百歳の大伯母

今月9月18日に満100歳の誕生日を迎えた大伯母(祖母の末妹)から、ひとりで来てほしい、と電話があったので、出かけてきた。

運悪く、蒸し暑かった朝の天気が、王子で京浜東北線に乗り換えるころには肌寒くなる。

地下的のなかではハンド扇風機を顔に当て続けていた女性がとなりに座っていたし、完全に夏の装いのひともいたのに。

急転の気温変動である。

浦和に着く頃は、雨足も強くなっている。

駅からタクシーに乗って施設につく。

よく聞き取れない電話ではあったが、

「施設のひとに話しておく。部屋まではこれないから、面接室を予約しておく」

と聞こえたので、

そうか、コロナだから部屋へは行けないのね、と思った。

ところが、エントランスに迎え出てくれた職員は、私のことは聞いてないふうであったし、そのまま部屋へ上がるように言われた。

何年も行ってないので何号室か覚えていない。

お部屋わかりますね、と言われて「わからない」と答えるとかるく鼻でわらって、ご一緒しますので手洗いうがいを済ませてください、と言われていやな気持ちになる。

施設内はしーんとしている。

 

大伯母の部屋はエレベーターを降りてすぐであった。

そうそう、ここだ、と思い出した。

初めて行ったときは、まだ歩行器を使ってエレベーターまで見送ってくれた。

二回目に行った時、じゃあここで、と部屋で言われ、当然エレベーターまで来ると思い込んでいたので

え?どうして?

と無遠慮に尋ねると
「歩けないのよ」

と、当然のように言われた。

 

百歳になった大伯母はベッドで横になり、枕から頭を少し持ち上げて私を見て片手を上げてくれる。

その顔は祖母にそっくりである。

祖母は、晩年アルツハイマーに冒されて、もののわからないひとの目になっていたが。

大伯母のこの状態でも、ロビーの面談室に降りることはまったくむりな話しである。

 

そんな状態でも、私の髪を見て

「染めたの?きれいよ」

と言ってくれる。

他の部分を見咎められなかったか、

顔色がよくない、とかやせた、とか・・。

百歳の想いはわからない。

そこの包みを取って、という声が枕元からやっと聞き取れる。

これ?

と小さな冷蔵庫の横に置かれた百均のカゴのなかに薄汚れた風呂敷があり、古いアルバムが入っている。

果たして、大伯母が取ってと言ったのがこのアルバムなのか、はっきりしないが、渡すと、バラバラになりそうな古いアルバムを胸の上で一枚一枚めくる力弱い指。

なにを探しているのか、途中で疲れて寝てしまう。

激しいいびきである。

心配になる。

 

私が百歳記念に送ったぬいぐるみも、毛布もお菓子の缶も見当たらない。

あるのは、私が送ったお菓子の紙袋だけ。

 

親族の関わりにプレッシャーがある。

私は婚外の子として、常に枠外にいた。

枠外から中に入りたいと思うのは、引力のような誘惑で、中に入れてもらうように努力もし、反発もした。

私の立場に同情を示してくれたこの大伯母にしても、自分の娘たちと同列に立つと違う顔になった。

いちいちのことを覚えている自分は、このひととも決して屈託なく関わってきたわけではない。

だからこの雨も急な寒さも因縁に思える。

 

早々に退散して私は、なぜ呼ばれたのか、わからないままである。

アルバムのなかに、祖母の祖母が憲兵だった神田某と結婚し、養女であった祖母の母、つまり大伯母にとっても母に、同じく軍人であるおじいちゃま(かれらの父、私の曽祖父)を婿にとったのだ、と。

私は祖母からそのへんの話しはよく聞いていたし、とっくに知っていることだったが。

 

大伯母の部屋には、家族写真が飾られていて、息子、娘たち、孫、ひ孫とにぎやかな写真のなかに18日に撮ったものだろう、白い帽子を被った大伯母の写真がある。

へんな帽子を頭に乗せられた大伯母の目は、もののわからなくなった祖母の目とよく似ていた。

 

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写真は、私の祖父母の結婚式。大伯母の最初の結婚の仲人でもあった。