経堂813つづき

話しが、父と父のいとこであるとしこおばさんのひょっとしたらという話しのうちはまだよかった。

伯母の話は次から次へとなまなましさをさらに増していく。

 

としこおばさんの父親は楠本実隆という人で、ほかの女性をつくって妻子を置き去りにした。

貧乏氏族の子で上昇志向がつよく、関東軍で陸軍中将までのぼりつめたが、戦犯にもならず、気候のよい土地で長生きした。

姉の婚約者である楠本実隆に、私の祖母が散歩に誘ったり、いわゆる(色目を使った)、とお母さんは恨んでいた、と、(大正10年よりもっと前の話・・)としこおばさんから打ち明けられた、といよいよ伯母が言い出したとき、私はかんべんしてくれ!

と胸の内で叫んだ。

 

その話しなら知っている。

祖母が、姉の婚約者である楠本に思いを寄せていたのは事実だ。

祖母から聞いているのは、楠本からへんな手紙を渡された困った、という話しであったが、

そのときの祖母の表情は、恥ずかしいような、一方で自慢のような妙な顔である。

私は祖母をおぞましい、とも感じたが、かわいい、とも感じた。

そして、このひとが亡くなったとき、私は九死に一生を得て入院中であり、病室の枕元でうなだれた祖母が、

「楠本が亡くなったの。大きなドラマが終わったよう。」

と言った。

よりいっそう小さくなった祖母の悲しみがつたわってきた。

そういうことがあったとして、それを恨んだり、軽蔑したりするべきことだろうか?

私は、祖母の名誉のために、このことは言っておこう、と思い、電話だとこちらの話しは聞こえなくなる伯母にラインをするべく下書きを書き始めた。

こういうとき、いつもそうであるように、当然この言い方なら相手に伝わらないわけがない、理解してもらえないわけがない、と思い、そう思った瞬間、こう考えるときははずすな、と経験上知る。

私のことばなど聞く耳があるのならとっくに理解しているだろう。

祖母に対する侮蔑が、私自身に向かうように感じる感じ方は、身内であれば自然で当然のことだろう。

一字修正しようとして全部消えてしまった。

復活できない。

だからやめた。

同じ空疎な文言を二度くりかえす時間はもったいないように思われた。

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後列の三人の女学生。真ん中が伯母、向かって右隣がとしこおばさん。左隣の伯母は現在和歌山のホームにいる。 その前に座る四人の女性の真ん中が祖母、両隣は双子の姉。右端の美人は楠本の妹。前列左端は私の父。