夏休みおわり

台風が過ぎると、いくら暑くても夏はもうおわり。

うっとりするほど好きなセミの鳴き声も、いよいよ終了に近づき、はかないわめき声がなおのことはかない。

替わりに虫の声が大きくなる。

 

お盆休みは11日間。

渋谷に落語を聞きに行ったり、姪とやってきた婚約者に、ペンキ塗りを手伝ってもらったり、一日だけ夫に断食させたり、アイルランドに居るドイツ人が3年ぶりで来たりした。

だいたい楽しく笑って過ごした。

 

犬たちは、ずいぶん精力的に暑い中を散歩したし、メダカは、バケツふたつ分卵が孵った。

 

今日の青空は、雲が3D。

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「古事記と万葉集」単位認定試験とアップリンク

古事記を勉強している」と知り合いに言うと「へえ」とか「いいじゃない」とか答えが返ってくるが、

「試験がある」と言うと「え?」と言われる。

「それでなにかになるの?」と聞かれるが、もちろんなんにもならない。

「自分がどれだけ理解していて、どれだけ理解できていないか、がよくわかるよ」と言うと、信じられない、という顔をされる。

 

もっともふさわしい内容はどれか、という五者択一式の問題。

どうもよくわからない文章があって、果たして正か誤か判断がつかない。

隣の男性は、さっさと試験を終えて、会場を出てよいタイムラインになると、すっと席を立って帰っていく。

プレッシャー。

たいてい早く終わるので、終了より少し早い時間に夫と待ち合わせをしているのだが、考えれば考えるほど正のようでもあり誤のようでもある。

考えれば考えるほと、わからなくなる。

えいっと五者からひとつを選び、席を立った。

 

アップリンクで時々映画を見る。

映画より、アップリンクのレストランのラム肉が好きである。

開店まですこし時間を潰してから、レストランへ行くと、もうひとが入っている。

車椅子のひとも、介助者も、ひとりでふらっと来ているひとも、キャリア職らしい女性ふたりづれも。

ランチプレートは量が少なめで、ふた皿いけそう。

夫はこのあと入っている仕事のことで頭がいっぱいで、口数が少ない。

気もそぞろなので、出ることにする。

せっかく試験が終わったのに、ひとりで帰ってもつまらない。

ひとりでテレビを観るほどつまらないことは世の中にない。

「映画観てこうかな」と言うと「観ていけば」と夫。

チケット売り場で、今から観れる映画ありますか、と聞くと、ジエイムス・ブラウンの「Mr. Dynamite 」が始まったばかり、と言われる。

夫の顔を見ると、もうその場を去ろうとしているので、お願いします、と言う。

と、「シニアでよいですね」と言われる。

がぁぁぁぁぁぁぁんの一瞬。

え?60過ぎにみえるの、わたし(あんた62でしょうが!!)

こないだひさしぶりに会った昔の同僚から

「どうみても50、化粧の仕方によっては40代!」 と言われたばかり。

そのことば、しっかり胸にかみしめていたのに、この見ず知らずのねえさんは、私の年齢を年齢どうりに言い当てた。

おもーくひきずりながら、よろよろと大して観たくないジェイムス・ブラウン上映中の部屋に入って、ハンモックのような座りにくい椅子に座る。

 

このひとはすごいなぁ。

踊りだすと、麻原彰晃のような力みもなく地面から足が浮遊しているがごとくである。

 

残念ながら、途中でトイレに行きたくなってしまい、中座してそのまま家に帰った。

 

翌日、夫に話すと、

「そうか、見栄はって高い券買うわけにいかないしな」と言う。

深追いしたくない話題のようである。

 

毎年、ひとは夏に年を取るよなあ、自分もひとも。

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フォーラム8

7月最後の土曜日、フォーラム8へ出かけた。

「フォーラム8」とは、渋谷は道玄坂にある放送大学の単位認定試験を行う会場である。

最後に、ここへ行ったのは、「現代哲学への挑戦」でその時は後期、冬のことだった。その前の夏に試験を受けたのは2012年のこと。

もうもうと茹でるような熱気のこもる渋谷駅周辺。

開店前のスロットマシンの店に並ぶひとたちを横目に、会場に向かった。

もう夏の試験はやめだ、と思ったものだ。

このときはまだ渋谷は今のような地下迷路になっていなかった。

まだ昔のままの渋谷だった。

そのときの科目は「人格心理学」だった。

 

今回は「古事記万葉集」。

この勉強のおかげで老眼鏡のレベルが上がった。

レベルが上がる、というのは老眼の度数が上がるということで、やばいレベル・アップなのだ。

勉強は楽しかった。知らなかったことがいっぱいあって、卒業後いつかはいつかはと持ち続け、と50年あまり本棚に入っていた山川の日本史を初めてちゃんと読んだ。

赤く焼けたページは、老眼の目にさらにこたえて、虫眼鏡まで動員しなくてはならなかったが、教科書もこれで成仏してくれることだろう(チーン)

 

夫は、週末返上の仕事で、せめて一緒にランチを食べてから仕事へ出かける、と試験会場で出迎えてくれた。

会場へ着いたときは、まだ前の試験が終わっていなくてしばらくフロアーで待たなくてはならなかった。

いろいろなひとがいる。

子どもの学校で出会ってきたような、女性たちもいるが、若いひともいる。

高齢の方は男性が多いように思う。

エレベーターを降りて、試験が行なわれている教室の扉の前で待っている。

教室は三箇所あり、ひろいフロアーの壁に立って、それぞれノートや印刷教材を読みながら、待つ。

どうも私の立つ壁には、ひとがやってこない。

自意識過剰なようだが、なんとなく他者をはじく空気があるのか、私の隣は空席ということがよくある。

子どもの学校などではたいていそうだったし、こんな場でもやっぱりそうらしい。

と、通路を通って大柄なひとがやってきて、服装は女性で、化粧もし帽子も被っているのだが、男性のようである。

大柄なのと歩き方で、ふと目をあげた。

その方はどの壁に行くだろう、と思うと、まっすぐに私の横に来た。

そういうことがある。

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2016夏

朝からすごい。

7時すぎからかんかん照り。

物干しに出て、洗濯物を干すのにサングラスをかける。

昔、色白が自慢の養母は、タオルを顔にぐるぐる巻きにして長袖を羽織り、屋根の上に設置された物干し台にずっしり重い洗濯物をぐいぐい持って、外階段を登り、洗濯物を干していたっけ。

 

一足早く6時に小型犬を散歩に連れて行った夫が、

今ならへいきだよ、まだ道路が暑くなってないから、と言うので、家を出る。

犬のケージを置いた玄関スペースにガンガン日が照りつけているので、この時点でクーラーを除湿に稼働して小型犬を中に入れる。

朝6時は、犬連れでいっぱいだったそうである。

7時すぎになると、そうでもない。

子どもたちがプールの用意をして登校するのに出会う。

気弱そうな男の子と、おしゃべりな女の子の組み合わせ。

あたし、できるよ、あたし、できるよ、と言っている。

通り過ぎるとき、ザックを見て、かわいい、と言う。

かわいい、と言って「ワンワン」と鳴き声をまねする、かわいくない。

 

土手へは行かないで、多摩川台公園へ行くことに。

公園入り口でこちらを見ていた男性が会釈する。

よく見ると、腕にトイプー。

トイプーはだっこされてるくせに、ザックを見てうううと怒る。

おこりんぼうだね、とザックに小声で言う。

 

熱中症対策として、時々立ち止まって水を飲む。

喉が乾いているわけではないが、飲む。

熱気と湿気でくらくら。

 

帰ってすぐに、郵便局へチャリを飛ばして、週末に用意しておいたCOUCOU の赤ん坊へのプレゼントを送る。

出産祝いなので、サル便ではなく、航空便である。

パリのCOUCOU は、昨年は二回日本にやってきた。

二回目はパートナーと一緒だった。

シャルル・エブドの事件のあったまさにその近所で、パートナーは、自宅に出入りするのに、身分証を見せなくてはならなかったと言っていた。

パートナーは地味な男性で、私たち家族と昼ご飯を食べるのも居心地がわるそうだった。

COUCOUが気に入ってるなら仕方ない。

先日ラインに腹ぼての写真が送られてくるまで妊娠を知らずにいた。

私にだまって妊娠とは、と書いたらはははは、と返信が来て、パリ祭が予定日とのことが、7月12日に生まれ、産まれたばかりの女の赤ん坊の写真を送ってきた。

COUCOUと血縁関係はないが、パリで居候生活をしていた夫は、赤ん坊のときから面倒を見てきたこの子を心底愛していて、私のほうにラインがくると嫉妬を感じるらしい。

私と初めて会ったのは、四、五歳くらいでよく喋った。

フランスで生まれてフランスで育っているので、見た目は百パーの日本人だが、中身は百パーフランス人で、しゃべることばはフランス語のみだった。

8歳でイスタンブールにしばらく預かった。

日本語を特訓した。

教材は「となりのトトロ

スリランカにやってきたときには、17歳になっていた。

チョコレートしか食べなかった小さな子は、思春期の苦悩を経て、深みのあるひとになっていた。

そして、20代になって一年近く、東京の我が家に同居していたのだ。

うちの娘にとっては「おねえちゃん」なのである。

そのCOUCOUに赤ちゃんが生まれて、写真が送られて来た時はジンとなった。

赤ん坊を抱く彼女はすっかり自信のついたひとになっている。

一冊の絵本、私が初めての絵本としてプレゼントするのはいつも「ちびゴリラのちびちび」

それに可愛いジンベイさん。

 

郵便局はこんなに暑いのに混み合っている。

暑くて息苦しい朝の郵便局が、なぜかなごやか。

私の前に、もう歩いてもよさそうな男の子を抱っこした暑そうな母親は、こちらを振り返って、すぐ終わります、と言ってくれる。

受付中のお婆さんが、ごめんなさいね、と母親に振り返るときれいにお化粧している。

たいへんねえ、暑いのに。

自分の番が終わると横のカウンターにずれ、隣にいるもうひとりのお婆さんと、お婆さんらしい話し方でおしゃべりしている。

幼稚園の同級生なの、と言って、周囲をびっくりさせる。

へえぇ、と郵便局のいつもはいやなひとが、いいですねぇ。

90なの、90、と、帰っていく。

杖はついているが、素敵な着物地? と思わずジロ見した黒地に鳥の絵が描かれた袖なしのワンピースを着て、バッグも靴も凝ってる。

 

ついでに寄った銀行のATM に先に着いて、機械と向かい合っている。

私の前にひとり、私と同じか少し上のおばさん。

お婆さんが終わったらしいので、

いいの、おわった?

と聞いて、機械に近づいていく。

ええ、どうぞ、どうぞ、終わったわ、

大丈夫、暑いから気をつけて、

ふらふらしちゃうわ、

多いから、桁を数えるのが大変なんでしょ。

そうそう、多くて大変、

などときわどい冗談を言い合っている。

二台ATMが設置された狭い空間。

 

暑いから、気をつけて

ありがとう、90

とまた言ってる。

へ?

と機械から振り向いて、お婆さんを眺めている。

ほんと、すごい、負けちゃう。

とおばさん。

お婆さん、本来なら近づくべきでない範囲に入って行って、ぽんぽんとおばさんの腕を叩き、マニュキアを塗った指をひらひら見せびらかしている。

えー、すごい、きれい、私も頑張らなくちゃ、置いてかれちゃう、

やっと満足して、杖をついたきれいなお婆さんが、帰っていく。

気をつけてよ、暑いから、

とお節介なことばが、お節介でなく響く。

ありがと、とお婆さんは振り返らずに、出て行った。

 

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梅雨どきから初夏

この時期の乳幼児の成長はすさまじい。

一週間ぶりに、仕事で保育園に行くと、顔がわからなくなっている子が何人かいる。

私が名前を間違って呼ぶとみんなでブーイン。

私の間違いをぐちぐちと言うのがうれしいようだ。

なるべく間違わないようにしているのだが、あかね、あやか、あいな、あやの、あやめ、などとおんなじような音が並んでいるのである。

りょうへい、りょうすけ、りょうや、りょうた、りょうま、りゅうま、などである。

一字違っても、怒られる。

名前だから仕方ないか。

 

「成長」とは、子どもに対して使う表現だが、おとなたちもまた進んでいる。

通勤途中で一緒になる八十歳のシルバー派遣のおばあさんが、この時期ぐっと老け込んでしまった。

この方がいるあいだは、私も年齢でクビにならないだろう、と思っているのだが。

駅から、保育園までの道で一緒になって、杖をついてなんとかかんとか歩いているおばあさんとお喋りしながら歩くのは楽しい。

遅いから、先に行って、と言われるが、時間より早く駅に着いてしまうことが多いので、のろのろ行って丁度良い時間になる。

 

「昨日は、息子がやってきて、おばあちゃん、仕事なんか行かないで少しは家のことしろよ、と言うんだけど、家にずっと居てもねえ」と言っている。

どうやら肩骨折の手術と通院のため息子さんの家から出て、病院の近くに越してきたのを境に、なにかできることをしよう、と保育園に通ってきているらしい。

肩の手術の跡を服の上から触らせてくれたが、そこだけべこっとへこんでいる。

山梨のかたである。

「山梨のひとは、のんきでひとがいいのよ」と言っている。

このおばあさんから、話しを聞くのが好きだ。

おばあさんとおばあさんのおかあさんが、お花見に行った話などを聞くのが楽しい。

「あのころは、入学式のころに桜が咲いたもんだった、おかあさんが作ったお寿司を持ってお花見に行くのが楽しみで楽しみで」と話しをしながらもいまも楽しそうなのである。

 

「息子がいらないものは捨てろよって言うんだけど、おじいさんとの思い出が詰まっているからね、なかなか捨てられなくって。

前に、おじいさんの羽織の丈に合わせて作った引き出しを捨てたら、そんなもの捨てたらおじいさんが嘆くだろ、なんて言っていたこともあるんだけど。」

へぇ、自分の着物の丈に合わせて箪笥を作っていたんだ、と思った。

その羽織はもうないんですか、と聞きたかったが聞かなかった。

 

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母乳ファシスト

保育園での打ち合わせ、多忙な園長を待つ待合室から向かいの乳児の部屋をガラス越しに眺めている。

最近の保育園は、オープンスペースが多く、園長室も、会議室もガラス部分を広く長く取っていて見通しがよい。

若い保育士が、髪にバンダナを斜めにかぶって生後数ヶ月の赤ん坊を抱いて、哺乳瓶からミルクを飲ましている。

保育士は一体なにを思いながら、赤ん坊の口に哺乳瓶を当てがっているのだろう?

と眺めている。

わからないが、私が自分の子におっぱいを飲ませていたときに、抱いて、目を見て、子どもがおっぱいを飲み終わると、胸がすっとして、子どもは眠り、私は一年以上、乳房を包んでいた三角の木綿の胸当ての前を縛り、一年以上、前ボタンのものしか着れなかったから、前ボタンをしめて、次の授乳に控えた。

そのとき、私が考えていたり、感じていたりすることは、仕事として保育士が預かっている赤ん坊に思うこととは根本的に違うだろう。

そのことは私には大きな落差のように思える。

 

娘がひどい反抗期で、いくらなんでもこれは、もう再び母と娘の関係には戻れないだろう、とどこかで疑っていたころでさえ、私は彼女がものを食べているところを見るのが好きだった。

好きというより、快感というのに近かった。

その時に、思ったのだが、きっと授乳期間、私と娘の関係の始まりの始まり、そこで一致していた繋がりがあるんじゃないか。

娘がおっぱいを飲み、私の張っていた乳房がすっきりするという相互の生理的快感、相互の生理的利害が一致していた、という繋がり。

 

母乳を熱心に推奨し、母乳で子どもを育てた母親になにがしかの賞を与えたのは、ヒットラーである。

私も母乳について、ファシストのような反応をしているのかもしれない。

寝ている子どもに垂直に哺乳瓶を突っ込んだり、子どもがぐずると口封じでミルクを飲ませる親を目にすると、空恐ろしい気がする。

まだその子たちは、思春期にもなっていないから、早く問題を起こして私の言説の正しさを証明してくれや、と意地悪く思ったりするが、そういう子どもたちに限って「よいこ」なのである。

頼りない親を支え、親の親を演じてみせたりする。

そして、そのことでまた愚かな親を良い気にさせて、こんなふうに、私のことを心配してくれたりするよ、息子よありがとう、などとFCに書いてあったりするのである。

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悲鳴

ほぼ毎朝、44度のお湯に浸かり、しばらく汗を流してから46度のお湯にもう一度入る。

初回の前に犬を外に出して朝一のチイ。

いったんケージに戻して犬の朝メシには夫が起きてくる、という朝のプログラム。

46度に入って髪も洗い、バスタオルを三枚巻いた上にバスローブを着て、汗をしぼり、夜のうちに冷えた身体をあたためる。

と、外から叫び声が聞こかて来る。

あーあー、わあーわあー、と尋常でない悲鳴である。

「?」 と思って、夫の姿を探すと夫が居ない。

犬のケージもカラである。

ぞっとして、バスローブのまま、下駄履きで外へ走り出ると、小さな犬が脱兎のごとく走り去って行き、いつも小さな犬を散歩させているすらっとしたお爺さんが立ちすくんで、空を見上げ、叫んでいる。

そして、夫がうちの犬二頭の首輪を両手に掴んで引きずっているではないか!

とりあえず、犬を引き受けてケージに入れ、夫は叫んでいるお爺さんのもとへ走る。

ねぼすけの娘が、目をしばしばさせて玄関まで出てきている。

家の中に入って、あわててそのへんのものに着替えて再び外に飛び出す。

だれかが車に轢かれたとか、そういう血なまぐさい光景ではなさそうである。

このお爺さんは、夫がいつもゴミの日に出会い、足元がわるいので代わりにゴミを持ってあげているおばさんの家のお爺さんである。

年恰好からいって、おばさんの夫らしいので、いつかおばさんの家からこのひとが出てきたときに、

「なんだ、お爺さんがいるんじゃんか。」

夫は、なぜゴミ出しをお爺さんがしないんだろう、と訝しんでいた。

「だから、おせっかいなんだよ、夫がいるんだから、夫にやらせなきゃじゃん。あんたはうちのゴミ出しだれしてりゃあいいんだよ。」

と乱暴に言うと。

ぞうだよな、

などとうなずく夫であった。

そのお爺さんの小さなテリヤ犬をうちのダルメシアンと、ボストンテリヤとジャックラッセルのミックスが襲ったのだ。

私は着替えながら、なにかの折に夫がゴミ出しをしてあげていたという恩が役に立つかも、などとこざかしく計算しているのである。

 

夫が、へいきだって、と小声で戻ってきて、テリヤ犬はふたたびお爺さんに連れられている。

すみません、大丈夫でしたか、とテリヤにかがむとテリヤは私のほうに近寄ってくる。

からだを撫でると濡れている。

うちの犬の唾液だろう。

あどけなくすり寄ってくる。

ごめんね、びっくりしちゃったね。

と言うと。

すみません、お騒がせしちゃって、とお爺さん。

さっき嘆き悲しんで天に向かって叫んでいたひととは別人のようである。

安心した。

なにごともなくてよかった。

 

月曜の朝。

夫はゴミ出しに出て、そのまま私から頼まれた自転車に空気を入れる。

犬をケージに入れていないことも、門扉をきちんと閉めていないことも忘れて。

「こいつらしょうがないよな」と夫は犬を責める。

「しょうがないのは飼い主だろ」と娘は夫を責める。

私はいつまでも、悲壮な嘆きの声が耳から離れない

 

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