひとりなので、楽に変更できる。
スマホを片手に、こっちのほうが便利だとか、このほうが近いとか言うひとがいない。
と、日の光る地上に出た途端、昔の日比谷が思い出されてくる。
日比谷のビルに紀伊國屋書店が入っていて、新宿の紀伊國屋より小規模で明るくて好きであった。
紀伊國屋書店のなにがすきか、といえば本を探しに行くというより、紀ノ国屋のブックカバーが好きなのであった。
多分高校生くらいのときで、本の中身よりカバーのためにわざわざ日比谷の本屋へ行く自分は、すでに思春期以来の、本が読めない状態になっていたのかもしれない。
本を読むと、自分がするべきは読むことではない、となり、
書こうとすると読まずに書くのはありえない、となり、
勉強しろ、という親の声に従おうとすると気分がばらばらに砕けた。
そんな時期がすでに始まっていて、恐ろしいことに、もっとばらばらに砕けようとしていた。
もっと複雑でたいへんな状況が待っていた。
まあ、それはともかく。
秋晴れの日比谷のかーんと空気の張ったひるまの時間に銀座方面に歩いていくと、いろいろが思い出され、日比谷にまつわるひとたちは、もう亡くなったり、生きていたとしても話しができる状態にはいない。
紀伊國屋書店の入っていたビルは、ツインタワー・ビルではなかったか?
とふと思って、なぜかツインタワー・ビルというビル名がどこからか湧いてきて、またすぐに消えてしまう。
アメリカンファーマシーもあった。
「サイゴン」という名のベトナムレストランもあった。
当時のアメリカンファーマシーは、治外法研的に外国であって、なかに入ると消毒の匂いがした。
バンド・エイドなどここでしか買えなかったのではなかったか?
私は父の頼まれて耳せんを買った。
この耳せんは、暮しの手帖という雑誌に、共産党の野坂参三氏が自宅の書斎で肘掛け椅子に座って、愛用の耳せんを披露している写真が出て、父がそれを昼寝用に欲しがったのだった。
自分の小遣いで買えるものは少なかったが、外国の空気に触れている刺激がたまらなく好きだった。
同じビルに「サイゴン」という赤い字で書かれたレストランがあって、戦争をしている米国とベトナムがおなじビルに入っていたのだった。
アメリカンファーマシーとベトナム料理店サイゴンを知る友人がひとりだけいて、そのひとは私より一歳年上であったが、アメリカンファーマシーとサイゴンの名がでると興奮した。
しらべてみるとアメリカンファーマシーが入っていたビルは日比谷パークビルディングどあり、サイゴンもそこにあった。
紀伊国屋書店の入っていたビルは、東宝ツインタービルであった、私の記憶にまちがいないことがわかった。





