におい

 自分の生まれた姫路について、短い文章を書き上げて、最初これはなにかが足りてない、味がうすいな、と思って書き足したら、今度は濃くなりすぎて、足したり引いたりしているうちに、

まあ、ここまでかな、というところを最終にして講座で発表するためにプリント・アウトした。

まあ、とりあえず終わりだ、と思って、二階に上がるとき、

古い木造の階段でむっと懐かしい、懐かしいというよりもっと前のにおいが、全身を包む皮一枚すべてを覆った。

嗅覚というか、皮膚感覚というか、生理的ななにかが、内からか外からか表出してきて、

その感覚で、ああ、自分は深いところに行けたな、と感じた。

 

講座当日、においについて話しをした講座仲間がいて、

そのひとは、大阪の出身で、しばらく帰っていなかった大阪に帰ったら、忘れてたにおいを嗅いで、すごくほっとした、というようなことを言っていた。

どんなにおいですか、と訊ねられて、ホルモンのにおいです、と言い、ホルモンが好きなんですか?

と聞かれるときらいです、と答えた。

だから、ホルモンそのものではない、においの記憶というものがある。

そう、思った。

私のにおい、は肌で感じた母のにおいであり、奥底に忘れていた記憶、永年とじこめて無視しようと努めてきた記憶である。

 

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夢のなかで名前を呼ばれる

夜中に何度も目が覚める。

昨夜は、三回ほど枕元のスマホで時間を確認、

よく見えない目でテキトーに画面に触れて朗読を聞く。

もうあらかたのものは聞いている。

お気に入りの朗読は、せいぜい一週間に一度の更新(ありがたい話しだ)で、シャーロック・ホームズは、いろんなひとが読んでいる。

谷崎や、佐藤春夫、漱石も鴎外もある。

活字では呼んだことのない女流作家や、好みではないが仕方がないのでついに時代劇にまで手(耳)を出した。

いやな読み手というのが居て、気取ったひとはきらい。

おんなことばをへんに読むひともいや。

自分の感想を言いたがるひと(あんたの感想は聞いてない)

注文が多い・。

で、ついにカラマーゾフに手をつけている。

私のなかでは、シリアスな血の湧く長編だったカラマーゾフの知らない翻訳者のもので朗読をするのは女性。

完全な標準語ではないが(なにゆえ上から?)、

感じの良い声と語り。

夜中になんでもいいから、ひとの声が聴きたい自分。

 

で、最後に四時に目が覚めて、もうちょっと寝ようと思ったら夢を見た。

名前を呼ばれたので振り返ると、きれいに髪を整えて、黒のパンツに、おしゃれな上着を着たひとが、こっちに歩いて来る。

早足である。

私を見て笑っているが、だれだかわからない。

知っているひとのはずだが、

ライザップとか、タカノユリとか、なにかでビューティーに変身したらしい。

だれ?

思い出せない。
こんなふうな名前の呼ばれ方は、同級生しか居ない。

仕事をで知り合ったひとのなかで、私の名前を呼び捨てにするひとは、たいてい年下だった。

年上を呼び捨てにするなんて、という職場の空気があった、と言っていた。

高校のときの部活の後輩と親しくなって、あるとき名前を呼びすてにいていい?

と聞かれた。

彼女が名前を呼ぶ時は、ちょっと甘えたような、ちょっと遠慮のような、そんな雰囲気があったが、

この呼ばれ方はちがう。

同級生が、私の名前を呼ぶときの呼び方だ。

ちょっと乱暴な仲間意識。

六年間在籍した女子校のだれかに違いない。

若々しくきれいにして、私を見つけて後ろから呼ぶひと。

振り返る自分が、汗でよれよれなのでかっこ悪い、

と夢のなかで思っている。

 

目が覚めて、あれはだれだったのか、と思う。

だれだか、愛情味のある、

笑いながら、背後から元気に名前を呼んでくれたひと。

 

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夏の散歩道

ブラッキーの夏の散歩道は、ただ家の周りの日陰を伝って歩く。

夏の間だけ、近所の家に詳しくなる。

自転車と違い、足で犬と歩く景色は違う。

 

気になっている家が二軒あって、多分高齢のご夫婦の家で、介護の車が来るのを旦那さんが扉を開けて待っているのだが、

ずっと奥まできれいに掃除された廊下が見え、几帳面そうなおじいさんが、玄関口で履き物を整えていたりしている。

昭和の二階屋で、緑がうっそうと柵からはみ出している。

今年も、まだ家があったので安心した。

もう一軒も昭和の二階屋で、その二軒の位置関係もよくわかっていなかったのが、そっちの二階屋には緑がないことがわかった。

夏の間しか通らないので・・。

 

ブラッキーは、これまでのこと違ってあまり散歩に執着がないようなのだ。

セックもブックも、ザックもピッキーも、散歩に行かないと不安定になった。

だから、体調にかかわらず無理をして散歩に出かけたものだった。

多摩川の河川敷まで行って帰ると一時間ほどかかる。

ブラッキーが行きたがらないので、夏の間じっとしていたことがあったが、

後ろ足が弱い犬種なので、秋口になって歩きがへんにもつれている。

だから暑くても、足を動かしたほうがよいということになった。

 

去年と比べて、取り壊されてすばらしい家が建っていたり、空き地になっていたり、駐車場がなぜかヒモで仕切られてしまっていたり。

どういうわけだが、いつまでもそこにあり続ける家もある。

去年と同じ足拭きマットが二階の窓に干されたままの人気のない家に、私は安心する。

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遠藤ふみさんのピアノ

遠藤さんの、音にふれるピアノ。

その指は、鍵盤に触れているが、指と鍵盤のあいだにもうひとつ大切なプロセスがあって、

間近に席を取ってそのプロセスがなんなのか?

遠藤さんの指の動きを見つめていても、わからない。

 

苦しさを我慢して座っているこれまでのコンサートとはちがう。

どんなコンサートでも、私は「がまんしている」という感覚から自由になれないのだが、

彼女のかもしだす音に全身が包まれて、まことに気持ちがいい。

沼田さんのギターと素朴なきれいな歌声。

もちろんクラリネットも。

ふたりのしゃべり声がやわらかく静かなのにはっきり意味が聞き取れるのと同様、楽器も静かな音なのに迫力を持ってひびいてくる。

https://e23227.blogspot.com/

 

そうなんだー、

こういうことなんだー、

わたしに出せない音、出せなかった音。

目黒ハウスの、暑いのにしんとした空間。

 

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シャンプーへ行ってクラくなって帰ってきた犬。

どーした?

なにがあったの?

おねえさんがきつかったの?

 

三島由紀夫とパゾリーニを対話的に読み解く展覧会

倒れるのではないか、と思うような炎天の下、九段に出かける。

毎日暑くて、黒犬も散歩を嫌がり、だらだらと一日を暮らす。

ドラマを見つづける。

死体が出てくるドラマである。

面白くても、面白くなくても見る。

美味しくなくても酒を飲みつづけるひとと同じ、中毒である。

どうせなにかの中毒になってないと生きられないひとなんだから、いいじゃないですか、それくらい、と専門家のアドバイスに、決してキモチは軽くならない。

 

そんな日々なら炎天だろうが、外へ出ていこう、というキモチである。

九段の日差しはいっそう強く、なんだかものすごいような千鳥ヶ淵の密集した睡蓮。

靖国神社を通るのは初めて。

鳥肌実というアーティストのYouTubeでくりかえしみた靖国。

もっと重々しくてもいい、

あれだけのひとが、あの戦争で死んでいるのだから。

あの規模じゃあ足らないだろう。

 

あつい、あつい、と唸りながらイタリア文化センターへ。

ワンフロアだけの展示である。

 

中2くらいから三島に傾倒して、それまでもっぱらロシア文学だったのが、「仮面の告白」にがつんとやられてしまった。

英霊の聲くらいから、なんとなくちがってきて、

割腹自殺のときは、どっと覚めた。

高2だった。

二回ほど、ナマ三島を見ているし、悪趣味な白い家は馬込にあり、池上の坂の上の祖母の実家の門の上に立つと、遠くに妙な白い家の一角が見えた。

その三島である。

 

今から思うと、東大全共闘の一件だって、なんだ、あの冗談半分、と思う。

東大生もへんなうす笑いで目をきょときょとした目立ちたがりの長髪男。

あんなやつを「天才」と呼ぶ筋肉弁護士その他。

 

パゾリーニの映画を見たことはないが、三島の盛った写真に比べてパゾリーニはホンモノである。

三島はあのチビで貧弱すぎる身体に、むりやり筋肉を盛ったが、パゾリーニは違うだろう、きっと。

 

ふたりの関係のないアーティストの膨大な仕事を交代に読んで、フロアーを後にすると、私は三島がかわいそうでならない。

ついにあのような死に方しかできなかった三島由紀夫。

フェイクな筋肉と、肥満した脳ミソ。

三島が横尾忠則の顔をぐいっとうでに抱えたスチールがあった。

まるで作り物のからだから、ヒョイとなまの顔がのぞいているようで、面白い。

 

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竹の塚

数ヶ月前から、カレンダーに「竹の塚」と緑色のペンテルで記してある。

その日は気の重い講習会(高齢者運転講習)の日である。

駅から数分と書いてある竹の塚モータースクールの地図をプリントアウトしてもらい、赤い印をつけて準備OK。

しかし、竹ノ塚駅を下車してわらわらと歩いていると夫から、

「大丈夫?反対に歩いているみたいだけど」

と電話がかかってくる。

夫はストーカーのようにいつも「探す」で私をチェックしている。

「線路伝いだよ」

そうか! 線路に背を向けて歩いていた。

あわてて引き返して、しかし集合時間の40分も前。

親切な守衛さんが、ガラスばりの明るい集合スペースに案内してくれる。

うろうろして道に迷うといけないから、じっとしていよう。

 

朝早い東武スカイツリー線は空いていて、快適に竹の塚駅まで来た。

初めての竹の塚は、ほとんど埼玉県。

駅がムダにモダンである。

オシャレなトイレが、男、女、子ども用まである。

アートスペースのような色彩の扉。

 

実習はない、と聞いてたのに、日が近づくにつれて記憶がはっきりしてきたらしく夫が、

ブレーキの踏み方だけだったかな、などと言い出す。

え、じゃあ乗るんじゃん、と言うと。

別に試験じゃないから、と。

認知の検査では合格したはずだが、曖昧な記憶を持ち前の口先で肯定する。

 

竹の塚モータースクールでは、しっかり運転させられた。

教官が隣りに座って、後部座席に受講者がひとり座る。

私は一時停止を二回見落とした。

 

次に、簡単な筆記試験とビデオを見せられて、視力検査。

検査の順番を待つあいだ、延々と高齢者が池袋で逆走した事故を流している。

こういう脅しが防止に逆効果といろんなひとが言っているが、警察はいつまでたっても変わらない。

高齢者といっても、ひとりでは歩けないようなおじいさんもいて、女性は私のほかにもうひとり、

彼女は視力検査が抜群によくて、褒められていた。

顔を見ると少し赤くなってうれしそうだった。

 

3時間くらい、と聞いていたが、あっさり2時間で終了証書をもらってふたたび竹の塚駅。

帰りの電車を待っていると、後ろに立つひとが「大森海岸」へ行く人のようである。

へえ、私の育った大田区、初めて働いた役所に近い大森海岸・・、

こんなところ(竹の塚)から、どこをどう行くんだろう?

しかし、大森と聞いて、どこかうれしい。

 

竹の塚は、ひとが親切で素朴。

楽しい高齢者運転講習だった。

また行きたいと思う。

 

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もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち

行きたい、と思っていたが、神奈川県立近代美術館は葉山である。

遠いよなー、と道のりを思う。

昨年日影茶屋へ行った横浜の友人の誕生カードに、写真展興味ありませんか、と書くと意外に乗り気だったので、そっさく逗子で待ち合わせた。

日影茶屋が定休日なのが残念。

またあの気のこもったお料理を食べたかった。

葉山マリーナの和食もお刺身がなかなか美味しかったが。

去年も私だけご飯をお代わりした。

今年も私だけお代わりした。

歯が痛くて食べれないとき、ああ日陰茶屋でたけのこご飯お代わりしたんだっけ、と夢のように思い出していたが、今年もいま昇降状態の歯で、ランチの白米をお代わりできたのだ。

 

写真は、見れば見るほど深さを感じるようになる。

ほんとうにいいと思ったポートレートがあった。

女性カメラマンが被写体の女性とカメラを仲立ちに一対一。

関係性とか緊張感とか。

おそらく何枚も何枚も撮って現像までこぎつけた選ばれた一枚。

ここに写る女性の目なざしに、涙が出そうになる。

なんだろう、こんな写真を撮ることのできる写真家。

撮られたひと。

ヘルガ・パリスという写真家のベルリンの縫製工場で働く女性たちのポートレートである。

 

最近「死んだ少女たちの遠足」という本を読んだ。

東ドイツの女性作家アンナ・ゼーガーズというひとの小説である。

何人かのドイツ人作家の作品が入った全集に入っていて、たいそう小さな字だが、ざっと読んだ。

全集にはブレヒトの作品も監修されていて、この作品も戯曲ではないが、戯曲っぽいものだった。

 

実は、東西ドイツを隔てる塀が壊される直前に、西ベルリンから東ベルリンへのバス観光をした。

キラキラの国から、灰色の社会主義国へ、短時間のツアーだった。

トイレット・ペーパーも、コーヒーに入れるミルクも異うものだった。

政治体制が空気を作っている、空気を吸わなくてはだれも生きられない。

東から西に戻ると、西の空気も作り物であることを実感した。

 

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