伯母の話のなかに、「経堂813の家」で、とか「あれは経堂813の家だったかしら」
など、当然こちらが知っていると思い込んで「経堂813」が出てくる。
98歳になる伯母は、ホームに入居していてここ数年は電話で話すだけの仲である。
数年前に思い切って出かけていき、たいへんな目にあって以来、「行かなくては」と思うのをやめた。
私はべつに子ではないし、実際のところとりわけて特別な間柄ではない。
いざとなったら自分の子どもたちをまっさきに優先する、これまで幾度もそうだったように。
と言っても、いまや彼女の話しにあいづちを打てるのは私だけとなった。
というのは、伯母は祖母の一番下の妹であり、母がなく幼いときから祖母に育てられた私は、祖母の話を聞いて育った。
だから、祖母の実家の光景、十人もいるきょうだい、ひとりを除いて全員女であり、ひとりだけの男は、ずいぶん軽んじられているように見えた。
ふつうであれば長男こそ大事にされ、家族のなかでえばっている存在のはずだが、えらいのは、いちばんは曽祖母であり、その下にならぶ娘たちであった。
私の祖母は、長女である双子のつぎの子であり、伯母とは年の離れた姉であった。
最近、伯母が話す内容が、なまなましくて参る。
98年間の生涯で、胸にしまってだれにも言えなかった、ということなのだが、私にも言われて気に障らないことと、そうでないことがある。
大した話しではない、叔母と姪の関係でありながら同い年のとしこおばさんのことをいつまでも問題にしている。
としこおばさんは、双子である長女の片方の一人娘である。
つまり、曽祖母の生んだ最後の子が、初孫と同い年だった、ということである。
このひとは、もう亡くなったが、90すぎるまでは伯母と同じに元気で油絵など描いて熱海の高級ホームで優雅に暮らしていた。
このひとは、戦前は優雅に暮らしていたが、没落して夫にも先立たれ、母親をひきとって自分は稽古で身を立ててほそぼそと暮らしを立てていた。
たくさんの愛人が居たそうである。
長年、囲われていたこともある。
このひとは、たいそうな美人で和服が似合い、子どもこころになんともいえない姿形であった。
歳を経て、乞われて正式に結婚し、そこそこの遺産を受け継いだ。
そのたくさんいた愛人の話しを伯母は聞かせられた、と。
なぜ私にそんな恥ずかしいことをさも自慢のように話すのか、わからない、と。
息も絶え絶えというようにしぼり出す。
としこおばさんには、自分の容姿に(むらがってくる)殿方の自慢をするしか持ち駒はないわけでしょ、と伯母のように安定した夫と仲の良い家族、大きな庭や池、犬や猫の生活にくらべて日陰なんだし、と言っても、こちらが話しはじめるとどうもアイフォンの調子がわるくなるらしい。
話しが、甥に迫られた、ということろでなまなましさが募ってきた。
このひとは、知っているひとだからだ。
そして、ついに話しが私の父に及んだときは鳥肌がたった。
父ととしこおばさんはいとこどうしの関係だから、ありえないことではないが、祖母を中心にどちらかといえばいがみあったいた感がある両者である。
男女のことだから、わからないが、ぞっとした。
ぞっとしたのは性愛への嫌悪か、そういうことを私に知らせようとする伯母の真意か。
やっぱり血筋だわね、などとまとめようとする。
つまり好色は血筋だ、というわけである。
としこおばさんの父親は、妻子を捨ててべつなおんなのひとと生涯を共にした、そのことを言っているのだ。
聞きづらい。
恋愛は自由だし、なんて話しではない。
伯母は、堅物で完全主義者。
体力も精神力もなみなみならないひとである。
としこおばさんは、挑発していたのかもしれない。
伯母の嫌悪と軽蔑は、はたしてほんぽうな性愛に向けられたのか、としこおばさんそのひとに向けられたのか、どちらだろう、と思う。
そこまでこだわる98歳の伯母の、ユング式にいえばつよい願望の表れなどと思ってみたり。
伯母17歳の写真。この着物は、生活難で売った。高く買ってもらえた、とのこと。