桜並木

先週、友だちと行った桜坂。

五、六年前に行ったときは華やかな賑わいがあったが、桜が減ったのかあじけない。

寒いし雨が降っている。

そのとき桜の木の樹齢について話していた彼女が「馬込の桜もけっこう古いよね」と言った。

馬込?

そういえば、あったな桜の一本道。

あの通りを通って通勤していたんだ、急に思い出した。

あの道はどこだったんだろう?

どこをどういけば行けるのだろう?

気になりはじめた。

移転前の庁舎まで行けば、道がわかるかもしれない、と私鉄を乗り継ぎ、バスに乗っていまは区のコンサート・ホールになっている会館まで行く。

池上通りはいつも混んでいる。

曽祖母の家が池上と大森駅のあいだにあったので、子どものころから通った場所であり、祖母の認知が進み、ふらふらしているところを発見されたのも、このあたりだった。

 

今日は、入学式の日で、制服を着た中学生や、親と一緒に式に出た帰りの高校生たちがいる。

ねえねえ何組だった?

先生はだれ?

名前しらないやつか、やばいかも
など女子が叫んでいる。

 

こんもり高台の公園があり「佐伯栄養学校跡地」となっている。

佐伯栄養学校は、曽祖母の家のあった坂一帯を占めていた。

池上通りのバス停から栄養学校のうっそうとした緑の影になったやや急な坂道を登る方法と、なだらかな宝来坂を登っていく方法と二通りあったのだ。

 

栄養学校の終点で道が分かれている。

お地蔵さんがある。

六地蔵のうちの五地蔵で交通安全と書いてある。

ぱらぱらひとが行く方へ行くと、桜並木の通りに出た。

なかなかの賑わいだ。

私が通勤していたころにはなかったが、桜の木が石に囲まれている。

いまでは暴走できないように歩道が一段車道から高くなっている。

これでは走りにくい。

 

五時に退勤すると一刻も早くその場を立ち去りたい一心で自転車をこいだ。

今ではとても考えられないことだが、ものすごいスピードでウォークマンでハードロックを聴きながら走った。

目撃したひとからは一様に「あぶない」と言われた。

今はもうそんなスピードが出せないのと同様、当時スピードをゆるめることができなかった。

 

今年は、どこの桜を見てもあまりきれいでない。

桜坂への帰りは冷えて具合がわるくなった。

世田谷公園も、多摩川台もまばらな桜の花がうすぼんやりしてい。

しかし、馬込の桜並木は見事だった。

花見をしているおばあさんたちも、子ども連れのひとたちも活気がある。

 

このところもやもやして、3月のもやもやは許されるが、4月に入ってもまだもやもやしているのはだれも許してくれない。

朝、ふっと馬込の桜並木、何十年も行ってないあの場所はどこだったっけ?

とネットで調べた。

ネットで調べた「馬込の桜並木」が果たして私が通っていたあの通りなのか小さな写真と地図から確信が持てず、またどうやって行くのか?

地理的には遠くないはずだが、ととりあえず出かけよう、と帽子をかぶって外に出た。

 

もう写メをして喜んでくれる大伯母はあちらの側へ行ってしまった。

ホームのベッドで池上周辺の写真を受け取ると、すぐに「懐かしい、ありがとう」と返信がきた。

今年桜を見に市の倉周辺へひとりで行くことが供養になるような気がする。

池上駅は、お気に入りのたこ焼き屋も、あまりひとの入ってなかった弁当屋も消えて、無印とマツモトキヨシになっていた。

たこ焼き屋さんも弁当屋さんももとからなかったかのよう。

無印とマツモトキヨシに塗り替えられている。

長いエレベーターを下りて駅の外へ出るとき、大伯母も、池上の葛餅屋に嫁いで奴隷のようにこき使われて亡くなった友人も、私のなかにまだ生きている、と感じる。

私が死んだあとも、こんなふうにひとのこころに存在するんだな、きっと、そんなことを思った。

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